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「あなたは神の国の大使です。」

2010.11.14(SUN)
新城教会牧師 滝元 順

第二コリント人への手紙 5章17節〜21節
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。


 ハレルヤ!みなさんおはようございます。今日はみなさんの前でメッセージを語らせていただけます特権を、心から感謝します。
 早いものでもう11月になってしまいました。この間、新年聖会をやったと思ったのですが、もう11月です。そしてもうすぐクリスマスです。1年過ぎるのが大変早いです。
 少し寒くなってきましたけれども、みなさんお体を大切にして下さい。そして主に近づいていきたいと願っています。

 私は2週間前、沖縄にいました。沖縄は半袖で過ごしていました。観光客はホテルのプールで泳いでいました。ちょっと大丈夫かなと思いましたが。日本と一口に言っても広いですね。沖縄のみなさんと、いろいろな場所にとりなしに行ったら、蚊がいっぱいいて大変でした。
 また先週は、韓国の北、春川という街に行きました。そこの朝の気温は零度以下でした。夜なんか霙まじりの雨が降ったりして、本当に寒かったです。それで日本に帰って来たので、結構暖かいように感じました。

 今日は「あなたは神の国の大使です」というタイトルで、語らせていただきたいと思います。

 話は変わりますが、昨日はここで結婚式が行われました。「新婚さんは礼拝に来てますか?来ていますね。拍手してあげてください。」結婚式の写真を一枚お見せします。
 きれいですね。みさきちゃんは、宝ジェンヌみたいです。宝塚の二人が結婚したような感じです。
 主への信仰の中で出会い、結婚まで導かれるのは、素晴らしいです。この教会から新しいカップルが多く生まれるといいなと思っています。是非とも、祈っていただきたいと思います。

 先週は、韓国に行ったんですが、写真をあまり撮らなかったのですが、少し写真をお見せします。
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 来年五月に韓国でもう一度、「韓国リバイバルミッション」があります。5月の24日から26日まで春川と言う、冬ソナで有名な街でミッションがあります。祈っていただき、今からお金を貯めて、春川リバイバルミッションに参加する準備をしましょう。
私は一週間向こうにいて、リバイバルミッションの準備の集会をしたり、街にある教会の先生方とお交わりをしたりしました。先週の日曜日は、3つの教会をはしごして、違う教会をまわって集会をしました。
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 セミナーもやったりして、毎日のように集会をやりました。
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 霊的戦いセミナーもさせていただいたり、本当に良かったです。今回は若い先生方が中心となっていろいろとやってくださいます。

 今日は、「あなたは神の国の大使です」というタイトルで、お話をさせていただきます。昨年は韓国リバイバルミッションがあって、そのための準備の働きをさせていただいたんですが、日本にある韓国の大使さんとも会い、「日本が中心となって、韓国でこんな集会をやるんですよ」とご案内させていただきましたし、また、韓国には日本大使館があり、そこにも行き、日本から派遣された大使さんに会って、「今度、日本の教会が中心となって、韓国のために集会をやるんですよ」とご案内させていただきました。一時間くらいお交わりさせていただきました。
 大使とは、ある国から他の国に全権を託されて派遣される、重要なポストです。同様に私たちクリスチャンも「神の国の大使」として、遣わされている存在です。その事が、今日の御言葉の中に記されています。
コリント人への手紙第二 5章17節は、大変有名なみ言葉です。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 素晴らしい言葉ではないでしょうか。イエス・キリストを信じたら、新しい創造が起きるのです。神は天地創造を全て完成されたのですが、もう一つ、その完成の業を保留にされている部分があります。それが何かというと、人がイエス・キリストに出会って救われるその瞬間です。その時に、新しい創造が起きるというのです。
 「キリストにあるならば、その人は新しく造られた者です」とありますけれども、新改訳聖書の欄外に注釈があり、「新しい創造」と説明されています。なんと、新創造がそこで起きるというのです。そして、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と言っています。
 イエス・キリストを信じるとは、新しい創造が人生に起こっている、始まるということです。そして、それだけでなく、第二コリント5章18節、

これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

 実は私たちがイエス・キリストを信じる前、神と人間はどのような関係にあるかと言うと、「対立関係」にあるというのです。神と対立関係になったら大変です。世界の国々でも、ある国とある国が対立関係になって戦争になることがあるのですが、軍事力が勝っている国が勝利します。神と人が対立関係になったらどうでしょう。これは大変なことです。創造主が敵となるなど、考えただけでもぞっとします。イエス・キリストを信じる前は、神と敵対関係だと言うのです。
 しかし、イエス・キリストを信じると、イエス・キリストの十字架と復活によって、神との和解が成立するのです。神様と仲直りするのです。「もうあなたとは敵じゃありませんよ。」と和解して、そればかりか、和解の務めが私たちに託されるというのです。なんと、神との和解を推進する役割まで与えてくださるのです。
 5章20節、「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです」とあります。この「使節」という言葉は「大使」とも訳す事ができます。エペソ人への手紙では「大使」と訳されています。
ここで、「私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」とありますが、このメッセージを携えて出て行く、大使であると聖書は教えています。

 そもそも、「大使」というのが、どういう意味かと言うと、英語では「アンバサダー」と言います。ハワイ・リバイバルミッションの時、「アンバサダーホテル」というホテルによく泊まりました。相当いいホテルかと期待したのですが、一番安いホテルで水もよく出ないようなホテルでした。なので、「アンバサダー」という英語はイメージが悪いのですが、訳すと「大使」です。

「大使」とは、正確に言えば、「特命全権大使」と呼びます。その意味は「外交使節団の長で、最上級の階級である。接受国の元首に対して派遣され、外交交渉、全権大使としての条約の調印、署名、滞在する自国民の保護などの任務を行う」と説明されていました。その権威は相当なものです。一国を代表するポジションが大使に置かれているのです。
 「大使館」には行ったことがないかもしれませんけれども、韓国にある日本大使館に行きましたら、やはり警備がすごく厳しくて、高い塀の中に大使が住んでいました。大使が住む場所を「大使館」と言います。大使館とは、どういう場所かと言いますと、これは国際法において、「外交特権」を有しています。
「その敷地は不可侵とされ、派遣された国の官権は同意なしに立ち入る事ができない。また租税などについても、本国の領土と同じ扱いを受ける」というのです。なんと、大使が住んでいる大使館は、例えば、韓国にある日本大使館ならば、その敷地内は、全く日本と同じ扱いなのです。だから、いくら韓国にあっても、アメリカにあっても、日本大使館の敷地内には、警察や軍隊は同意なしに、入ることが出来ないのです。その国の税金制度も、全く関係ないらしいのです。全てが、本国に準ずるというのです。すごい外交特権があります。

 私たちクリスチャンは、「神の国の大使」だと言うのですから、どういうことでしょうか?私たちがどんな場所に住んでいても、私たちは、神の国の外交特権の中で守られているのです。ですから、みなさんの同意なしで、サタンや悪霊どもは決して侵入することはできないのです。
 しかしその条件は、「同意なしに」というところです。逆に言えば同意があれば、入って来るということも知らなければなりません。
実は、私たちが神の大使として派遣されている国とは、どういう場所でしょうか。
ヨハネの手紙第一 5章18節〜21節、

神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。

 大使や大使館という説明と、このみ言葉を突き合わせると、よく理解出来るのではないでしょうか。私たちは、神からの守りを受けているので、悪い者は触れることはできないのです。しかし、この世全体は悪い者の支配下にあるというのです。
 私たちが住んでいる「世」は、みんな一生懸命に努力していますけれども、どんどん悪い方向に向かっています。十年前と比べたなら、本当に悪くなりました。
昨日も結婚式でお話しさせていただきましたけれども、離婚率も本当にアップして、2005年の統計でお話しましたが、四割近くが離婚するというのです。これは、かつてでは考えられない数字です。
 みんな愛し合って結婚するんですが、うまくいかなくなって壊れてしまうのです。これは夫婦間の問題だと片付けられてしまうのですが、そうではありません。この世が、悪魔の支配下にあるが故に、一生懸命夫婦が愛し合って、家族が一つになっていこうと努力しても、壊れてしまう状況があるのです。
 聖書が語っているように、私たちが住んでいるこの世は、悪魔の支配下にあるのです。
しかし、そんな直中に住んでいても、私たちは神の大使であり、我々が住む場所は、大使公邸ですから、「悪い者は触れることができない」のです。私たちはそのような立場を、神から与えられていることを、確認しなければなりません。

