HOME > 2011年バックナンバー > 2月 > メッセージ2011年2月27日

「町を勝ち取ろう!」

2011.2.27(SUN)
新城教会牧師  滝元 順

使徒の働き 8章4節~8節
他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。

 ハレルヤ!今日はインドネシアの方々が来てくださり、私たちの教会に元気を与えてくれています。
 考えてみれば、新城教会は、インドネシアがなかったら、ありません。みなさんは、ここにはいません。なぜならば、私の母親は今年で89歳になるのですが、日帝時代、なんとインドネシアに行っていました。日本はアジアの諸国に悪いことをしました。インドネシアにも攻め込んで行きました。その教育部隊の要員としてインドネシアに遣わされました。
 母親は旧姓、「斉藤清子」というんですけれど、「斉藤清子」という同姓同名が2人いたそうですが、本来は母親ではなくて、もう一人の「斉藤清子」がインドネシアに行くことになっていたそうです。しかし政府が間違えて、母親が送られたそうです。それで彼女は、インドネシアに派遣されて何年か過ごしました。ですから母は、インドネシア語が少し出来ます。
 やがて戦争が終わり、帰ることが出来るかどうかわからない状態だったそうです。しかも現地でマラリアになって入院したそうです。国にいつ帰れるかわからない、マラリアになって高熱でうなされている時、なんと隣のベッドにいた人がクリスチャンだったのです。それで、初めて聖書の話を聞いたそうです。それで、母親はクリスチャンになり、やがて奇跡的に日本に帰って来ることができ、その後日本で、教会に行くようになりました。
 インドネシアで、「日本に帰ったら、絶対に教会に行ってくださいよ」と言われたものだから、焼け野原の東京で教会を探しに行ったのです。やがて教会に行き始め、しっかりとクリスチャンになりました。
 しばらくしたら、その教会に山猿のような青年が来たそうです。「誰だ、この目玉の大きな縄文人のような男は!」それがなんと、滝元明だったのです。やがて2人は結婚し、私が生まれました。
 どうですか?インドネシアがなかったら、今の新城教会はないのです。また、誰が間違えたのか知りませんけれど、間違えた人に感謝します。間違えても時には素晴らしいことが起こるからです。そういうことで、インドネシアと新城教会は大きな繋がりがあるのです。今回、インドネシアの先生、兄弟姉妹が来てくださったのは、本当に大きな祝福です。

 また、先ほどもインドネシア語の賛美をしましたけれども、25年前くらいに、私はインドネシアに行きました。ちょうどその頃、インドネシアでリバイバルが起こっていました。私はリバイバルというものが何なのか分からなかったけれど、初めてインドネシアでリバイバルを見ました。そこには大勢の人たちが集まって、主を賛美する姿がありました。
 「今日は5000人の会場で、リバイバル集会があるので来て下さい」と、私たちは当時、グロリアシンガースをやっていましたから、そこで賛美することになって会場に行きました。
 私たちは、5000人の集会だから、相当前から準備しているだろうと思って会場に行きました。しかし誰もいないのです。会場を間違えたかと思いきや、1時間半くらい遅れて、突然、5000人が来て、会場は満杯になりました。それで朝になるまでみんな賛美していました。すごかったです。その時、私は初めて、賛美って力があるものだ、と体験しました。今、私たちの教会でもざわめきという賛美が歌われていますが、あのような賛美が与えられたのも、インドネシア・リバイバルの賛美の油注ぎがあったからです。ここでもインドネシアと強い繋がりがあります。

 また、実は、霊的戦いがこの教会に起きましたが、最初に霊的戦いに接したのは、インドネシアに宣教師として行った、奥山先生や安海先生でした。現地で、リバイバルの要素は戦いだということを実体験され、日本教会に紹介されたことから始まりました。
 2003年に、新城で世界に対する霊的戦いが始まったのも、私がインドネシアのバリ島に行ってからです。そうしてみると、本当にいろいろ繋がりがあります。

