HOME > 2011年バックナンバー > 10月 > メッセージ2011年10月2日

『主の御名によって歩き回ろう!!』

2011.10.2(SUN)
新城教会主任牧師 滝元 順
ゼカリヤ書 10章7節〜12節

『エフライムは勇士のようになり、その心はぶどう酒に酔ったように喜ぶ。彼らの子らは見て喜び、その心は主にあって大いに楽しむ。わたしは彼らに合図して、彼らを集める。わたしが彼らを贖ったからだ。彼らは以前のように数がふえる。わたしは彼らを国々の民の間にまき散らすが、彼らは遠くの国々でわたしを思い出し、その子らとともに生きながらえて帰って来る。わたしは彼らをエジプトの地から連れ帰り、アッシリヤから彼らを寄せ集める。わたしはギルアデの地とレバノンへ彼らを連れて行くが、そこも彼らには足りなくなる。彼らは苦難の海を渡り、海では波を打つ。彼らはナイル川のすべての淵をからす。アッシリヤの誇りは低くされ、エジプトの杖は離れる。彼らの力は主にあり、彼らは主の名によって歩き回る。‐‐主の御告げ‐‐』

 ハレルヤ!おはようございます。こうして、みなさんの前に立ってメッセージを取り次げますことを、心から感謝します。早いものでもう、十月になりました。先日、新しい年が明けたかと思いましたら、あっという間に十月になってしまいました。本当に人生は早く過ぎ去るものだと思います。十月は収穫の秋とも言われます。また十月は、ある意味で一年で一番過ごしやすい季節かもしれません。新しい季節に入り、私たちも霊的世界において、新しい季節に入らせていただきたいと願っています。

 九州リバイバルミッションもみなさんのお祈りに支えられ、今日で一応終わるわけですが、本当に大きなとりなしの祈りと、実際に九州に足を運んでくださってとりなし、出席してくださった方々もおられます。教会一丸となって戦ってくださったことを、心から感謝しています。この祝福は必ず、形となって表されると信じています。

 また、みなさんのお祈りに支えられ、先週はネパールに行っておりましたけれど、無事に帰って、みなさんの前に立つことを許され、本当に感謝をしています。私も九州リバイバルミッションの奉仕があったり、いろんなことがあり、大変忙しく夏から秋にかけて過ごさせていただきました。前からネパールに行くことが決まっていたのですが、あまり意識は強くありませんでした。二週間前にこの場でメッセージを語らせていただいた時、そういえば明日からネパールかというような感じで、メッセージを語らせていただいたのですが、やっつけ仕事のように「一週間が経ったらさっさと帰ってこよう」というような気持ちでした。
 しかし今回の旅行は、振り返ってみると、大きな霊的戦いでした。

 案外、私たちが強く意識していない中に、神の大きな御心があります。また、そこに大きな戦いがあるのではないかと思います。
 ネパールへ行く途中に祈りました。「どうか今回の旅行のために、テーマとなる御言葉をください」と祈っていたのですが、実は、ネパール出発に先立って空港で、教会からメールをもらいました。「ネパールで大きな地震があったのを知ってますか?」とメールが来ました。
 「えっ?ネパールで地震なんて、聞いたことがない?」と思って、インターネットで情報を検索しました。するとマグニチュード六・九という地震が、ネパールで起こったとありました。本当にびっくりしました。ネパールの家は弱いからどうなっているだろうかと思って、すぐにカトマンズの宣教師のところに電話をしました。「大丈夫ですか?」と聞くと、「びっくりしましたよ。みんな外に飛び出ました」と言われました。ちょっと緊張しました。普通じゃ地震が起こらない所に、なんでよりによって、私が行く前に大きな地震があるのかと思いました。何か悪魔が「来るな!」と叫んでいるような気がしました。それで「これは真剣に祈らなくちゃ!」と、その時初めてギアが入ったようでした。

 時々、いろいろなことがあると、私たちはびっくりして神の前に出て祈るようになります。先に祈っておけばいいのでが、なかなかそういかないのが悲しい現実です。私は一緒に行ったメンバーを集めて、「向こうで地震があったようだ。一緒に祈ろう」と、主の御心を求めて祈りました。
 その時、主が私に与えてくださった御言葉が、今日読んでくださったゼカリヤ書十章でした。十章全体を与えてくださったような気がしたのですが、そんな中でも特に、十章十二節の御言葉が、私の心に響いて来ました。
 礼拝に来て、一つでも御言葉を自分の心に留めて帰って行きましょう、とよく語られますけれど、この御言葉をご一緒に読んでみたいと思います。ゼカリヤ書十章十二節、

『彼らの力は主にあり、彼らは主の名によって歩き回る。‐‐主の御告げ‐‐』

 ここに二つのことが述べられています。第一に、「彼らの力は主にある」です。私たちの力の源はどこにあるのか。私たちは、いろんなところに力を求めるのですが、幸せに生きる為の力は、「力の根源は主にある」という宣言が重要なのです。
 そして、もう一つは、「主の名によって歩き回る」。
今週も始まりましたけれど、いろいろな計画があるかもしれません。しかし、「私は主の名によって歩き回る!」という宣言です。「力は主にある。」そして、「主の名によって歩き回る。」という、この二つを押さえておくなら、私たちの人生に間違いはありません。
 信仰生活はそんなに難しいことではないのです。我々が、自分の力とか、過去の経験だとか、経済力だとか、この世の力に頼るのではなく、「主にある」のです。そして「主の御名によって歩き回る!」という、この二つを押さえておくなら、決して間違いはないはずです。

