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『"Repairer of the Bridge" 「破れを繕う者」』

2011.12.18(SUN)
Caleb Quaye師
イザヤ書 58章12節

『あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。』

 こんにちは。順先生のご紹介を感謝致します。素晴らしく紹介していただきました。私は何をしゃべっておられるのかわからなかったのですが(笑)、イエス様の御名によってそれを受け入れます。
 今まで、約二週間くらいの素晴らしいツアーをしてきました。主が本当にすばらしいことをしてくださいました。何よりも分かったのは、「いかにイエス様がこの日本を愛しておられるか」ということです。

 今朝は、主が与えてくださった御言葉を、いくつかお分ちしたいと思います。一つは、三週間程前に日本で何をお分ちしたらいいのかと、祈っていた時に与えられた御言葉です。二番目の御言葉は、私たちが福島で奉仕している時に与えられた御言葉です。
 福島で今年、大変なことが起こったことを知っています。そのことについて少しお分ちしたいと思います。私たちは、福島にある教会学校でコンサートをしました。それは私が今まで経験した中で、最も感動的なものの一つでした。同じ日に、二つのコンサートをしたのですが、特に午後のコンサートは素晴らしかったです。午後には、子供たちのためのコンサートをしました。それは、とても興味深い状況だったのですが、子供たちはみんなイエス様を信じていますが、その親御さんたちはイエス様を信じていない状況でした。
 私たちが演奏する前に、教会学校の先生たちが子供たちに、私たちのために祈るように言ってくださいました。だいたい二十人くらいの小さな子供たちがいましたが、一人一人立ち上がって、それぞれ私たちのために祈ってくださいました。それは大したことのない、ちょっとした祈りではなく、本当に真剣に祈ってくれました。子供たちがお祈りしている間に、親御さんたちは後ろに座っておられたのですが、親たちが涙を流していました。私たち、バンドメンバーも涙を流しました。この子供たちがイエス様を礼拝している姿は、本当に素晴らしいものでした。
 放射能の呪いといってもいいような中にある町において、子供たちや人々の写真を撮ってはいけないと言われました。なぜならば、人々は本当に大変なストレスの中に暮らしているからです。もう空気の中にストレスが感じられるほどでした。まるで空気が変わったにおいがしているような感じでした。教師の一人が話してくださったのですが、人々は本当に疲れきっていて、買い物とか必要がなければ家の外に出ることもないと言っていました。
 夜には大人のためのコンサートをしたのですが、子供たちもまた来ました。この子供たちが夜のコンサートに戻って来たのは、彼らが私たちが演奏をしている時に「天使が見えた」と言ったのです。私たちがこの子供たちのために、午後に演奏した時に、主の臨在を感じて、天使がいたことも納得できました。

 夜のコンサートの途中のことですけれど、ジョンさんが「明日に架ける橋」という歌を演奏している時、神の言葉が私に来ました。ジョンさんの歌の後、私がしゃべることになっていて、私もステージの上に立っていました。ちょうどその時、主は、はっきりと語ってくださいました。「この人々に『わたしが破れを繕う者だ』ということを言いなさい」と。
 この御言葉が与えられた状況を知っていただきたいと思います。原子力の危機の中にある福島でコンサートをしていた中でした。福島では原子炉が大きく損傷していました。神様がこの御言葉を語ってくださった時、すぐにぴんっと来たのは、英語で、原子炉の事故のことを専門用語で「炉心が破れた」という言い方をすることです。イエス様はこの人々に、イエス様こそが破れを繕ってくださる方だ、ということを知らせたいと思われました。
 私が御言葉を語った後に、明先生がメッセージをしてくださって、その時に多くの方々がイエス様を受け入れたのですが、その中で、子供たちの親御さんの一人が聖霊のバプテスマを受けました。聖霊が一人のお母さんの上に臨まれ、体が震えて、皆で彼女のために祈っていたのですが、彼女は聖霊のバプテスマを受けました。瞬間的に、このお母さんは神道の世界から使徒行伝の世界へと移されたのです。