 ところで、日本は誰によって作られた国であるかご存知ですか?日本人は「そりゃ、当たり前だ。日本人によって作られたに決まっている」と言いますが、それは大違いです。この中で、純粋な日本人は、誰一人いないのです。みんな混血です。みんな渡来人なのです。
 日本に最初に来た人たちは、縄文人と呼ばれます。縄文の遺跡は、何処にでもあります。
 宝来聡という人類学者がDNAによる人類のルーツを研究しました。埼玉県の縄文遺跡から出土した人骨をDNA鑑定すると、現代の日本人と同じDNAの人はいなかったそうです。しかしDNAがぴったり当てはまったのが誰かと言うと、なんと、マレーシア人とインドネシア人だったのです。実は、日本は最初インドネシア方面の人たちによって作られたと言っても過言ではないのです。
 縄文人は海洋民族で、インドネシア方面から日本に入ってきたのです。日本の基礎の部分は、インドネシア人が築いたわけです。また悪い霊的な力もインドネシア方面から入って来たのです。今回は、インドネシアの兄弟姉妹に、縄文の遺跡に行って、「悪霊との契約を取り消します!」という祈りをしてもらいました。これは、強力な祈りだったと思います。
 田原に、吉胡遺跡があるんですが、そこには縄文博物館があり、自分の顔をカメラで写して条件を入力してスイッチを押すと、「縄文度何パーセント」という表示が出るのです。おもしろいです。また、行ってやってみて下さい。アメリカ人のピアスにやらせましたら彼の縄文度は8パーセントでした。
 しかし先ほどここで賛美をしたインドネシア人のマックさんがやったら、なんと、縄文度は80パーセントでした。やっぱりという感じでした。なかなかその機械はうまくできていると感心しましたけれど。実に、日本とインドネシアとは、大きな繋がりがあるのです。
 国と言葉を越えて、私たちが心を一つにして祈っていく時、国が勝ち取られ、町も勝ち取られるのです。

 今日は「町を勝ち取りましょう!」というメッセージを語りたいのですが、そのためには、日本だけでは難しいのです。他の国々と心をひとつにして、日本のために祈っていく時、日本にリバイバルが起きるのです。
 みなさんに祈っていただきまして、先々週から先週にかけて、私は韓国で奉仕をさせていただきました。今年、5月、6月と、韓国リバイバルミッションがあるのですが、5月には、冬ソナで有名な春川という町でリバイバルミッションが行われることになっています。今回私は、春川を拠点として、いろいろ奉仕させていただきました。大変忙しかったです。先週の日曜日は、3つの教会をはしごして日曜礼拝のメッセージをしました。
 春川という町は、人口30万の町なんですが、教会はいくつあると思いますか?30万といったら、豊橋と同じくらいです。豊橋には、教会はそんなに多くないと思います。しかし春川には、350の教会があるのです。教会、教会、教会、という感じで、どこにでも教会がある感じです。いろいろな教会を回らせていただいて、とにかく日本と韓国がひとつとなって、リバイバルを進めましょうと語りました。
 是非とも、5月、6月、みなさん韓国に来てください。私は最近韓国人のようで、食事の時にキムチがないと、なんか寂しくなってしまった自分が怖いですが、向こうでも期待しています。
 春川では、「是非、日本から大勢来て下さい」と言って、ホームステイさせてくれるそうです。韓国のお宅にホームステイっていいじゃないですか。宿泊費もかかりませんし、旅費だけで、後は全部やってくれると言ってました。ちょっと写真を撮ってきましたので、みなさんにお見せしたいと思います。
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 これが春川の町です。真ん中にあんな山があります。
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 結構、大きな町です。今は、ソウルから電車が引かれて一時間ちょっとで行けます。発展している町です。
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 いろんな教会で奉仕をさせていただきました。
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 教会に大勢の方が集まっています。来月、春川から10人くらいの牧師先生方がこの新城教会に来られます。その先生方が日本に良い印象を持って下さったら、ミッションは成功しますから、がんばろうと思っています。
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 私の嫌いな事務作業もやってきました。町の先生方に集まっていただいて、大会の趣旨を説明したり、不得意な分野ですけれど、がんばりました。私でも、このような場に出れば日本代表になります。結構、難しい顔をした人ばかりでしたが、最後には、「協力します!」と言ってくださいました。本当に良い集まりでした。
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 これは、誰が作った橋だと思いますか?実は、これはなんと70年前、日本が作った橋です。今から百年くらい前、1910年から30数年に渡り、日本は韓国を支配しました。韓国を日本としました。ですから、日本がインフラ整備もしたのです。日本が作ったものは、今でも使われています。ちょっぴりは韓国に貢献している部分もあります。しかし全体的には支配して、苦しめたわけです。名前も日本名に変えてしまって、言葉も日本語に変えてしまったのです。これは、70年前に日本が作った橋です。日本は自己主張しています。次をよく見てください。
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 これを見て、日本が作った橋だとわかりませんか?自己主張が含まれています。分かった人?
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 円。円。円。円。円です。よくもここまで自己主張したもんだ、と思うんです。私は昔、土木技術者でしたから、こういうのを型枠組んで作るのは大変です。ここまで円を羅列するのは、なかなかやったもんだな、という感じです。日本がいろんな被害を、特に、アジアの諸国に与えたわけです。やはり私たちは、日本人として、「そんなの知らないよ」では済まされません。やはり、お詫びの心を持ちながら、ただ口で言うだけでなく、韓国のために、インドネシアのため、アジアのために祈り、働く時、祝福されると思います。
 写真がもう一枚あります。
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 これは、韓国料理です。見てください。この皿の数。感動しちゃうでしょ。これが食べたかったら、韓国リバイバルミッションに来てくださいね。所狭しとおかずがいっぱい出ます。韓国は、誰の側にある皿でもアクセス自由です。人が食べていても、こういう風に越境してアクセス自由なのです。そして、人の食べている器から取って食べても怒らないと思います。合理的です。全部おかずの種類が違っていて、みんなで食べるのです。ちょっと違った文化もありますけれども、結構楽しいです。是非、今から予定に入れておいてください。ホームステイがいやなら、ホテルもあります。是非春川にお越し頂きたいと思います。