第一ヨハネ5章20節に、イエス様についてこのように書かれていました。

『この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。』

 イエス様は、人となられた神です。「この方こそ、まことの神、永遠のいのちです」とあります。私たちがイエス様を見るならば、神を見たことになります。
では、イエス様をどうやってみるのでしょうか?聖書に、イエス様が地上で何をなされたかを見ることができます。聖書を学ぶなら、それは神と出会ったことになります。
 「この方こそ、まことの神、永遠のいのちだ」とありますから、私たちがイエス・キリストを信じる先には何があるのでしょうか?それは、「永遠の命」です。

 最後は、唐突に「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい」と記されています。偶像が、相当、この世と悪に繋がっているのです。日本には偶像がたくさんありますけれども、それが、この世の神であり、背後に悪魔・悪霊どもが潜んでいるわけです。そのことをここで警告しているのです。
私たちは、そんなような環境下にあって、神の大使としての務めが任じられているのです。
コリント人への手紙第二 5章19節〜20節、

すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

 私たちは、神の国の大使として、この世に向かって何をすべきかと記されています。イエス・キリストに代わって、この世に向かって叫ぶのです。「神の国の和解を受け入れてください!」というメッセージを、発信する役割があるのです。

 実は、私は2週間前に沖縄に行きました。沖縄に行きますと、やはりこの本土とは違った歴史があり、感情もあります。戦争をくぐり抜けた方々も多くおられますが、その方々ならばご存知だと思うのですが、太平洋戦争の後半、戦争が終わる前に、日本が本土決戦を避けるために、沖縄に連合軍をおびき出したと言われます。もちろん、そのことに関してもいろんな視点や評価もありますが、一般的にはそう考えられています。そして、本当に多くの民間人が沖縄で犠牲になりました。10万人以上の人たちです。島中が戦場となりました。
 その中でも一番悲惨だったのが、沖縄に行きますと、「壕」という洞穴がありますが、そこに住民は隠れました。そこに連合軍が攻めて来て、まずは何をしたかと言ったら、「みんな出て来い。出たら助けてあげる」と言ったそうです。民間人ですから「出て行きたい」と思ったことでしょう。しかし壕の中には民間人と一緒に、日本兵たちが入っていて、「おまえら出て行ったら殺す」と言って、なんと日本の兵隊たちに沖縄の方々が大勢殺されました。そんなこともあり、なかなか本土との軋轢があるわけです。
 戦争が終わった時、「もう戦争が終わりました。壕の中から出て来てください」と言っても、出ることを拒んで滅びて行った人たちも大勢いました。日本人は、捕虜になって辱めを受けるくらいなら、自決しろと言う教育を受けていましたから、自決する人がたくさんいました。本当に悲しいことです。

 ある意味で、神と私たちの関係も、同じ様なところがあると思います。もうイエス様は2000年前に十字架にかかって、復活してくださって、人類の罪の身代わりとなって、全てを解決してくださいました。今まで、神と人類が敵対関係にあったのを、全て解決してくださいました。ゆえに、私たちが壕の中に隠っていないで、出て行くならば、永遠の命を得ることができ、神との和解を受けるだけでなく、神の大使にまで昇格してしまうのです。そんなポジションがあるのにも関わらず、なかなか壕から出られない現実があります。
 日本においては、悲しいことに、99パーセント以上の人たちが「さぁ、神との和解を受け入れてください。イエス・キリストを信じたら、永遠のいのちが与えられますよ」と言われているにも関わらず、出ることができません。
 なぜ出ることが出来ないかというと、洞穴の中には、この世の君であるサタンとその子分たち、悪霊どもがいて、「外に出るな!出たら殺すぞ」と脅しをかけているからです。しかし神は全てを用意して、私たちを招いてくださっているのです。