 そして、私たちが福島を出て三日目に、大阪にいる時にニュースで日本の首相が「原子炉はもう大丈夫だ」という宣言を出したことを知りました。ですから、私たちの音楽を通しても、主がそれを用いてくださって、要塞を打ち壊し、状況を変えてくださったことを感謝しています。アーメン。

 この御言葉についてさらに語っていきたいと思います。そのような御言葉を通して、福島という場所を通して、私はアダムの姿を見ていました。アダムはエデンの園から追放されてしまったわけですけれども、それはなぜかといいますと、彼は神様との関係を破ってしまって、この地上を裁きの下へ、呪いの下へ、置いてしまったからです。
 この「破れ」という言葉は、何かが壊れてしまった状況を表しています。人類はアダムから出てきたわけですが、私たちは皆、神様との関係が破れてしまった状況で生まれて来てしまっています。そして、私たちはこの破れを繕っていただくこと、回復していただくことを、切に必要としています。ここでイエス様が登場するわけですけれども、第一コリント人への手紙十五章二十二節、

『すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。』

とあります。同じ章の四十五節にはこのようにあります。

『聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。』

 この最後のアダムであるイエス様は、今日も、この日本において同じお方であり、破れを繕ってくださるお方であるのです。
 多くの人々にとって、日本におきた地震、津波、原子力事故というのが、神様からの裁きのように感じられるかもしれません。けれども私たちが覚えなければならないのは、神様はご自分がお造りになった被造物に対して、最初に目的と意図を持っておられるわけです。けれども、それが壊れてしまった場合には、裁きをする権利があるということです。詩篇二十四篇一節にはこのようにあります。

『地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。』

 ですからすべての被造物、人間も含めて、すべての造られたものは神様に属しているのです。しかし被造物が、神の最初の目的から離れてしまった場合、破れてしまった時には、神はそれを修復されるお方なのです。
 けれどもここで神様からの良い知らせがあります。神様は確かに地とそこに満ちているすべての被造物を裁かれるお方ではありますが、聖書はまた、『主は良い方であり、またその憐れみは尽きることがない』とも書いてあります。多くの人々はイエス様を知らないで聖書を読んだ時、そこに書かれている神様の姿は、いつも怒っている神様であり、災いをもたらす神様として、拒絶してしまうことがあります。しかし、そうではありません。

 三週間前に神様の御言葉が私にきて、人々に「こう言いなさい」と語られました。ヤコブの手紙二章十三節、

『あわれみは、さばきに向かって勝ち誇る』

 聖書の中には多くの場合、神様がイスラエルを裁かれたという記事があります。神様はイスラエルに、裁きを下して、彼らを建て直そうとしました。それは彼らが偶像礼拝の罪を犯したからです。けれども、神様がイスラエルを裁かれる時には、同時に、あわれみの手をも差し伸ばしてくださっているのです。今日、神様はそのあわれみの御手を、私たちにも差し伸ばしてくださっています。
 今朝、ヘブル人への手紙四章十六節の御言葉を思い起こさせてくださいました。

『ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。』

 イエス様は十字架の死、それから復活を通して、私たちに素晴らしいことをしてくださいました。ですから、今、イエス・キリストにある者は大胆に、神の恵みの御座に近づいて、おりにかなった助けを受けることができるのです。
 ここにおられる方々の中に、もしかしたら心の奥深くに、どこか心が破れてしまっているのを感じておられる方がいらっしゃるかもしれません。心の中に戦いがあるという方がおられるかもしれません。もしかしたら、みなさんの中には、先祖代々の宗教と真の神にある、豊かないのちの間に引き裂かれるような状況の人もいるかもしれません。イエス様はあなたに、恵みとあわれみの御手を差し伸べています。