 実は、今日、読んだ箇所は、ピリポという弟子がサマリヤの町に行った時の話であります。サマリヤ地方は、ユダヤ人から見たら、異邦人のように差別をしていた地域でした。良きサマリヤ人の話をご存知だと思います。倒れているユダヤ人を、サマリヤ人が助けたということで、「隣人を愛する」ということを語られました。サマリヤ人は、北イスラエルの血筋を引く混血の人たちでした。
 なんと、そこに福音が伝えられ、使徒の働き8章8節に、『それでその町に大きな喜びが起こった。』と記されています。サマリヤの町、ある意味、虐げられていた町でしたけれど、ピリポが行って福音を伝えた時、不思議としるしが起こって町に大きなリバイバルが起こったと記録されています。
 私たちは日本にも同じ様なことが起こって欲しいと、心から願う者であります。リバイバルが起きると何が起きるのか。「町に大きな喜びが起こった」と記されているように、街全体が喜びで揺れ動く、そんな素晴らしいことが起きるのです。みなさん、日本のために祈ろうじゃありませんか。

 インドネシアで私は体験したのですが、喜びの賛美で会場が揺れ動くような感じでした。みんな喜び叫んでいました。主を信じる時、内側から喜びが溢れてくるのです。
 この箇所から、町を勝ち取る秘訣と条件を学び取ることができます。
 第一に、『ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。』と記されています。町に福音を宣べ伝える人がいなければならないのです。町が勝ち取られるためには、どうしても必要なことは、イエス・キリストのことを宣べ伝える勇士が必要です。今日、ここにおられるお一人一人が、町に福音を宣べ伝える勇士になるなら、やがて町に大きな喜びが満たされる、リバイバルが起きます。

 そして、ピリポが御言葉を宣べ伝えた時に、何が起こったのか、7節に記されています。『汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。』と記されています。
 なぜ、そんなに大きな喜びが巻き起こったのかというと、イエス様を信じた人々が奇跡を体験したのです。今まで見た事がないような、すごい奇跡を体験したのです。まず最初に起こったのは、「悪霊が追い出される奇跡」です。続いて、病のが癒され、人々が立ち上がる奇跡が起こったのです。
 町を勝ち取るためには、福音を宣べ伝える勇士が必要であると共に、ピリポのような、聖霊に満たされた不思議としるしを起こす勇士が必要です。

 このサマリヤの町がどんな町であったかについても、レポートされています。使徒の働き8章9節〜11節、

『ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。』

 実は、サマリヤの町に福音が宣べ伝えられる前は、その町を支配していたのは、魔術師だったのです。魔術師が不思議なことを起こしていたのです。人々は、魔術師シモンを何と呼んでいたかというと、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と呼んでいたのです。町の人々は魔術師によって心奪われ、支配されていました。
 そんな町にピリポが行った時、悪霊が追い出されたのは、人々を捕らえていた魔術の霊が町から出て行った事を意味します。その結果、町が勝ち取られたのです。
 私たちがいくら伝道しても、町の人たちが福音に耳を傾けないのは、霊的な理由があるからです。みなさんも、家族の中に一生懸命伝道をしても、なかなか家族の心は動かないし、なかなか主を信じないのです。自分の話し方が悪いのか、証しが悪いのか、といろいろ悩むところです。
 実は、聖書はその根本的理由について語っています。コリント人への手紙第2、4章1節~4節、

『 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

 今、大きな毛布を持ってきて、みなさんの上に広げたら、いくら光が照っていても、光は届きません。光を届けたかったら、まず、その覆いを取らないと光は届きません。
 同じように、私たちが一生懸命日本の人たちに伝道をしても、町に福音を投げかけても、家族に伝道をしても、聞く耳を持たないというのは、どこに原因があるのでしょうか。「この人たちは頭が堅いな〜、心が堅いな〜」とつい、私たちは考えてしまうのですが、そうではなく、「覆いがかかっている」のです。その覆いとは、「この世の神」だというのです。
 まさに、サマリヤの町には「この世の神」がいました。それが誰かというと「魔術師シモン」でした。「彼こそ、神の大納の力だ」なんて呼ばれていましたから。彼は、生き神様みたいなものです。日本も昔、「現人神」というのが拝まれていました。この世の神、魔術師シモンに町中の人が注目していたのです。
 しかし、この世の神が打ち破られたのです。実は、この世の神というのは、人ではなく、目に見えない霊的な力です。悪霊どもが魔術師シモンを使い、町に覆いをかけ、人々の目をくらませ、耳を閉じさせて福音から遠ざけていたのです。
 しかし、その力が破られた時、町に大きな喜びがわき起こったのです。私たちは、町を覆っている暗闇の力が打ち破られるために、さらに祈りを必要としています。
 ピリポが町に入った時、「悪霊どもが追い出された」というのは、まさしく町を覆っていた魔術の霊が打ち砕かれたのです。なぜなら、人々は魔術によって心が捕らえられ、縛られていたからです。けれども、それらの悪霊どもが追い出されたのです。その結果、人々は救われ、シモンさえも主を信じ、奇跡が起こり、主の御業が町に現れたのです。