私たちがイエス・キリストを信じたら、大使の務めを果たさなければいけないのです。まもなくクリスマスが来ますが、クリスマスは、壕に潜んでいる人たちが洞穴の蓋を少し開けて外を見る季節です。日本人はアマテラスみたいに隠っていて、なかなか岩戸から出て来ないのですが、クリスマスになるとちょっと顔を出します。この季節にこそ、私たちは和解の務めを果たさなければなりません。「神との和解を受け取ってください!」と語る時に、人々は救われ、永遠の命を受けることができます。
 全ての人たちにこの素晴らしい救いのメッセージを提供する役割が託されています。
コリント人への手紙第二 5章10節、

なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

 これはある意味、厳粛な言葉です。私たちはこの地上に生かされているのですが、各自、行動の全てに責任を持たなければなりません。私たちが神の前に立った時に、「各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる」とあります。「善であれ悪であれ」と、神は全てを評価されるお方です。神はこの地上に、人を無秩序に放っておかれる方ではないのです。この事に関して、イエス様も、次のように言われました。
マタイによる福音書 16章24節〜27節、

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行いに応じて報いをします。

 私たちは、今、人生を歩んでいるのですが、やがて神の前に出て、善であれ、悪であれ、評価があることを知って行動すべきです。「自分の人生だから、そんなの自由じゃないか、何したって自由だ」ではなく、やがて神の前に立つ日が来るのです。ですから、「神との和解」が一番重要です。イエス・キリストを信じるなら、神との和解が成り立ちますから、罪があっても、罪赦されて、神の前に立つことができるわけです。
 もしも神と和解がなくて人生が終わり、神の前に立った時には、言い訳をすることができません。なぜなら、神と敵対関係にあるわけですから、そのまま永遠の滅びの世界に入ってしまうのです。そこではどんなことが起こるのか?本当に恐ろしいです。
でも、私たちが神と和解して、神の前に立つ時には、神から大きな栄誉をいただくことができるはずです。

 実は、「和解の務め」ですが、私は韓国に行きますと、別に私は日本を代表しているわけでもないのですが、人というのは、一旦自分の国から出ると、国を代表する立場に置かれるのを体験します。
 日本と韓国は、本当に近いです。九州の長崎県に属する対馬があるのですが、対馬から韓国・釜山まではたったの40キロです。そんな近い場所にあるんですが、四十キロをなかなか乗り越えることが出来ません。「最も近くて、最も遠い国」という表現もあります。
実は、今年は2010年ですが、日本と韓国の間においては、一つの歴史的な節目の年でもあります。それは、何かというと、「日韓併合100周年記念」です。
 今から、百年前に日本が朝鮮半島を支配した歴史があります。日本が30数年に渡って、その土地を支配しました。どんな支配をしたかと言うと、まずは、彼らの言語を取り上げて、日本語教育をしました。それと共に、「創氏改名」と言って、名前も日本名に変えてしまい、朝鮮半島に神社を千五百程、作りました。どこの町にもどこの村に神社を作り、創氏改名とは、神社のメンバー、氏子にするという意味でした。それは植民地支配というより、霊的支配だったのです。
 そして、朝鮮半島の人々の財産を奪い、多くの人を徴用して、日本で重労働にあたらせました。今、北海道に行きますと鉄道が整備されていますけれども、あの広大な土地に鉄道を敷くのはたいへんな苦労ですが、朝鮮半島から、台湾から、アジアのいろんな場所から人々を連れて来て辛い工事にあたらせました。また鉱山に入れて、鉱石を掘る仕事をさせたり、様々な奴隷のような扱いをしました。そして、戦争が終わりました。
 日本は戦争に負けましたから、何も出来ませんでした。今、北方領土が問題になっていますけれども、あの辺にも大勢の朝鮮の人たちを連れて行きました。日本が戦争に負けて、あちらはソビエトにとられましたので、みんな現地に残留しました。本当に悲惨なことがいろいろ起こりました。ですから、お隣の国に行くと、やはり日本人を見る目が厳しいのです。
今回私が行った教会は、今までとは違いました。招かれて行く教会とは違い、私のことを良く知っている教会ではありません。来年の春川リバイバルミッションのために、準備のメッセージでした。初めて出会う方々ばかりでした。「日本人は初めてだ」という教会でした。そういう所に立つのは、なかなか厳しいものがあります。針のむしろという言葉がありますが、緊張感があります。向こうも少々構えておられますし、こちらも構えてはいけないのですが、なんとなく緊張があります。
 一番緊張するのは、やはりお年寄りたちに会うときです。なぜなら、みんな日本の直接的支配を体験しているからです。「そんな支配などありませんよ」なんて言えないわけです。皆、何も言わないけど、日本語を聞くことができるし、話せる人も多いのです。大体、80以上の方々は日本語を理解出来ます。そういう所でメッセージをするのは、なかなかたいへんです。「主よ、どうか助けてください」という感じです。聖霊様に導かれて話さないと、私のちょっとした言葉で、みんなを傷つけてしまうことにもなりかねません。そうしたら、和解どころか大変なことになりますから、いつも祈りながらメッセージを語ります。先週の日曜日は、二つの全く新しい教会で奉仕しました。紹介して下さった先生が、「先に順先生に言っておきますけど、あんまり日本に対する感情はよくないかもしれませんが、がんばってくださいね」と脅されて行きました。
 でも、メッセージが終わって一番嬉しいのは、若い方々と言うよりも、お年寄りが「本当に今日は恵まれました。メッセージを聞いていて、本当に癒されました」と言って、硬い表情ではなく、にこにこして、近寄って来てくださる瞬間です。それほど嬉しいことはありません。私は神の国の大使として、和解の務めとして来たという実感を持つのです。