 特に今回、ネパールに行く前に、主が私に、「あなたたちの力の源は主にあります。主だけに頼ってください」と語ってくださったような気がしました。
 そして、「あなたがたはわたしの名、すなわち、イエス・キリストの名前でネパール全土を歩き回りなさい!」と語られたような気がしました。それで私は、この御言葉を一緒に行った方々にシェアして一緒に祈りました。

 実はこのゼカリヤ書の十章は、どんな箇所かといいますと、ゼカリヤは預言者でした。バビロンからユダヤ人たちが解放され、エルサレムに戻って来た時、壊れた神殿を建て直す時一緒にいて、預言を持って民を励ました人物であり、そんな時代背景において活躍した預言者です。
 しかし、聖書の預言というのは、当時の人々を励ますだけでなく、彼らはユダヤ人でしたから、ユダヤ人たちの未来についても、また、イエス・キリストの誕生についても預言しています。さらには、もっともっと遠い未来、世の終わりに際する事柄も同時に含むこともあるのです。また時には、過去の事柄も含んでいます。
 そんな視点でこの箇所は語られていると思われます。ということは、現代社会を生きる私たちにとっても、ゼカリヤの預言は意味があるのです。

 ゼカリヤ書十章は、実に、「リバイバルの預言」であると私は信じます。この頃、新城教会のメッセージのテーマは、リバイバルです。主が、日本のリバイバルについて語ろうとされているのではないかと感じます。主が日本に、リバイバルを起こそうと願っておられるのではないかと、何か、わくわくします。
 メッセージを語る前に、必ず、私は主の前に出て祈ります。「何を語ったらよろしいですか?もしもイエス様が今朝のメッセンジャーとして、講壇に立ってくださるなら、何を語ってくださるのですか?」と祈りながら準備します。他の先生方も同じだと思います。近頃、リバイバルに関するメッセージが多いということは、やはり日本にリバイバルが起きることを、預言的に語らされているのではないかと思います。
 ゼカリヤ書十章一節では、このように語られています。

『後の雨の時に、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。』

 イスラエルにおいては、雨期が二回あります。それが春と秋です。今の季節は秋ですが、イスラエルにおいて秋は「後の雨」じゃなくて、「初めの雨」と呼ばれます。それは種蒔きの準備の雨です。秋に雨が降ることによって、パレスチナ地方においては種蒔きができるように大地が準備されるのです。
 そして、春にもう一度雨が降ります。そのことを「後の雨」と呼びます。
 『後の雨の時に、主に雨を求めよ。』と記されていますけれど、「後の雨」とはどういう雨かというと、この雨によって作物が収穫に至るのです。すなわち、後の雨は収穫の雨なのです。
 収穫の季節には雨が降るのです。イスラエルは年間二回、初めの雨と後の雨が降るという気候帯に位置しているのです。だから後の雨は、当然降る雨なのです。
 しかし、ここに、『後の雨の時に、主に雨を求めよ。』と書かれています。これは何を意味するのかというと、後の雨は、作物が収穫される時期なのですが、自然界の収穫の時に、『主に雨を求めよ』と勧められているのです。もちろんそれは、自然界の雨も含んでいますが、霊的意味合いを含んでいるわけです。
 自然界で収穫の季節は、霊的世界においても、収穫の季節ですと。自然界と霊的世界がシンクロする形で、霊的雨が降るという法則があると信じます。
 今日は十月になって初めての礼拝ですけれど、自然界でも収穫の季節に『主に雨を求めよ。』とは、この季節に「リバイバルを求めてください」と教えているのではないかと思います。
 秋はリバイバルを求める季節であり、魂の収穫の時です。多くの収穫を待っている魂があるのです。私たちは信じて、主に聖霊の雨を求めなければならないのです。

 そして『主は稲光を造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人にくださる』と続いています。
 一九九三年の十一月に、阪神甲子園球場で「全日本リバイバル甲子園ミッション」が開かれました。その働きから数えて、再来年で二十周年を迎えます。その時からリバイバルミッションはスタートしましたから。「もう二十年も経つのか、早いもんだな・・・」と感じます。それは私の人生の中で、決して忘れることのできない経験でした。
 甲子園ミッションには、テーマの御言葉がありました。その御言葉が賛美になりまして、当時熱心に歌いました。今日でも歌い次がれているのですが、それはエレミヤ書十章十三節の御言葉から作られた歌でした。

『主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。』

 この御言葉を賛美にして、何度も歌いましたけれど、みなさん覚えておられますか?歌ってみましょうか?