 先週はたいへん忙しかったです。韓国から帰ってきて、インドネシアの方々もおられましたし、もう一つ、一人の方が亡くなられ、葬式もあったからです。亡くなられた方はNさんという方です。
 私は、彼のいやしのために真剣に祈っていました。私は、この頃、毎日のように彼に電話をして、様子を聞いていました。彼は、癌で苦しんでいました。あまり長くないとは思いましたが、先週も韓国から電話をかけたら、まだ元気でした。「どう?」と聞くと、「まだ生きてますよ」とか言って、冗談も言って元気そうでした。
 彼は一生涯、敬語を使ったことがない男でして、私のことをいつも「順ちゃん」と呼んでいました。20数年の友達でした。「順ちゃん、今どこにおるだん?」というので、「韓国におるよ」と言うと、「ほんと、いつ帰って来る?早く帰って来てよ」なんて話していました。しかし彼は、突然、なくなりました。
 でも、彼は、癌で亡くなったけれど、ある意味、寿命だったと思います。彼は人生の中で、本当に多くの奇跡を体験した男でした。彼は20数年前、教会に来るようになりましたが、そんなに熱心なクリスチャンではありませんでした。しかし彼は多くの奇跡を体験しました。
 なぜかというと、彼は、強度のアルコール依存症の患者であったからです。アルコールは怖いです。アルコール依存症は、病気です。ただの飲ん兵衛というのではなく、病気です。しかし、初めは飲ん兵衛から始まるのです。彼は、若い頃から神社の祭りに行き、そこで酒を飲め飲めと勧められているうちに、だんだんと酒におぼれ、依存するようになり、強度のアルコール依存患者になったのです。依存症になると簡単には治らないと言われます。彼は40代にして、命が助からないところまでいきました。
 一番ひどい時は、教会に来て、教育館で焼肉パーティーの最中に血を吐いて倒れ、そのまま意識を失ってしまいました。私は彼が死なないように、真剣に祈りました。すぐに救急車を呼んで、彼は一命を取り留めました。けれど、医者が言いました。「余り長くはないでしょう」と。
 彼はその後も何度も何度も倒れて、病院のICUに運ばれ、もう駄目だという宣告を受けました。
 どうにもならない時、彼はどん底で神を求めました。今から数年前ですが、ある病院に入院しました。特に、アルコール依存症の治療をする病院に入院したのです。そこで彼は自分と同類の人たちを見て、すごくショックを受けたそうです。彼は初めて、本当の意味で神を求めました。「神様、助けてください。このままじゃ私は駄目です」と。私もお見舞いに行って、一緒に祈ってあげました。
 普通、そういう病院に入っても、退院したらその足でコンビニに行って酒を買って飲んでしまうそうです。また病院に戻ってくるそうです。彼は、3ヶ月足らずで「この病院は嫌だ!」と言って、病院を出てしまいました。
 しかしその後、奇跡が起こりました。なんと、どん底で祈った祈りが神に届いたのです。聖霊様が働いてくださったのです。アルコール依存症が完全に癒され、それから死ぬまで、酒を一滴も飲みませんでした。本当にあれは奇跡としか言いようがありませんでした。