 これは私の役割ではないかと近ごろ、思うのですが、誰にでも同じ立場が与えられています。どこにいても、どのような立場においても、「和解の務め」が、与えられています。会社においても、学校においても、家庭においても、「和解の務め」の使者です。究極的には「神との和解」の使者ですが、私たちは「平和の使者」として遣わされなければなりません。
 対立の中に温存されている「憎しみパワー」は、ある意味、本当に大きく、恐ろしいものです。
ヤコブの手紙 3章14節〜16節、

しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。

 今、本当に世間が乱れていて、邪悪な行ないが蔓延っていますけれども、なぜ社会が悪くなっているのかと言うと、様々な理由がありますが、ヤコブが語っているのは、「ねたみ、敵対心が原因だ」と言うのです。
「敵対心」とは、イコール「憎しみ」です。私たちも生活の中で、憎しみが生じやすいのです。しかし、その憎しみ、敵対心があったら威張ってはいけないと言うのです。それは、どういうところから来るのでしょうか?憎しみは地に属し、肉に属し、悪霊に属するものであり、それがあると、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないが、結果として発生するというのです。
 憎しみには、もちろん正当な理由があるのですが、それがあると、社会がどんどん悪くなるというのです。

 プレイズ出版で出されている本で、この教会にも来てくださった大変有名な世界的伝道者アルゼンチンのカルロス・アナコンディア先生の「サタンよ!よく聞け!」という本があります。私はその本が大好きなのですが、「サタンよ!よく聞け!」とサタンに宣言している本です。
 その本に書かれている証しは、すごいです。昨日も少しそれを読んで、長い間、読んでいなかったので感動しました。

 ある一人の少女がいましたが、彼女は少し寂しかったようです。彼女には、ある一人の憧れのロック・スターがいて、ロックスターの写真を壁に貼って、いつも寝る前には、その写真に向かって話しかけていたそうです。そうしたら、しばらくしたら、なんと、そのポスターから声が聞こえるようになったというのです。
ある時に、アナコンディア先生の聖会が近くの街であったらしいのですが、「おまえはあのアナコンディアの聖会に行きなさい。そして、按手の時間があるから、その時間に按手をしてもらうフリをして、ポケットにナイフを忍ばせて、アナコンディアを殺せ」という、そんな指示をもらったと言うのです。
現在はコンピューター社会で、仮想空間の人格に恋をしたりとか、憧れたりとか、ポスターに話しかけたりとか、案外あるようです。それは危険な行為です。そういう中で聞こえる声は、サタンの声なのです。
彼女は、「殺せ」と言われたので、ナイフを持って、先生に近づいて行ったそうです。しかし、何が起こったかと言ったら、少女が先生に近づいただけで、聖霊の力で吹っ飛ばされて、なんと解放の部屋に連れて行かれたというのです。そして、祈ってもらって、そのことを告白して、ナイフを置いて帰って行ったというのです。
 アナコンディア先生の家に行きますと、武器のコレクションがあるというのです。ピストル、ナイフ、いろんな武器のコレクションがあるそうです。なぜそんなものがあるかと言うと、皆、解放のテントの中で捨てて行った物だというのです。みんな武器を捨てて帰って行くから、武器のコレクションが先生の家には出来たというのです。
 私は、アナコンディア先生の家に一回招いていただいたことがありますので、それを早く知っていたら、コレクションを見せてもらったのですが…。