♪主が声を出すと、水のざわめきが起こる。天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、降らす。雨を降らす。雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される♪

 この御言葉が甲子園ミッションのテーマの御言葉となったのですが、『主が声を出すと、水のざわめきが起こる』とあります。それは霊的なざわめきです。
 ゼカリヤ書においても、『後の雨の季節に主に雨を求めなさい。主は稲光を造り、大雨を人々に与える』と約束されています。エレミヤ書十章十一節から見ますと、

『あなたがたは、彼らにこう言え。「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と。主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。』

 そして、『主が声を出すと』という御言葉に繋がっています。『主が声を出すと、水のざわめきが起こる。』という御言葉の前に、『「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と言え』とあります。
 実は、エレミヤ書には、『主が声を出すと』という御言葉が二回も繰り返されています。エレミヤ書五十一章十六節、

『主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。』

 エレミヤは二回も同じ言葉を語っています。聖書の中で二回以上繰り返されているのは、重要な箇所です。特に一節丸々、単語の繰り返しではなく、文章として二回も繰り返されているのは、よほど意味があると思われます。そして、五十一章十四節を見ると、

『万軍の主はご自分をさして誓って言われた。「必ず、わたしはばったのような大群の人をあなたに満たす。彼らはあなたに向かって叫び声をあげる。」』

 これはまさしくリバイバルを意味しています。『後の雨の季節に主に雨を求めなさい。』とは、リバイバルのことです。そして、五十一章十五節〜十七節、

『主は、御力をもって地を造り、知恵をもって世界を堅く建て、英知をもって天を張られた。主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。』

 エレミヤの十章では、『天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる』と語られ、五十一章では、「偶像」のゆえに恥を見ると告げられています。偶像礼拝の背後に、敵の力が働いているのです。主が声を出されるリバイバルのためには、霊的戦いが必要であるとエレミヤは語っているのです。悪しき力が打ち砕かれる時に、雨が降ることを意味していると思われます。
 甲子園ミッションの時、そのことを主が教えてくださいました。『主が声を出すと水のざわめきが天に起こる』という御言葉と共に、『天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる』という宣言です。
 今回、ネパールに行く時に、私と一緒に行ったメンバーの一人が、この御言葉を受け取りました。今回私たちはネパールで、いろいろな場所を主の御名によって歩み、『天と地を造らなかった神々は』という賛美を、現地人を巻き込みながら、賛美してきました。みんなは意味がわからなかったかもしれませんが、我々はそればかり歌っていました。その賛美をみなさんご存知でしょうか?

♪天と地を造らぬ神々は、この地からも、天の下からも、ことごとくすべて滅び失せる。十字架の血潮により。聖なる武具に身を固め、御言葉の剣振りかざせ。万軍の主の御名によりて今勝利を宣言せよ♪

 ハレルヤー!大きな拍手を主に捧げましょう!
 このような霊的戦いが起こる時、天にざわめきが起こり、雨が降るのです。すなわち、リバイバルがやってくるという預言です。
 このような御言葉理解の背景を持ちながら、今日はネパールにおいて受け取った恵みをみなさんにお証しさせていただきたいと願っています。午後からは詳しくお話をさせていただきますから、是非とも、出席していただいて、共にリバイバルを祈っていただきたいと思います。

 人類は、初め、二人から始まりました。それが、アダムとエバです。彼らが地球のどの地域に創造されたのかは、はっきりしませんが、聖書の情報から推測しますと、チグリス・ユーフラテスという大きな川が中東にありますが、その沿岸部にエデンの園があって、その付近で創造されたのではないかと思われます。
 それを裏付けるかのように、その地域が人類の最も古い文明が栄えた地域でもあります。考古学の研究とも合わせますと、「たぶん神は中近東で人類を創造した」と思われます。この頃、人類学では、アフリカ起源説を唱えている学者もいますけれど、私はアフリカではなく、中近東だと思うのです。なぜならば、メソポタミア文明という、最古の文明もそこで栄えているからです。
 学生時代に世界四大文明というのを聞いたことがあるかもしれません。この頃は、同時に他の地域でも文明が栄えたのが分かってきて、四大文明という言葉をあんまり使わなくなりましたが、最も古い文明はメソポタミアに発生しました。

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 ちょっと今からは社会科の授業のようですが、メソポタミア文明は青い部分です。チグリス・ユーフラテス川の付近に栄えたのです。その近所にエデンの園もあったと思われますし、また、創世記の十一章に「バベルの塔」が出てきますが、バベルの塔もその近所に作られたと思われます。そこで言葉が混乱し、人類は全地に散らされたわけです。散らされると言っても、大陸は東・西に長いですから、大部分の人たちは、東と西に移動して行ったわけです。それを証拠立てるかのように、二番目に古い文明が赤色の部分に示されている「エジプト文明」です。ゼカリヤ書では、エジプト文明に関わる要素が含まれています。
 それはメソポタミアから見ると西側になるわけですが、東側にも大きな文明が栄えました。それがオレンジ部分の「インダス文明」と呼ばれる文明です。しかし人類はさらに東に移動して文明を築きました。それが黄色部分、中国・黄河流域に栄えた「中国文明」です。
 日本人とは、バベルの塔から散らされて、やがて日本列島に入った人々によって形成されたのです。日本人は、この島から生まれ出た特別な民族、なんて思ってる人がいますけれど、それは間違いです。日本人のルーツは、皆、渡来人です。

 やがてエジプト文明は消えてしまいました。現在エジプトはイスラム化して、エジプト神話の神々は拝まれてはいません。その神々は消えて、博物館の中にあるくらいです。
 最古の文明メソポタミア文明も、現在のイラク・イラン付近ですから、その文明は破壊され、イスラム化して砂漠の下に埋まってしまいました。当時拝まれていたメソポタミアの神々は消えてしまいました。文明は消えてしまったのです。
 では、最古のメソポタミア文明の世界観は、果たして消えてしまったのでしょうか?実は、一つだけその影響が消え去っていない地域があるのです。それがかつて「インダス文明」が栄えた地域です。インダス文明の中に、メソポタミア文明の要素が流入し、それは現代まで受け継がれています。
 文明の根源は、「宗教観」です。最古の宗教観がどの地域に残っているのかというと、インダス文明から派生した「ヒンズー文化」の中に残っているといっても、過言ではないと思うのです。