 けれども、「蒔いた種は刈り取らないといけない」とありますが、私たちは日頃の生活を注意しなければなりません。もちろん神様は守って下さいますが、神の守りがあるから40キロ制限の所を百キロで走ってもいい、ということではありません。やはり自分でも十分注意しなければなりません。
 やはり、酒は飲んではいけないのです。アルコール依存症になっても、神様は助けてくれるけど、酒は絶対に体に悪いわけです。
 前回も話したのですが、酒と癌は強く繋がっています。それも、口から胃までの癌にすごく関係があるというのです。酒が無害な物質、酢酸に変えられるためには、酵素が働くそうです。酵素二号という物質がアルコールを分解するそうです。実はその分解過程で「アセト・アルデヒド」という物質が出来るそうです。それがWHOによって強力な発がん性物質だと、近頃指定されたそうです。酵素がアセト・アルデヒドを分解するそうですが、食道にはなぜか、全くその酵素が存在しないそうです。食道は発がん性物質、アセト・アルデヒドに対して全く無防備だそうです。
 酒を飲むと、食道はアセト・アルデヒドの攻撃をもろに受けるそうです。飲んでいない人と、飲んでいる人との発癌の差を比較すると、この間「ためしてガッテン」でやっていましたが、食道癌は70倍くらい違うそうです。それにプラス、煙草を吸うと百倍以上だそうです。
 教会に来て、「酒、煙草、やめましょう!」と聞きますが、でも飲む人がいます。飲むのは自由ですが、「オン・ユア・リスク」です。自分がそのリスクを抱えなければならないのです。神様はもちろん、癒してはくれますが、やはり自分でも気をつけないといけません。
 彼もその後、食道癌になって、後悔していました。「酒さえ飲まなければな〜」と言っていました。
 けれども癌になってからでも、何度も何度も、彼は奇跡を体験しました。彼は、癌で食道が閉まってしまって、何も食べられなかったけれど、2年以上生きました。2年以上生きる確率は数パーセントだと言われましたが、彼はその数パーセントに入ったのです。それも奇跡です。彼は奇跡を体験して、先週、天に帰りました。

 神様は奇跡を行って下さいますが、同時に、人には自由意思が与えられていますから、自分自身の行動にも気をつけて、正しい選択が必要です。彼の死から、それを教えらました。
 でも、どこにも希望のない人に、主は奇跡を現してくださるお方です。サマリヤの町でも、そんな奇跡が起こったのです。それで、人々はピリポの話に耳を傾けたのです。
 なんと、この魔術師シモンでさえ、イエス・キリストを信じたのです。使徒の働き 8章12節~13節、

『しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行われるのを見て、驚いていた。』

 今まで町を牛耳っていた、魔術師シモンがイエス様を信じて、バプテスマを受けて、奇跡を見て、彼は感動していたのです。今まで町で生き神様のように扱われていた魔術師が救われたのは、町を勝ち取るための大きな要素になったと思われます。
 なぜ、魔術師シモンがこんなにも不思議としるしを見て驚いたかというと、魔術には必ずトリックがあるからです。もちろん、悪霊の力でちょっぴりは不思議なことを起こすかもしれないけれど、ほんどの魔術はトリックです。マジシャンのショーなんかを見ると、人が宙に浮いたり、消えたりしますが、あれらは全部トリックです。だから、シモンも多くのトリックを使っていたと思われます。
 しかしピリポが行った奇跡は、全くトリックの利かない、正真正銘の奇跡だったのです。それをシモンが一番よく分かったと思います。だから彼は驚いて、主を信じ、バプテスマを受けたのでしょう。マルコの福音書16章16節、

『 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます』

 今日、初めて教会に来られた方もいらっしゃると思いますが、私たちが救われる為の原則は難しくありません。分厚い聖書を初めから終わりまで勉強できたら救ってあげる、ということではありません。「イエス・キリストが自分の救い主だ。神だ」と信じる、そして、バプテスマを受けたら救われるのです。
 しかし、救いに必要な最小量は、口の告白です。「心で信じて義と認められ、口で告白して救われます」とありますから、「私はイエス様を信じます」と告白するならば救われるのです。ですから、みなさん。今日、イエス様が神様かもしれないなと思ったら、まずは告白してみることです。「イエス様、私はあなたを神とします。信じます」と告白する時、救われるのです。
 そして、もう一歩進んで、バプテスマを受けたら、その救いが完全になるのです。
 この原則に照らし合わせると、このシモンという男は、「シモン自身も信じてバプテスマを受け」と記録されていますから、マルコ16章16節と対比させる時、『信じてバプテスマを受ける者は救われます』とありますから、救われていたはずです。

 しかし、その後、ひとつの事件が起きます。シモンが奇跡の中でも、「すごい奇跡だ!この奇跡はなんだ!」と感動した奇跡は、使徒の働き8章14節にあります。

『さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。』

 なんと、人々が聖霊のバプテスマを受ける光景を、魔術師シモンが目の前で見たのです。それは何物にも勝る、すごい奇跡に映ったのです。そうです。みなさん。最大の奇跡は、「聖霊のバプテスマを受ける」ことです。
 2週間前私は、「聖霊の力を受けよう!」というメッセージをさせていただきましたが、私たちが、イエス・キリストを信じ、バプテスマを受け、救われるのは、もちろんのこと、もう一つ「聖霊のバプテスマを受ける」ことが残されています。それが最大の奇跡と、シモンの目に映ったように、これは大きな奇跡です。求める者たちには聖霊をくださるとあります。
 弟子達が手を置いて祈ったら、聖霊を受けたというのです。その時、シモンは大変感動して、なんて言ったかというと、
 使徒の働き8章18節~19節、