 その本の中で、「憎しみが一番手強い」と書かれていました。いろんな悪しき力の束縛があるけれども、「人の一番大きな問題は、心の中にある憎しみだ」と記されていました。
 結局、その少女も、いつも憎しみを持っていた故に、ポスターに話しかける中でサタンの声が聞こえるようになったのです。憎しみは手放さない限り、幸せになることができません。実に、私たちが生きている社会は、憎しみに満ちた社会です。憎しみのメカニズムを知ったクリスチャンたちが、出て行って、和解の使者として働くことは、大変重要です。

 そんな中で、本当に「これは解決しなければならない」と感じるのが、お隣の国との対立関係です。日本は憎まれているのです。他国からの憎しみが、日本の社会を駄目にする巨大な力となるからです。
 特に、日帝の時代に日本がアジアに出て行って、多くの被害を与えました。この頃、領土問題がいろいろ話題になっています。尖閣諸島、竹島、北方四島のことが話題となっています。なぜ、あそこまで日本がいじめられるのかと言うと、やはり相手国が持っている日本に対する憎しみです。
 日本は近隣諸国から恨まれています。案外、日本人はそのことの重大性に、気づいていないのかもしれません。
私たちクリスチャンは、神の国の大使として、和解のために働くことが重要です。家族の中でも、地域の中でも、国の中でも、更には、国と国との間の和解も委ねられているのです。それは教会に、クリスチャンに委ねられています。
 私たち新城教会が、そのような視点を持って、国際社会に向けてメッセージを発信していくならば、神の国が新城にも訪れると私は信じています。

 実は、今度、リバイバルミッション11月号ニュースが発行されるのですが、そこに春川リバイバルミッションの世話役となってくださる、今回も一週間お世話になった先生がメッセージを寄せてくれています。そのメッセージを読んで、「私たちの働きが、国と国との間の和解を推進するものであり、神の御心の一端を担わせていただいている」と実感し感謝しました。ちょっと読んでみたいと思います。

<李先生の証し>
私が韓国の統一を夢見て、春川に教会を開拓し牧会を始めて今年で10年になります。 その間、春川市の青年たちを主に立ち上がらせ、春川市のリバイバルと、市内教会の連合と一致のために祈るため「春川キリスト青年連合会」という宣教団体を創立し、また春川キリスト教連合会総務として仕えさせて頂いてきました。
 そんな私が日本に関心を持つようになって3 年程になります。以前は日本に対する特別な関心はありませんでした。それどころか、最も近くにある国でありながら、最も遠く感じられる国でした。日本に対して良い感情と言うよりは、私たちの先祖を支配し圧制と苦痛を与えてきた国だと、幼い頃から歴史で習い、それがそのまま私の感情の中に刷り込まれ、相当な反感を持っていました。

 しかし2007年、日本の大阪で行われた集会に導かれました。そこで滝元順牧師のメッセージを初めて聞きました。また、真剣に過去の過ちを反省し、謝罪する日本のクリスチャンを見ながら深い感銘を受け、さらに韓国と日本を分けて痛みと傷を持つようにした根源が空中の権力を捉えた者、サタンの策略であるということを知りました。
 特に私が牧会している春川市は、日本に偶像を送った場所だという事実を知りました。 韓国が日本に支配され、被害を受けたとだけ考えていましたが、その原因を提供したのがまさに韓国であり、その中心に春川市があるということは、非常に衝撃的でした。