 ヒンズー教と聞いても、「そんなの俺には関係ない」と言うかもしれません。しかし実は、大有りなのです。日本の仏教、神道、その他様々な神々は「日本の神様だ」と言いますが、調べてみたらよくわかります。ほとんどが、元を正せばヒンズー神なのです。隣町に豊川稲荷がありますけれど、「托枳尼真天」と書いてあります。それは「ダキニ」というヒンズー神です。神道の神々もヒンズーの神々を根に持ってます。七福神は全てヒンズーの神々です。ということは、諸宗教の根源にヒンズーありきなのです。

 目立たないのですが、ヒンズー教を信仰している人たちは世界に結構多いのです。インドに行きますと、ほとんどがヒンズー教徒だと言います。そして唯一、世界で「ヒンズー王国だ」と宣言していた国が、ネパールなのです。ネパールは、しばらく前まで世界で唯一、ヒンズーを国教としている国でした。
 ネパールは世界から見たら、本当に小さな国で、経済力も弱くてあまりにも目立たないかもしれません。けれども、私はそこにサタンの王座があるのではないかと考えています。
 世界で最も高い山はどこにあるのかというと、それはヒマラヤ連峰です。八千メートル近い山々が連なっています。新城にある本宮山も高いと思っていたけれど、たったの七百メートルです。八千メートルといったら十倍以上です。信じられないほど高い山々が十四嶺あります。しかしその内の七つが、ネパールにあるのです。
 目立たない国に見えますけれど、霊的世界では最も重要な国だと思います。そこに悪魔が王座を設け、世界の霊的コントロールセンターとして使っているのではないかと思います。

 不思議なことに、二年前の韓国リバイバルミッションを通して、私はネパールで奉仕をする道が開かれました。そして今回は、二回目だったのですが、ネパールで宣教活動をすることができました。みなさんに祈っていただきまして、先ほども語りましたが、今回は本当に大きな戦いでしたが、何か大きな勝利があったような気がします。
 今日は、私たちが命をかけて勝ち取って来た勝利を、みなさんにお分けしたいと思います。そうしたら、全員の勝利が底上げされるのではないかと期待しています。
 ネパールって一体どこ?っていう人がいるかと思いますので、写真をお見せします。

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 この黒い部分がネパールです。インドの北にあたります。こうやって見ますと、人類が中近東から東に移動した時、ヒマラヤが見える場所は重要な場所として選んだのではないかと思われます。特に霊的に敏感な人たちが、そこに住み着いたのではないかと思います。
 日本も偶像礼拝を一生懸命にやっていますが、ネパールに行きますと、その比ではないのです。この国の人たちはこれほど貧しいのに、なんでそこまで一生懸命偶像礼拝にお金をかけるんだ、というくらい真剣になされています。しかし、偶像礼拝は「恥を見る」と言わざるを得ません。そこに行きますと、占い師が大勢いて、何事を決めるのにも占いで決めるのです。悪霊の声を聞いて人生を決めるのです。それは全く祝福になっていません。
 先ほども聖書に記されていたように、占い師たちの言葉を聞くと、その言葉によって人生は惑わされるのです。ちょっとした光のように見えますけれど、そうではなくて、悪魔の思うつぼにはめられるのです。

 今ネパールは、世界の最貧国にランキングされています。みなさんは、一日お働きになったら、いくらもらえますか。「私は少ないですよ。本当に頭にきちゃう」という人がいるかもしれませんが、ネパールにおいて月給はどのくらいかというと、だいたい一般の人たちは「五十ドル」取れたらいいのです。技術を持っていると、百ドルから百ドルちょっとになります。五十ドルは今、一ドルを八十円としても四千円です。一ヶ月働いて四千円にしかならないのです。本当に貧しいです。産業はほとんどありません。偶像礼拝の為にはお金を多く使いますけれど、全く機能していないのです。

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 これはカトマンズの全景の写真です。カトマンズは首都ですから、東京とか、韓国でいったらソウルです。首都のある所ですから、普通ならば高層ビルが立ち並んでいてもいい所ですが、そういう建物はなく、本当に寂しい街並です。窓が黒く見える部分は一応家は建てたけれど、人は住んでいないのです。長い間工事中です。今、雨期で、今回はずっと雨だったのですが、こんな感じです。

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 でもここだけは素晴らしく、綺麗な道路です。良い道でしょ?でも約一キロくらいしか続きません。信号もあります。多分、カトマンズで唯一の信号です。しかし、この道路は誰が作ったのかというと、昨年、日本が作りました。日本がお金と技術をすべて提供して作りました。「道路っていうのは、こういう物だよ。こういう風に作るのだよ。ネパールも将来はこのように道路を作ってね。信号をつけると便利だよ。」と、国民の教育のために作った道路です。日本が昨年作った道路です。だからここだけは秩序正しく、車が流れています。けれども、他の場所はこんな感じです。