 イザヤ書のテキストに戻りたいと思います。ここで神様は二つの興味深い言葉を使っておられます。この聖句の文脈は非常に興味深いものです。この章の前のイザヤ書五十七章では、神様はイスラエルに対して偶像礼拝のむなしさについて教えておられます。そしてこのイザヤ書五十七章では、神様はイスラエルに対して、偶像礼拝の行き着く先は死だ、と語っています。そこから戻ってくるようにと、神は呼びかけています。そしてイスラエルを造られた最初の意図、目的に戻ってくるようにと語られています。
 そして、五十八章にいきますと、神は「断食」について語っておられます。偶像礼拝のためにイスラエルが陥ってしまった束縛から解かれるために、断食をしなさいと語られています。「断食」は何を意味するのかといいますと、私たち自身をこの世から切り離して、神のものとするということです。神様は自分を切り離して、ご自分に来る民を求めておられます。
 ある人がイエス様に対して「わかりました。あなたの御言葉は真理であることを認めます。どうすればいいかは分かりませんけれども、今、ここにあなたのために、私はおります」と、もし言うならば、今までの偶像礼拝をすべて捨てて、世の初めに神様と共におられた御言葉なる方に「はい」と決意をするならば、そういう人を神は祝福してくださるのです。なぜなら、神が人類を造られた、そもそもの目的は、私たちを祝福することだからです。実を結び、そして増え広がっていくことです。

 私はこの教会が私は大好きです。なぜなら、この教会は実を結ぶこと、増え広がることがどういうことであるかを知っているからです。明先生とツアーを共にさせていただくことは本当に楽しいことです。そして、先生のお話を聞くことも。どのように神様が先生を祝福されたかを聞くことも。どのようにして先生が実を結び、増え広がってきたかということも。七人のお子さんたち、二十一人のお孫さんたち、そして更に増え広がっています。これは神様が良いお方である生きた証しです。神様の祝福の証しでもあります。

 最初にお読みした、十二節の御言葉に戻ります。ここで神様は、今まで偶像を拝んでいたイスラエルに対して呼びかけておられるのですが、ここで神様が言われているのは、『「あなた」が破れを繕う者となる』と語りかけておられます。それは私のことでもあり、みなさん方お一人お一人のことでもあります。

 しかし、ちょっと待ってください。一章前では、私は偶像礼拝者と言われていたじゃないですか。ここで神様が言われているのは、『もしあなたがわたしに向くならば、わたしはこの破れを繕う者、市街を住めるように回復する者である』と言ってくださっているのです。
 ここで神様が言っておられるのは、神様は、私たち一人一人を、この国の破れを繕い、この町の壊れたところを回復する、そういう者として用いてくださるということです。
 ここでは二つの言葉が使われています。この「繕う」という言葉は、「修正する」、「償う」、あるいは「間違ってしまったものを正しく直す」という意味があります。そして「回復する」という言葉は、「元々の標準的な状態まで戻す」ということ、また「健康で活力に満ちた状態まで戻す」ということを意味しています。
 これは辞書に書いてあった定義ですけれど、聖書の中で神様が「回復される」と言われる時には、ただ単に最初の状態に戻ることではなく、元の状態よりももっといい状態にしてくださることを意味します。イエス様が聖書の中で最後のアダムと言われているのは、イエス様は最初のアダムよりもはるかに優れたお方であるということです。
 イエス様は、平和の君と呼ばれ、王の王と呼ばれ、主の主と呼ばれ、その他にも素晴らしい称号を持っておられます。「彼こそは〜He is〜」という歌をこのツアーの中でも歌ってきましたけれど、その歌で歌われているのは、いかにイエス様が驚くべきお方であるかということです。素晴らしいお方です。超自然的なことをなされるお方です。信じられないほど素晴らしいお方です。
 みなさんの中で、イエス様を心に受け入れてから「私は全く人生が変わりました」という方、手をあげてみてください。これはイエス様がしてくださったことです。イエス様を信じる時に起こることは、問題が解決していつもの生活に戻るということではなく、栄光から栄光へと変えられていくのです。そして神は、みなさんお一人お一人に対する計画も持っています。成功と勝利のための計画も。これが神様が日本に対して持っておられる計画なのです。