 また2009年、韓国リバイバルミッションが仁川で開かれた際、集会の中で日本の方々と共に手を取り合って祈る時間がありました。初めて手を握って祈る日本人の方でしたが、涙と鼻水を流しながら、互いにとりなし祈る時間を持つことができました。共に手を握って祈りながら、人と人の間にあるすべての隔ての壁が崩れ、国と国の間にあるすべての隔ての壁が崩れるのを感じました。
 そして人と国と民族の間にある隔ての壁を壊すことが、私たちクリスチャンの使命であるということを深く悟ることができ、今度は日本を愛し、日本の霊的回復のために祈る者とされました。

 そんな中2011年に「ソウルリバイバルミッション」があるということを聞きました。私は春川市内の牧師達に呼びかけ、ぜひ春川市でもリバイバルミッションが行なわれるように提案したところ、市内の牧師達も快く受け入れてくださり、全日本リバイバルミッション側も了承して下さいました。今は、一個人や一教会を越え、それぞれの地域で隔ての壁が壊され、神様にあって霊的回復が起きなければならない時であると思います。これから、巨大な霊的回復の波が起きるでしょう。

 特に、春川市は「冬のソナタ」の舞台としても有名です。日本と多くの交流があります。
2011年に春川リバイバルミッションが開催されることにより、両国の隔ての壁がさらに崩され、驚くべき新しい歴史を起こして頂けると信じます。 そのためにもあなたも祈り、ぜひ春川市にお越し下さい。

春川主香教会 イ・ビョンチョル牧師


 このようなメッセージが寄せられていますけれども、我々が感じている以上に、日本に対して反感を持っているようです。そのような反感と憎しみがあれば、日本はどうなるでしょうか?日本の中に、秩序の乱れや、いろんな悪が蔓延るわけです。それを取り去っていかないと、日本は変わっていかないわけです。
 教会が、神の国の大使として、悪魔が支配している直中に乗り込んで行って、和解の務めを果たすことが、大変重要でありその務めが与えられています。

 少し「テーマが大きいな」と感じるかもしれません。しかし重要なテーマです。
春川の教会に行きましたら、その教会が発行している教会ニュースがありまして、韓国語なので、通訳の方にちょっと読んでもらったら、新城教会のことが書かれていました。どんなことが書かれていたかと言うと、実はその教会からこの夏、新城教会のサマーキャンプに参加した子供たちがいたんです。これは、韓国の他の教会が中心となって、新城教会の中高生と一緒にやったキャンプだったのですが、今回、私が行った教会からも二人の少年が来たらしいのです。その一人の証が教会ニュースに載っていました。訳してみたら、なかなか感動しました。そこから、私たちは、牧師とか、社会人とか、学生とか、いろいろな立場がありますが、それぞれ役割があり、神の国の大使として役割を果たしているんだな、と感動しました。

「日本の中高生キャンプ・参加の証しー日本見聞録」となっていましたけれども、チャン・スンジェという少年が書いた証です。

 『私とハミン、そして韓国の他の教会の中高生の一行は日本の新城教会の中高生とのキャンプに出席するために8月4日から9日まで、日本へ行った。私は行く前にこんなことを思った。「日本の人たちは僕たちを喜んで迎えるだろうか?日本人はまだ帝国主義に染まっているのではないのだろうか?」しかし、それは僕の無駄な考えに過ぎなかった。
 新城教会に入った時、その場所も主香(チュヒャン)教会と同じ、父なる神様の家だということがすぐにわかった。もっと感動したことは、日本の人たちが韓国人ととても似ているということだった。また、心をこめて配慮をする彼らの姿が本当に良く見えた。また、もうひとつ感動した事は、彼らと共にイエス様を賛美した時の「一つになる」という感情だった。私たちは言葉も文化も住む場所も、また抱えている歴史も違う、言うならば「敵」という単語がよく似合う背景を持っているのに、神様を賛美する時に、私たちは明らかに一つだった。「本当の意味で一つになる感情というのは、こういうものなんだな!」という感動が押し寄せて、どきどきしたりもした。
 日本には教会がほとんどないと言う。それは、新城でも同じことのようだ。しかし、新城教会の中高生と私たちが過ごした中高生キャンプの日程を通して、私たちはあたかも、日本と韓国を繋ぐ火を灯すホタルになったようだった。
 日本の新城教会での中高生キャンプの間、嬉しいことがあった。私は、私を含む何人かの韓国人たちは日本語もできないから、会話もできないと思っていた。でも、予想外の現象が目の前で繰り広げられた。逆に、日本の人たちが韓国語を習って、私たちとコミュニケーションを試みたことだった。彼らの韓国語の実力がたとえ下手でどもりがちな発音であっても、韓国語で賛美を習う努力をした彼らの情熱は本当に素晴らしく見えた。
 そのように新城教会の同じ年頃の友達と一緒に過ごす中で、毎日、どんどん一つになり、近くなっていくことを感じた。だからだろうか?日本に対する反日感情さえもほとんどなくなったようだ。
 そんな素晴らしい日程を全て終えて日本を去る時には本当に悲しかった。何よりも、最後まで「ムク」という少年が私たちを見送ってくれたことが嬉しかった。
 私のこんな考えや感情すべてを彼らに言葉で表現することはできなかったが、本当に素晴らしい恵みあふれる宣教旅行だった。こんな機会を与えてくださった神様と両親に本当に感謝します。』