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 みなさんどうでしょうか?「今日は渋滞して参った!」という方がおられるかもしれませんが、これを見たら日本の渋滞なんかどうってことありません。横断歩道も一切ありません。横断するのは命がけです。これをうまく渡れるようになったら「あなたも立派なネパール人」です。宣教師も道路を渡れるようになるには、何年もかかったと言っていました。今回、私たちを招いてくれた宣教師はすごいです。「みんな!私に付いて来てください!せーの!どんっ!」と渋滞に飛び込んで、道路を渡り切りました。本当にどきどきもんでした。突っ込んでいけば、車は止まるのです。
 道は穴ぼこだらけで、だいたい百キロを進むのに、十時間くらいかかります。時速十キロくらいでしょうか。次にいきますと、

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 私たちはカトマンズから十時間以上走った所に、チトワンという町があるのですが、そこから歩いて五時間かかる所に行きました。去年も行ったのですが、パレワコという山地民族の所に行きました。そこに行くには歩くしか手がなく、今回、気が進まない原因の一つは、五時間、荷物を持って山を登るというのがあったからです。
 山に登る朝、起きたら左の膝が痛くて戦いを感じました。私もこの日のために毎日、日本でトレーニングを積んできました。毎日、ウォーキングをして多少、準備したわけですが、朝になったら、ちょっと自信がなくなりました。はたして五時間歩けるのかな・・・と。
 私は今年六十歳です。今回行った最年少は、二十歳。私の三分の一ですから、ついて行けるかと思いました。けれども、「主の名によって歩め!」と主が語られましたから、「そうだ。主の名によって歩かなくちゃ!」と決意して歩き出しました。
 しかし歩き出したら、足の痛みがなくなりました。今回、日本から六人行ったのですが、ツアーの最後まで元気だったのはたった一人でした。他は、頭が痛い、腹が痛い、下痢をした、なんだかんだでちょっとたいへんでしたが、ただ一人、最後までぴんぴんしていました。さて、それは誰だったでしょうか?
 「はい、それは私です!」私はとても元気でした。

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 こんな獣道みたいな道を進んで行くわけですが、三時間くらい歩くと雲の上に出ます。眺めると向こうに家があるのです。

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 こんな所に生まれたら、どんな人生なのかと思います。しかしこういう場所に住んでいる人たちがイエス様を信じるのは、世界のリバイバルのために重要だと思うのです。山を下りたら、それなりの生活ができるのに、彼らは山を下りないのです。なぜかというと、霊能者に脅されているのです。「山を下りてみろ。死ぬぞ」と言われているのです。山の上にあるヒンズー寺院を守るために、何世代にも渡って、いや、もしかしたら何千年にも渡って住み着いている人たちです。

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 縄文時代とか、弥生時代ってこういう景色だったのだろうな、と思います。この付近も、縄文とか弥生の遺跡が多くあります。新城も新東名の工事で、一大弥生遺跡が出て来たそうです。六百の集落が出て来たと言われますけれど、どんなもんだったんだろうかといえば、たぶんこんな風景だったでしょう。

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 村人たち、子供たちを見てください。裸足です。一緒に行った者たちは登山靴まで履いておりましたけれど、彼らは裸足です。私は彼らの足を触らしてもらいました。足の裏は亀の甲羅のようでした。人間の足って、ここまで発達するんだと思いました。

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 うちの孫くらいの子が、ずぶ濡れになりながら道の側にたたずんでいる光景を多く見ました。

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 ちょうど私たちが行った時に、村人たちが年に一度、水牛をほふる盛大な行事を行っていました。牛は神なのですが、水牛は食べてもいいのです。水牛を殺して、家族分によりわけているところだと思います。皮から何から全て、きれいに使っていました。うまそうだ、と思って見ていたのですが、そこからさらに登っていくと教会があります。

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 教会を作る材料を上げるのは大変だったと思います。韓国の先生方が教会を作りました。そして、この村に福音を伝えるようになったのです。近頃、この山にも徐々に福音が浸透して来ました。クリスチャンになって、山の生活をやめて、恐る恐る山を下りて生活をする人たちもいます。
 この部族はなんていう名前かというと、なんと「ジャパン族」です。だから私は言いました。「私たちはジャパンから来ました。あなたたちはジャパン族です。たぶん親戚だと思います」とお話をすると、みんな喜んでいました。

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 一緒に行った牧師が彼らにあるものを見せました。なんとiPhoneの中にあるテレビゲームやアニメを見せました。子供たちは、「これはなんだ」とびっくりしていました。初めて文明に接したという感じでした。
 子供たちの服を見てください。お母さん方。子供たちがちょっと服が汚れたぐらいでびっくりしないでください。彼らはほとんど、服を変えていないような感じです。
 みんなに飴玉をあげて、本当に喜んでくれました。

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 去年、私が救いに導いたあの霊能者のおじいさん、なんと、蛇の杖ではなくて普通の棒を持っておりました。嬉しかったです。じいちゃんと再会できて嬉しかったです。

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 ここで集会をやったのですが、集会に先立ちまして、韓国から医薬品を持って来て、村の人たちの症状を聞いて、薬をあげるミニストリーもありました。途中で、「順先生、来てください」と呼ばれるのです。何かというと、「これは薬じゃだめな病気なので祈ってください」と、その方々のためにお祈りしたりしました。