 どのようにして神様は、そのことをなされるのでしょうか。イザヤ書の御言葉は、偶像礼拝に陥っていた旧約時代のイスラエルに対して語られている言葉ですが、同じ言葉を神様は偶像を長いこと拝んできた、この国の人々に対しても語っているのです。イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも同じである、と信じる方はどのくらいおられますか?
 みなさんのために良い知らせがあります。神様が私たちを回復して、元々持っておられた計画に従った者に作りかえてくださるわけです。
 そこで私は、神が日本に対して、そもそもどのような計画を持っておられるのかということをお伝えしたいと思います。神様が日本に対して持っておられる元々の計画というのは、アブラハムに与えられた諸国の民を祝福するという、最初の祝福を受け継ぐ者となるということです。

 神様が、創世記十七章のところでアブラハムを祝福された時、神様はこの日本のことも見ておられました。創世記十七章四節、

『わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。』

 ここの『多くの国民』と書かれている元々のヘブル語は「たくさんの国々」という意味があります。ヘブル的な考えの中では、その言葉は「地上の全ての国々」ということを意味しています。そして神様は、ガラテヤ人への手紙三章十三節〜十四節のところでも、神の国の福音の中に、この日本も含めておられたのです。素晴らしい御言葉ですので、読みたいと思います。

『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。』

 そして同じ章の二十九節には、こうあります。

『もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。』

 神様は日本に対して、この国が祝福され、実を結び、増え広がり、キリストにある豊かないのちを持つことを願っておられます。同じことをアメリカに対しても願っておられます。イギリスについてもです。けれども、そのためには、私たちは偶像から離れて、生ける神様に向かわなければなりません。
 けれども、みなさんの中には、「どのようにして、私が何かを回復したりする働きができるだろうか」と疑問に思っておられる方もいるかもしれません。
 コロサイ人への手紙一章二十六節〜二十七節に、キリスト教がどういうものかということが表されています。私はこの箇所が大好きです。

『これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。』

 クリスチャンであるということ、キリストに従う者となること、それはただ単に教会に行くという、それ以上のものがあります。誤解しないでいただきたいのですが、地域教会を私は大好きです。私自身、牧師でもあります。けれども、クリスチャンであるということは、それよりもはるかに多くのことを意味しているのです。また私はワーシップチームの一員として賛美をしたり、賛美を指導したりすることが大好きですけれども、それ以上のものがあります。
 それは、イエス様を死者の中から起こされた同じ御霊が、今、私の内におられるということです。そしてこの同じ聖霊様が、私と神様との間の破れた関係を繕ってくださる、そして私たちが一度聖霊を受けるならば、今度は他の人たちが持っている破れをも繕うことができるようになるのです。このようにして、神様は日本にある破れを繕おうとしておられます。

 福島で起こっていることは、単なる初めであると思います。それは「しるし」です。このキリストにある恵みによって、呪いの下から出て行くことができる。そのことがどのようにしてなされるのでしょうか。それは、イエス様という方が、どのようなお方であるのか、何をなしてくださったかを信じる、それだけです。
 ヨハネの福音書三章にはニコデモという人が出て来ます。彼はイエス様にこういう質問をします。基本的に彼が言っていることは、「あなたは神から来られた方であることを信じます。しかし、私たちはどうしたらいいんですか?」ということです。
 それに対するイエス様の答えは、「あなたは新しく生まれ変わらなければならない」ということです。そのようにして破れが繕われていくのです。

 最後に、明先生がツアーでも語っておられた御言葉を持って、終わりたいと思いますけれども、ヨハネの福音書三章十六節です。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 このような「永遠のいのち」という賜物は、どんな偶像も与えることのできないものです。どんな寺もそんな宝を持っていません。どんな先祖伝来の慣習も、永遠のいのちを与えることはできません。ただ、十字架の上で死んでくださり、よみがえってくださり、天に昇られたキリストだけが、この永遠のいのちを与えることができるのです。
 これで説教は終わりですけれど、聖霊様が一人一人の心に語りかけてくださっているように感じます。もしこの中に、たったお一人でも心の中に破れがあるという風に感じておられる方がおられるならば、その方に言いたいと思います。イエス様があなたの破れを繕ってくださる方です。