 素晴らしい証ですね!この教会で行われている活動が、和解の役割を果たしていることに感動します。ちょっとしたことが、人々の心を癒しているわけです。ムク君が最後までみんなを見送ったらしいのです。それが嬉しかったと言うのです。彼は別れの時、最後まで手を振っていました。それが韓国の人たちの心を癒したみたいです。これは神の国の大使としての役割が果たされている証拠です。私も感動しました。

 私たちは神の国の大使であるわけですが、普通、大使というのは、少なくとも国交のある国に派遣され、置かれるものですが、私たち、神の国の大使館は、どこに置かれるかと言うと、闇の国の元首に対して派遣されるわけです。
 しかし、我々は、神の国の全権大使として、滞在する自国民の保護などの任務を負うのです。これは悪魔の支配にある地球でも、人々は皆イエス・キリストの十字架の血潮によって、基本的には、買い取られているのです。和解さえ受け取れば、永遠のいのちを受け取る特権があるわけです。ですから、大使として任命された者たちは、まだ和解を受け取っていない人たちの所に出て行って、「和解を受け入れてください」と、イエス様に代わって懇願するのです。
私たちが住んでいる大使公邸、大使館は、神の国の外交特権を有し、その敷地は不可侵とされ、暗闇の国の軍隊は同意なしに敷地に立ち入る事はできないのです。大使館はすべて、本国、天の御国の領土と同じ扱いを受け、暗闇の国の直中においても、天の御国を体験できるのです。
これが、私たちの立場です。

 クリスマスに向かって、私たちはこの働きをさらに、推進しなければならないと思います。「私は神の国の大使です」と、今日、この第二コリント人への手紙の5章から学びました。役割を果たしていきたいと願います。地域に対しても、国に対しても、国を超えてその働きが委ねられています。
 この教会には、いろんな国々から人々が訪れてくださり、一緒に礼拝を持つ事ができるのは、素晴らしい特権です。是非、言葉が出来なくても、コミュニケーションして下さい。誠意さえあれば通じると、韓国の少年達が感じたように、私たちが和解の使者として遣わされて行きたいと願っています。

 最後に一言お祈りして、十字架において血潮を流してくださったイエス様に心から感謝して、聖餐式を行いたいと思います。一言お祈りします。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。
 私たちを素晴らしい神の国の大使として、任命してくださっていることを心から感謝します。
 主よ、どうか私たちがこの務めを全うすることができますように。一人一人が神の国の大使であることを確認し、暗闇の支配のただ中で、神の国を体験できますように。
 主よ、この務めを全うできるように、力を与えてください。聖霊様私たちに働いてください。一人一人の立場において、主が和解の務めを前進させてくださいますように。
 イエス様、あなたが十字架にかかって、和解を完成してくださっていることを心から感謝します。今日、私たちの心の中から、全ての憎しみを取り除き、自由にしてください。
 今日のこの時を心から感謝します。今からの聖餐式の時を祝福してくださいますように。イエス様の御名を通して祈りを御前にお捧げいたします。 アーメン。