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 夕方からは、子供たちの集会をやりました。子供たちが去年以上に集まりました。水色の服を着ているのは、小学生たちです。この山には日本のODA援助で学校が出来て、現地の先生が教えているのですが、ノートや鉛筆は日本からの援助だそうです。全校生徒が集会に集まりました。すごい集会でした。

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 私たちは子供たちに福音を語り、そのあと、霊的な剣を受け取る祈りをしました。

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 みんな剣をもらって、この国を支配する悪魔の力を打ち破る祈りしました。去年と同じ場所に剣を投げ込む祈りをしました。

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 でも、私は剣を投げた場所に行ったことはありませんでした。そこに何かがあると聞いていただけでした。でも、今回、主が「あなたは、そこに上っていかなければならない!」と言われました。集会前に上って行くと、

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 こんなヒンズー寺院がありました。家は草葺き屋根でも、ここだけは立派な寺院が建っていました。ここで盛大な祭りがなされているようです。私たちは、この場所で、「天と地を造らなかった神々は、この地からも天の下からも滅びる!」と宣言して祈りました。それから、子供集会と大人の集会をしました。

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 ここはパレワコという名の村なんですが、村の名前の意味は、「鳩の村」という意味です。でも、その寺院に行ってびっくりしました。屋根を見てください。鳩がいて、後ろにコブラが鳩を狙っているのです。
 まさしく鳩の村は、蛇に食われています。だから私は話しました。「なんでこの村が発展しないのか。原因はどこにあるのか知っていますか?みなさんがやっている偶像礼拝ですよ。屋根を見ればわかる。鳩が蛇に食われそうになっている」と。鳩と蛇が四組あったのですが、すでに一個、鳩はなくなっていました。

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 夜の集会も本当に、聖霊様が臨まれました。ここに地域の牧師とか、教会のリーダーたちが集まりました。みんな五時間から八時間歩いて集会に来ました。ご飯も食べずに来て、みんな真剣にこの村と、ネパールのリバイバルのために祈りました。すごい集会でした。県民の森の祈祷会以上に、激しかったです。私はこれはネパールの普通の集会かと思っていたら、そうではないというのです。特別だというのです。天が開かれたというのです。

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 途中で大雨が降って来まして、教会堂の中に入りました。初めは外で集会をやっていたのですが、中に入ったのです。ぎっしり人で埋まりました。しかし本当に、恵まれた集会でした。

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 集会は夕方の四時から始まって、終わったのが九時でした。私たちは五時間かけて歩いてきて、四時から九時までさらに五時間ぶっ続けで集会をしました。途中で食べたのは、ゆで卵一つと、ゆでたじゃがいも一個だけでした。もう最後には腹減って、眠たくてしょうがなくて、「集会終わり!」とみんなに言ったのですが、誰も帰らないのです。「みんな、早く帰って…」と思ったのですが、誰一人帰らないのです。「なんで帰らないの?」と聞くと、「私たちは五時間も八時間もかけてここまで来たんだ。こんな機会は滅多にないから、もっと順先生と話をしたい。質問もしたい」とか言って、帰ってくれないのです。本当に、霊的に飢え渇いているのです。その内、大雨が再びどーっと降って来ました。すると、彼らが言うのです。「これじゃ山は降りられない。」「じゃーどうするの?」と聞くと、全員ここに泊まると言うのです。前の写真を見てみてください。

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 同じ所にこれだけの人たちが寝るのです。今回、なんと、こういう中で一泊させていただきました。余りにも人口密度が高いので、途中で外に出て寝た人たちもいたので少しはスペースがありましたけれど、大変でした。
 「でも、順先生が一番いびきをかいて、ぐっすり寝てましたよ」と言われました。私は今回ほど、「七人兄弟に生まれて良かった」と思ったことはありませんでした。でも、素晴らしい集会でした。

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 朝起きたら、ヒマラヤ連峰が見えるのです。本当に神の栄光を見ることができました。ここで今、霊的戦いの祈りが始まっています。ネパールの先生方が、この国を勝ち取るために霊的な敵と戦わなければいけないと理解し始めました。
 今回、私はネパールの教会で「ネパールは霊的には、世界で最も重要な国だ」と話しました。それがみんなの心にすごく響いたみたいです。

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 帰りは、山を二時間で下れというのです。

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 さて、みなさんこの中に人がいます。どこにいるかわかりますか?

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 わかりませんかね?これが人です。村人が葉っぱにくるまって出てくるのです。あの葉っぱが売れるらしく、おばちゃんたちが集めているのです。しかし、山を上るのも、下るのもむちゃ早かったです。

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 今回すごい雨が降っていて、道路はそこら中で崖崩れです。日本だったらすぐに通行止めですが、通行止めなんてないです。私たちが行く前の日、この道路で車が土砂に流されて、九人死んだのです。でも、次の日、私たちが通った時には開通していました。死ぬやつが悪いというような感じです。

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 これは今回のレンタカーですけれど、日本車なのです。堅めのセッティングにはしていると思うのですが、なかなかうまく走れず、よく降ろされて大変でした。
 この橋もいつ落ちるのかな?落ちなくて良かった。感謝します。

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 山から下りて、十数時間走った所ですが、ベニという村です。ここにも教会があって、ここでも奉仕させていただきました。
 実は私はこの村に行った時、どっかで見たことのある風景だと思ったのです。
この風景と、次の風景を比べてください。