『使徒たちが手を置くと御霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい」と言った。』

 シモンは、弟子たちのところに金を持ってきて、「この権威を私にも下さい」と、申し出ました。しかしその時、エルサレム教会から来たペテロが、かなり厳しいことを言っています。なんと言っているかというと、
 使徒の働き8章20節~24節、

『ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」』

 ペテロは、かなり厳しいことをシモンに告げています。みなさん、普通に読んだら、ペテロには偏見があったのではないかと思われます。シモンは魔術師だったけれど、クリスチャンになったわけです。しかも彼は、まだベイビー・クリスチャンです。お金を持ってきたかもしれないし、少しは昔のなごりがあって、自分も働きの中で称賛を得たいという気持ちもあったかもしれません。しかし一方では、不思議としるしを見て驚いていたのですから、「自分も神様のために働きたい」と願っていたはずです。
 それで、「その権威を私にも下さい」と願ったと思います。しかし、いきなりペテロに、「この悪事を悔い改めて、主に祈れ」とか、すごいことを言われて、かなりシモンはへこんだと思います。もう少し、牧会的配慮があってもよかったんじゃないかと、私は思ったりするのですが、なぜ、こんな厳しい言葉を告げたのでしょうか。

 実は、これは今を生きる、私たちへの情報だと思います。それは、「町を勝ち取るための勇士になるためには、このことを解決しないと駄目ですよ」という、私たちに対する情報として記録されたのではないかと思うのです。
 ペテロの目には何が見えたのかというと、使徒の働き 8章23節、

『 あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。』

 先ほど語ったように、シモンは、信じて、バプテスマを受けたわけですから、救われていたはずです。しかしながら、彼にはまだ「苦い胆汁と不義のきずな」があることを、聖霊によってペテロは見せられたのです。「これを断ち切らなければ、主の勇士としては使えません」と。
 町を勝ち取る勇士になるためには、ただイエス・キリストを信じる情熱だけではなく、ここにあるように「苦い胆汁と不義のきずな」という、悪魔が巻き付けたロープを断ち切らなければいけないのです。それをペテロは聖霊によって語ったのだと、私は思います。
 私たちが、主の勇士となるためには、やはり、イエス・キリストを信じるだけでなく、聖霊を受けなければいけません。けれども、その前に、不義のきずなが断ち切られることが、重要なのです。この点をしっかり取り扱うなら、町を取り戻す勇士が誕生するのではないかと思います。

 新約聖書に出てくる事柄は、だいたい、旧約聖書の中に既にモデルがあります。また原因についても旧約聖書の中に出ています。それが新約聖書で実現するのです。旧約と新約で、お互い補完し合っているところがあるわけです。
 ギデオンという士師の時代の勇士がいますけれど、彼が勇士となった時に、神がどんな条件を出したかというと、士師記6章25節~26節、

『その夜、主はギデオンに仰せられた。「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を取りこわし、そのそばのアシェラ像を切り倒せ。そのとりでの頂上に、あなたの神、主のために石を積んで祭壇を築け。あの第二の雄牛を取り、切り倒したアシェラ像の木で全焼のいけにえをささげよ。」』

 ギデオンが勇士となる前に、神が出した条件とは、『父が持っているバアルの祭壇を取りこわしなさい』と言われました。当時、家は代々、バアルの祭壇を持っていたからです。各家でバアルという土偶礼拝をしていました。それをまず取りのけなさい、と語られました。ギデオンは神様からそれを語られたので、父方の偶像の祭壇を全て取り壊しました。その後、何が起こったかと言うと、士師記 6章34節、

『 主の霊がギデオンをおおったので、彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。』

 父の家にある偶像の祭壇を取り除いた後、聖霊が来られたのです。これは何を意味するのでしょうか。現在でいうと、家系の中にある偶像礼拝の契約をしっかりと断ち切る時、聖霊様が来てくださり、ギデオンのように勇士となるのです。あの魔術師のシモンも、記録はありませんが、きっと後に勇士になったのではないかと、私は推測します。このストーリーを通して、町を勝ち取る勇士になる為の法則を教えていると思います。
 今、日本にリバイバルが近づいています。私たちが、父の家の祭壇、特に家が行っている偶像礼拝によって結ばれた「不義の絆」をしっかりと断ち切ることは、聖霊に満たされ、主の勇士となるための大きな条件です。

 先ほど、使徒の働き8章25節を見ましたけれど、日本語の聖書には、関連性を示す注釈が下に出ています。関連性をたどって調べると、先ほどの『苦い胆汁と不義のきずな』に準ずる記述がどこにあるかを見つけることができます。
 申命記29章を見ると、一つのみ言葉が出て来ます。申命記29章は、モーセがイスラエルの全部族を集めての演説です。それはカナンの地に入るための準備であると共に、モーセの遺言のような大変重要なメッセージでした。それは、ただ単に、そこにいる人たちだけでなく、将来、イスラエルに生まれるであろう、新しい世代に対しても契約となる、重要な事柄が語られています。申命記29章14節~18節、