 もしあなたが望むなら、私は喜んでイエス様を受け入れるお祈りを導いて差し上げたいと思います。イエス・キリストを信じるということは、今までの偶像から離れて、イエス・キリストに向かってこう言うことです。「主よ、あなたが神の子であり、私のために死んでくださり、よみがえってくださった方であるということを信じます」と。
 そして、「今日、私はあなたのあわれみと、ただで与えられる救いの恵みをいただきたいと思います」と言うことです。

 そして、イエス様が言われたのは、「私たちが地上で心を合わせるのならば、天においてもそのことがなされる」ということです。ですから、そのような方がおられたら、その方と一緒に、心を合わせたいと思います。この教会が普段どのようにしておられるかわかりませんが、今、みなさん頭をたれていただいて、イエス・キリストを受け入れたいという方がおられましたら、ただ静かに手をあげて、知らせていただきたいと思います。
 「私の心の中には破れがある。私はこのイエス様が必要だ。」そういう方がおられたら教えてください。
 手をあげた方が見られます。アーメン。他にいらっしゃいますか。イエス様が必要であるという方。私はこの古い生活から離れて、新しい生活に変わるという方。

 今朝、手をあげておられる方々を感謝します。そして、このことを示してくださった聖霊様に感謝します。そして彼らを暗闇からあなたの御国へと呼び出してくださっていることを感謝します。彼らを御国の息子たち、娘たちとして宣言します。イエス様がどのようなお方であるか、また何をなしてくださったかということを信じることによって、ここにいる方々と心を合わせます。あなたの十字架と復活を信じるこの決心を通して心を合わせます。
 あなたは天に上られ、彼らのために父なる神様の前で、彼らを代表してくださっていることを宣言します。あなたの御霊によって、今日、この破れが、破れている心が、繕われたことを宣言します。そして、彼らの家に今日、救いが訪れたということを、イエス・キリストの御名によって宣言します。アーメン。

 主よ感謝します。主に感謝の拍手を捧げましょう。

<順師>
 どうもありがとうございました。ケイラブ先生のメッセージは、いつも預言的なメッセージを語って下さいます。今日も、福島のことから語られましたが、神が世界にあるすべての所有者であり、創造の最初からすべてに計画をお持ちだと語られました。しかし、もしも被造物が神の計画から外れた場合、神はそれを元に戻す権利があると語られてたのが、すごく印象的でした。
 日本に今年いろいろなことが起こりましたが、日本に神は元々計画をお持ちで有り、日本が計画から離れた場合、神はそれを元に戻す権利があるのです。しかし、その回復は、初めのアダムよりのアダムの方が優れているように、回復した時には、元以上に回復してくださるというのです。裁きより、あわれみの方が勝っていると語られました。
 日本は偶像礼拝に縛られている国ですが、それは神の目的ではありません。一度は壊されても、やがて回復され、多くの破れを繕う優れた国に変えられるのです。大変重要な内容を含んでいたメッセージであったと思います。
 主がこれを、ケイラブ先生に福島で直接語ってくださったそうです。今日はそのことをシェアしてくださったのですが、この国に元々ある目的が回復されるように祈らなければなりません。クリスチャンというのは、すでに回復された者たちですから、国の目的が回復され、さらに、それ以上に回復されるように祈っていきたいと思います。
 それは個人から始まります。しかし、それはやがて国にもたらされるのです。主が日本にそのようにしてくださるように、ご一緒にもう一度お祈りしましょう。
 今日もアブラハムの祝福について語られましたけれど、さらに優れた回復となって日本にリバイバルが起こるよう、ご一緒にしばらくの間お祈りしましょう。