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 なんとなく似ていると思いませんか。後の写真はどこかというと、ペルーです。ペルーの街並と、ネパールが似ていたのです。それで、リバイバル聖書神学校を卒業して、今、ペルーで伝道している下田という先生がおられますが、彼のことを思い出しました。「彼はどうしているかな?」と。
 来年の一月に私はペルーに行くのですが、「この頃、どうしているかな。」と思い出し、この町のために、そして、ペルーと下田宣教師が守られるようにと祈りました。そして、今日の勝利が、ペルーにもたらされますようにと、祈りました。

 ネパールとペルーは北半球と南半球で、互いに地球の反対側に位置していますが、霊的世界は繋がっているのではないかと思いました。それで私は、ペルーのために祈りました。
 そうしたら、ネパールから帰る日に、突然、下田先生から私の携帯に電話がありました。滅多にかかってこないですが、なにかな?と思いました。
 「順先生ですか?ちょっといいですか?」と彼は興奮していました。どうしたのかと聞くと、「もうちょっとで死ぬところだった。」というのです。何があったのかと聞くと、彼が伝道している場所で、一人の麻薬中毒の青年がいて、その男は暴れ者で誰も近づかないというのです。先週の日曜日の朝、彼が暴れていると聞いて、下田先生は昔は相撲取りでしたから、彼をなだめに行ったそうです。しかし彼が突然ナイフを持ち出して、下田先生に向かってきたというのです。けれども、危機一髪で守られたというのです。その男がナイフの柄を持たないで、刃を持ってしまったので、自分の手が切れたそうです。彼の指が三本取れそうになって、ぶらぶらになったというのです。下田先生は傷を受けなかったけれど、返り血をあびて、危なかったそうです。本当に、もうちょっとで刺されるところだったというのです。
 「ネパールで、君のために真剣に祈ったんだよ」というと、「いや〜、順先生たちが祈ってくれなかったら、もしかしたら、今頃死んでいたかもしれません」というのです。私はびっくりしました。目に見えない世界は繋がっているのです。
 でも、彼はえらいです。その突き刺そうとした男を訪問して、解放の祈りをして、これから彼を救いに導いて行くというのです。なかなか骨があるじゃないですか。その男は病院なんか行くことができないから、指が腫れ上がってそのうち腐って落ちるかもしれないと昨日メールが来ました。私たちが今回ネパールに行って祈らされたのは、もしかしたら、下田先生のためかもしれないと思いました。

 世界の最高峰はヒマラヤですが、南半球での最高峰はアンデスです。悪魔は、ヒマラヤとアンデスに、何か大きな拠点を持っていて、世界中の人々に攻撃を仕掛けているような気がしました。私は何気なく、今回ネパールに行きましたけれど、続けて真剣に祈らなくてはいけないと思わされました。大変、意味がある旅だったと思いました。

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 これがベニでの集会です。

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 途中で長くて寝ちゃったのではなく、聖霊様に触れられてぶっ倒れてしまったのです。

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 右側は酒井彩泉ちゃん、そして、左側はネパール人の女の子です。姉妹みたいじゃないですか?彼女も大変がんばってくれました。

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 先週の日曜日は、カトマンズのネパール人教会で奉仕をさせていただきました。今、ネパールはクリスチャンが増えています。人口の何パーセントかと聞くと、人口の三パーセントだと言いました。日本は人口の〇・二パーセントから〇・四パーセントですが、ネパールでは三パーセントがクリスチャンです。だから日本に勝ったと喜んでいました。「三パーセント!私たちの国に、神の恵みがある!」と喜んでいました。

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 向こうは土曜日が礼拝なのです。なぜならば、ネパールは日曜日が一週間のスタートです。学校も日曜日から始まります。社会も日曜日から始まるのです。土曜日が休みでユダヤ教みたいで、教会は土曜日に礼拝をせざるを得ません。土曜日に礼拝をして、日曜日から始まるおかしなシステムです。恵まれた礼拝でした。

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 これは電線です。誰が配線したのかわかりませんけれど、こういう配線をしたら後から困るんじゃないかと思うんですが。

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 みなさん、この青い看板になんて書いてありますか?「ブッダエアー」と書いてあります。実は、実は、実はです。先週の今くらいの時間です。この日、私たちは最大のイベントがありました。それが何かといったら、今回のとりなしのクライマックスです。それは、飛行機でヒマラヤ連峰を巡って、上空からとりなすというプランがありました。百ドルくらい払えば一時間くらい、ヒマラヤ上空を廻ってくれるのです。私たちは朝早い便を予約して、空港に行きました。私たちはツアーを旅行社に申し込んで、どこのエアラインかは選べないのです。ブッダエアーとグナエアーがあって、私たちはグナ・エアーでした。
 しかし横のカウンターは「ブッダエアー」でした。私たちの一時間前くらいにブッダエアーのツアーは飛び立って行きました。私たちはその次の飛行でした。

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 心は踊り「さぁヒマラヤに行くぞー!」と乗り込みました。

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 「さぁ、上空から祈るぞ!これは観光じゃない!祈りですよ」とみんなに
言い聞かせました。皆、「わかった」と言いながらも、カメラを構えていました。私たちの飛行機はエンジンをふかして滑走路に出て行きました。その時刻が、七時十五分くらいでした。滑走路の中央まで来たら、離陸せずにスピードを落として向きを変えて戻って来てしまいました。「前が見えん。やめた」とアナウンスがあって帰ってきたのです。私たちは「飛んでくれー!日本から来たんだ!」なんて言っていたのですが、七時半になったらキャンセルと言われ、帰るように言われました。