『しかし、私は、ただあなたがたとだけ、この契約とのろいの誓いとを結ぶのではない。 きょう、ここで、私たちの神、主の前に、私たちとともに立っている者、ならびに、きょう、ここに、私たちとともにいない者に対しても結ぶのである。 事実、あなたがたは、私たちがエジプトの地に住んでいたこと、また、私たちが異邦の民の中を通って来たことを知っている。また、あなたがたは、彼らのところにある忌むべきもの、木や石や銀や金の偶像を見た。万が一にも、あなたがたのうちに、きょう、その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々に行って、仕えるような、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。』

 申命記28章の18節に、『毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。』という箇所に印が付いていて、関連ある聖書箇所が示されています。それが、使徒の働き8章23節、『苦い胆汁と不義のきずな』に辿り着きます。
 実は、「不義のロープ、毒草、苦よもぎを生ずる根」とは何であるのかを、申命記は教えています。
 みなさんも夏になると、庭の草取りをすると思います。草取りをする時、表面を刈っただけでは、しばらくするとまた伸びて同じ状態になってしまいます。「この間一生懸命草取りをしたのに何でだろう」と。
 昔、「庭の草取りをしたら小遣いをあげる」とか言われて「やったよー!」とか言って、しばらしくすると、「また生えてきたじゃないか。根まで抜けと言ったじゃないか!」と文句を言われたことがあるのですが、草取りでも、根っこを抜かないと、いくら表面を刈っても、すぐに同じ状態になるのです。

 ある面で私たちも同じです。イエス様を信じるのですが、「毒草や、苦よもぎを生ずる根」、「苦い胆汁と不義のきずな」の根っこを抜かないと、また同じようになってしまうのです。
 あの魔術師シモンも、根が残っていたわけです。「それを抜いておかないと、おまえ、また魔術師に戻っちゃうぞ。根を抜いておけよ!」というメッセージなのです。
 私たちも、リバイバルを前にして、町を勝ち取るためには、残っている悪しき根っこを引き抜かなければならないことを教えられるのです。
 そして、その原因が何かというと、モーセが語ったように「あなた方は万が一にも、主を離れて、異邦の神々の所に行って仕えるような者であってはいけない」と、「偶像礼拝」が、「根」になっていると教えています。
 偶像礼拝は、三代、四代に渡って結ばれる悪しき契約ですから、その根は深く潜入します。偶像礼拝によって植え付けられた根を引き抜くことは重要です。

 霊的解放とは、ここにあるように『男や女』とありますが、まず個人です。自分自身の行った偶像礼拝をしっかりと断ち切って、根を抜くことが第一です。
 第二に、先ほど話した「父の家の祭壇」です。これは「家族の中にある根も抜き去る」ことです。

 そして、もう一つは何かというと、「男や女、氏族や部族があってはならない。」とあります。
 実は、今、韓国リバイバルミッションの働きをさせていただいていますが、その中で、「このテーマを語りなさい」と教えられた箇所がここです。
 韓国と日本は、よく似ているんですが、一つだけ大きく違う所があります。それが名字の数です。日本には数多くの名字があります。私の姓は「滝元」ですが、鈴木さん、田中さん、山本さんと、いろいろあります。どのくらいあるかというと、30万種類くらいあるそうです。
 でも、韓国に名字はいくつくらいあるかご存知ですか?日本が30万だから、韓国は人口が日本の3分の1くらいだから、10万くらいかと思うでしょう?実はたったの「280」です。金さん、李さん、朴さんというのが大半をしめていますけれど、たったの280しかないのです。
 これは何を意味するのかというと、韓国は「氏族社会」なのです。父方を中心とする氏族社会です。「父系氏族社会」と呼びます。だから、結婚しても姓は変わりません。ずっと同じ姓なのです。日本は「地縁社会」と言って、「どこで生まれたか」という、生まれ故郷で固まります。
 でも、韓国は「血縁社会」です。それが氏族社会です。だから、どこかで誰かと出会って、「お名字はなんですか?」「金です」「あっ!私も金、親戚ですね!」ということになるわけです。すぐに互いのルーツがわかります。これは何を意味するかと言うと、「氏族社会」を意味します。

 韓国に行きますと、氏族の長が代表して、氏族全体と結ぶ悪霊との契約があるのです。氏族専用の祭祀堂があり、氏族を代表して、悪霊との契約が結ばれるのです。実は、氏族、部族が行っている偶像礼拝が、ここでは苦い根になると教えています。
 今日は、インドネシアからも来てくださっていますけれど、インドネシアは「部族社会」です。氏族というよりも、「部族全体」が悪霊と結ぶ契約が苦い根になるのです。
 特に、韓国は、氏族社会ですから、氏族代表が、年間何度か集って、氏族全体のための契約を結ぶのです。その根を抜く祈りが重要であると、今回主から教えられました。韓国ではこのテーマを語っているのですが、韓国で話すとみんな真剣に聞きます。
 しかし日本では「は?それがどうした?隣の国はそうなのね」という感じです。実は、これは日本にも関係あるのです。