 なぜかと思ったら、七時半に、先に飛び立ったブッダエアーが落ちたのです。みなさんはすでに報道で知っておられると思いますが、十九人全員亡くなられました。もしかしたら、もしかして、私たちがあの中に入ったかもしれません。実に危機一髪というか、でも、主の御名によって歩き回れと言われましたけれども、主の御名によって歩き回る時に、主が私たちを守ってくださるということを、体験させていただきました。
 でも、亡くなられた方々もおられますから、手放しでは喜べません。日本人の方も一名入っていました。なんでその飛行機は落ちたのかといったら、いろんな条件が重なったのだと思います。天候が一番大きかったと思います。それから機体の整備不良だとか、パイロットの技術だとか、いろんな要素が重なって事故が起きたと思います。
 悪魔は直接、事故には関与できなくても、タイミングをずらす働きをしているのかもしれません。
 もしも、私たちのタイミングがずれて、そっちの飛行機に乗っていたら、死んでいたはずです。でも、神の助けがあれば、落ちない飛行機に乗るのです。
 悪魔の働きは、私たちが主の名によって歩むのを外す働きです。道から外させて、タイミングをずらして、「あの飛行機は、この気象条件なら、あの機体の状況なら、また、あのパイロットなら、たぶん、落ちるぞ」とわかったら、その条件下に人々を押し込むのかもしれません。
 地震にしても、災害にしても、そうなのかもしれません。ちょっとしたタイミングの違いで、生きるも死ぬも変わります。私たちが主の名によって歩む時、悪魔によってもたらされるタイミングは外されるのです。
 今回、「主の名によって歩き回れ」と語ってくださったのは、この時のためかと思いました。

 でも日本ではパニックしたみたいです。私は飛び立つ前に、教会スタッフにメールを出そうと思いました。「今からヒマラヤ上空のとりなしに行きます。みなさん祈ってください」と。
 しかし「待てよ。今、日本は礼拝の時間だな。俺たちがネパールで遊んでいるように思われるのもいやだから、止めよ」と出すのを止めたのです。止めて正解でした。あの時にメールを出していたら、日本人が乗っていたと報道されたそうですから、大パニックだったと思います。

 でも、私たちは飛行機が落ちたことは全然知りませんでした。空港から「帰れ」と言われたから、帰ったのです。「ここまで来たのに…」なんて文句を言って帰りました。すると、私の家内から電話がかかってきて、「あぁ〜通じたー!よかった。」と家内が、いつもは出さないような声を出して喜んでいるのです。どうしたのかと聞くと、「みんな生きてる?飛行機が落ちたの知ってる?」と言うのです。そういえば、ちょっと何か聞いたなと思ったけれど、私たちはあんまり状況を把握していませんでした。でも、結構大きなニュースになっていて、びっくりしました。本当に主が助けてくださいました。

 私は名古屋のセントレア空港に飛行機が戻ってきて、着陸する時、本当に感謝しました。「主よ、感謝します。私たちを助けてくださって、ありがとうございます」と祈りました。そして、「今回、ネパールで勝ち取ったこの勝利が、飛行機が着陸したと同時に、タイヤが着地した瞬間、もたらされますように!」と祈りました。
 私は飛行機によく乗りますから、後、どのくらいで着陸するのかわかります。車輪を出して、すごい音になってきて、上昇気流がありますから機体が揺れます。私たちは中国○方航空の安いチケットで行きました。
 「主よ!車輪がタッチしたら、日本にリバイバルが始まりますように!アーメン!」と祈った途端でした。着陸中の飛行機が、再度エンジンをふかし、上昇し始めました。な、なんと、それは着陸やり直しだったのです。
 私は長いこと飛行機に乗っていますが、こんな経験は初めてでした。乗客全員、「何が起こったんだ?」と緊張しました。しかし、なんのアナウンスもないのです。中国○方航空。
 しばらくどっかを飛んで、何も言わずに、何もなかったかのように着陸して、後もなんの説明もない、中国○方航空。

 本当に最後の最後まで、戦いを感じました。大いなる勝利が表わされたに違いないと信じています。今回は命がけで勝ち取った勝利です。日本にこの秋から、大きな勝利が表されると信じます。アーメンですか?みなさん。ハレルヤ!感謝します。
 今日の午後から、この旅を共にした兄弟姉妹に証をしてもらいます。また、もう少し詳しい説明もさせていただきます。是非ともご出席ください。ネパールが勝ちとられることは、日本の勝利の秘訣であると思っています。
 今から、聖餐式をいたします。主が共におられることを確認して、『私たちの力は主にある。私たちは主の名によって歩き回る。』この御言葉を宣言して、聖餐式にあずかりましょう。一言祈ります。

 ハレルヤ。主よ感謝します。今日こうして、生きてこの場に立つことができて心から感謝します。あなたが私たちを助けてくださったことを、心から感謝します。これからも、主の名によって歩く者として、導いてください。主よ、今私たちは十字架の血潮によって、聖餐をいただきます。今からの聖餐式を祝福してください。日本にこの秋、大いなるリバイバルを与えてください。イエス様の御名を通して勝利を宣言して祈ります。アーメン。