 昔は、日本も氏族社会でした。けれどもいつの間にか、氏族がばらけたのです。日本人とは、その大半が朝鮮半島経由で来た人たちですから、元々は氏族社会だったのです。しかし途中で氏族制度がばらけ、自分の氏族の姓を名乗らなくなりました。明治時代から「自分の姓を付けなさい」と言うことになり、再度、適当に付けたのです。
 「あんたの家はどこ?四つ角に住んでいるの?しゃあ、四つ角さんにしなよ」とか、「あんた、よく手を洗ってるね。手洗さんにしなさいよ」とか、おもしろい名字もたくさんあります。でも、実は、日本人は、8割以上が朝鮮半島経由ですから、みんなある氏族に属していました。でも、今はわかりません。自分がどういう氏族に属していたのか全然わからないのです。そこから、どうやって解放されるのでしょうか。
 それは韓国でリバイバルミッションなどで、韓国の方々の祝福と解放を祈ることは、何を意味するのでしょうか?我々も同時に解放されることではないかと思うのです。
 ということは、やはり韓国での働きは重要です。特に、私たちの内側から苦い根を抜きさるために、韓国のために働かなければいけません。
 また、インドネシアは部族社会ですが、インドネシアのために働くと、縄文人を根底に持つ、日本の解放に繋がるのではないでしょうか。

 ここで神がモーセを通して言われていることは、『これらの異邦の民の神々に行って、仕えるような、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。』と告げられたのです。
 先ほど言い忘れましたが、日本には、30万姓、イタリアは35万、アメリカは150万、中国は、24000。しかし韓国は「280」しかありません。韓国は世界で唯一の氏族社会が残っている国なのです。
 今年は、真剣に韓国のために働いていきたいと思うのです。

 今日は、私たちの内側にある、苦い根を引っこ抜いてもらい、皆が主の勇士となって、町を勝ち取る為に働こうじゃありませんか。
 そして、二度と人生の中に苦いものが出て来たり、雑草が生えて苦しめられることなく、毎日喜びの生活、サマリヤの町のように町全体に喜びが起こるような人生を歩ませていただきたいと願います。

 最後に一言、お祈りして終わりにさせていただきます。
一度、みなさん、お立ち上がりくださいますか。ご一緒に祈りたいと思います。今日、私たちの内側にある、悪しき根が抜かれるように、毒草や苦よもぎを生ずる根とか、苦い胆汁と不義のきずなが断ち切られるように祈り、勝利を宣言したいと思います。
 今日は、特に、インドネシアの方も一緒におられますから、インドネシアの部族社会、韓国の氏族社会、そして、それがばらけた日本。私たちは、どう祈ったらいいかわかりませんが、共に心を一つにして祈るとき、主が勝利を与えて下さると信じます。今日は、気づいてない苦い根が抜かれ、「あの祈りから、心に雑草が生えなくなったね」となったら、嬉しいと思います。今、私が祈りますから、私の後について祈っていただきたいと思います。

<ご一緒に声に出して祈りましょう>
 イエス様、あなただけが神であることを宣言します。イエス様が唯一の救い主であり、神であることを高らかに宣言します。私を勇士としてください。町を勝ち取るための勇士としてください。聖霊によって満たしてください。
 その前に、悪い根を全て抜き去ってください。個人が行った偶像礼拝の苦い根を引き抜いてください。家族を代表し、家族が代々結んだ悪霊との契約を完全に断ち切ります。部族や、氏族の苦い根も完全に抜き去って下さい。不義の絆を断ち切ってください。今日から私の心が自由になりますように。雑草が生えなくなりますように。聖い心を私に与えてください。喜びで満たしてください。勝利を宣言し、イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。

 では、私が祈ります。
 ハレルヤ、主よ感謝します。今日はここにいる皆が、町を勝ち取るための勇士となりますように。今日はその前に、内側にある不義の絆や苦い根っこを抜きさる祈りが出来て感謝します。聖霊様、私たちの所に来てください。聖霊に満たされて、教会の中に、更なる不思議としるしが起こりますように。日本にリバイバルが起きますように。
 今日は、氏族と部族という領域も共に祈ることができて感謝します。今日は、そのような苦い根も全て抜きさってくださり、自由にしてください。聖い心を持って主に仕えることができますように。この時を心から感謝します。
 あなたが流してくださった十字架の血潮と、裂かれた肉を今からいただきますけれど、私たちを聖めて、勇士としてください。イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。