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「最も大切なこと」

2011.5.1(SUN)
新城教会牧師  滝元 順
マタイの福音書 22章34節〜40節

『しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」』

 ハレルヤ!みなさんおはようございます。今も聖歌隊から「沖に出て行こう」という、素晴らしい賛美を聞きましたけれど、先日、津波があった時、多くの船が流されたのですが、助かった人たちとは、津波が来た時に船を沖に出したした人たちだそうです。普通なら考えられないですよね。舟を出したら、津波に巻き込まれて死んでしまうと思いますが、逆に沖に出た人たちは、津波に巻き込まれず、助かっただけでなく、津波後に港に戻って、救援活動をしたそうです。
 ある意味、信仰生活も同じところがあると思います。私たちも信仰という小舟を沖に出さないと、神の祝福を受け取ることができません。礼拝とは神の祝福を受ける時ですが、信仰の小舟を沖にこぎ出して行きましよう。

 実は、昨日、教会では被災地に行き、救援活動をさせていただきました。みなさんが義援金を捧げてくださっていますが、新城教会が主体となって、リバイバルミッションと共に、また、もう一つの教会も協力して行われました。その様子を岡本信弘先生が報告してくださいます。一行は今朝の一時半頃、新城に帰って来ました。

岡本信弘先生の報告

 ハレルヤ!感謝致します。結婚式の時には、みなさんにお世話になり、お祝いしていただきありがとうございました。結婚式が終わって、午後二時頃、青年会を中心として三十五名がリバイバルミッションとタイアップして、東北にマイクロバスと車で向かいました。
 私は少し後、夜の7時くらいに出発しました。朝までに現地に着いて、昨日の朝九時くらいに集合しました。
 今回は、今まで順先生から話が出ている、仙台市宮城野地区の蒲生という所で避難生活を送っておられる方々の所に行って、炊き出しをさせていただきました。
 写真が出るかと思いますけれども、これが内藤先生の教会です。

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 今回、私たちは体育館で炊き出しをやったんですが、教会はそこから五キロくらいしか離れていないところです。

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 上に白い壁が見えますが、壁のすぐ下まで津波が来たと説明を受けて唖然としました。下に車がありますので、それからしたら津波の高さを想像できるかと思います。私も現実を見て唖然としました。

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 この場所にシーサイドバイブルチャペルという教会がありまして、滝元明先生も行かれて、皆でお祈りの時を持つことができました。
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 教会があった所に、今では十字架が建てられ、行って祈ることができ、この地にもう一度、主の御業が表されるように、共に祈ることができました。

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 内藤先生ご夫妻と新城教会の兄弟姉妹です。マスクをかけてる人は誰かわからないかもしれませんが、総勢三十五名の方々が行ってくださいました。

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 ここは喫茶店だったんですが、内藤先生が新しく借りて教会を始めるようになりました。そこに行ってお祈りをすることが出来ました。まだ備品がセットされていないですが、今回、PAをセットして帰って来ました。この場所がこれから教会として用いられますので、是非お祈りください。

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 避難生活をされているのは、宮城野体育館といって、先ほどの荒れ地からは四、五キロくらいしか離れていません。この周りは外から見ると、地震があったのかどうか分からないほどです。普通に店も開いていますし、道路も普通に通れます。
 でも、そこから数キロ海の方に行ったら、瓦礫の山状態になっていて、被災された方々が体育館に二六〇名くらい避難生活を送られています。ここに事前に連絡をしてから行きました。

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 体育館からすぐ出た所で、炊き出しの準備をさせていただきました。今回はこちらから、ハンバーガー、明先生が作った特製の五平餅、牛肉、豚肉、鶏肉があって、ハンバーガーランチ、五平餅ランチ、焼肉ランチの三種類を準備をさせていただきました。
 また、みなさんもご存知の南足柄教会の方々が、麻婆豆腐とコーンスープ、杏仁豆腐を持って、一緒に救援活動に協力して下さいました。被災者の方々に自由に取って食べていただいて、みなさんすごく喜んで下さいました。後から聞いたのですが「大きな声では言えないけど、今まで肉も食べさせてもらったけど、トイレットペーパーのように薄い肉しか食べたことがなかった。こんなにおいしい肉を食べたのは久しぶり」と言ってすごく喜んでおられました。
 私からすると、もう少しスムーズに回ればよかったと思ったのですが、向こうの方々は、「こんな大掛かりなことが、こんなにスムーズに運ぶなんてすごいですね。」とすごく喜んでくださいました。
 その後に、コーヒーとクッキーを出したら、「コーヒーやクッキーまでいただけるとは」と本当に喜んでいただきました。私たちが愛知県から来て、現地の教会とタイアップして行っていることを言ったら、「内藤さんは本当に素晴らしい方ですね」と、何人かの方々に声をかけていただき、祝福された時を持つことができました。
 表立って伝道をしたわけではないですが、教会が地域のために出来たということは、わかっていただいて喜んでいただきました。
 避難所の中は写真は取れなかったのですが、中に入って余った物を持って回りましたが、テレビでも見ているように、その体育館も段ボールで一家族ずつが囲いをしている程度でした。高さは腰ほどの段ボールで、歩くと私生活が全て見えてしまうような高さで、着替えはトイレとか更衣室に行かないとできない所で、みなさん生活をしている姿を見た時に、私たちはもう一度祈らされ、続けて祈っていかなくてはいけないと思わされました。
 是非、覚えて、引き続き祈っていきたいと思います。みなさんも心配しているように、今は関心があり、多くの人たちが支援していますが、これから仮設住宅が出来て復興するには、相当時間がかかると思います。そういう部分では、これからなお、祈りを必要としていますし、被災者の方々が本当の意味で、光を見出して救われるように祈り、みなさんに頂いた義援金を被災地の教会に献金し、教会をサポートしていきたいと思います。食べる物は大丈夫でも、最後は、心の霊的部分をケアです。それができるかどうかが、一番のポイントだと思います。是非お祈りいただき、このことを通して、新しい扉が開かれ、リバイバルが起こされるように祈っていきたいと願います。みなさんのお祈りを心から感謝を致します。(ここまでが岡本師からの報告)


 ありがとうございました。大変な仕事をしていただきました。避難所の方々に喜んでいただけたことも感謝します。意外と、五平餅が好評だったそうです。初めは得体の知れない食べもので、みんな手を出さなかったそうですが、一回食べたら「うまい」と言ってすぐに売り切れたそうです。新城教会が、今までバーベキューを鍛えて来たのは、この時のためだったのかと思わされました。短時間に、あっという間に準備できます。でもこういう時に対応するのではなく、もっと平和の時にやりたいとは思いますが。

 東海地方は昔から地震が来ると言われていますが、来ないというのは、私たちの祈りが聞かれているか、もしくは、大きい地震が控えているのか、どちらかですが、私は祈りが聞かれていると信じます。
 この場所が守られるように、さらに祈っていきたいと思います。今週は遠足で浜岡原子力発電所に行きます。そこで守りを祈り、また楽しむ時間もあります。
 こういう時は、自粛というよりも萎縮と言いますか、みんな縮まってしまい、力がなくなってしまいますが、心をしっかりして、楽しむ時は楽しんで、助ける時は助けるというように、割り切ったほうがいいと思います。ゴールデンウィークですから、十分に休み、楽しんでいただきたいと思います。四日と五日は、リバイバルミッションの方で、日本のために、韓国リバイバルミッションのために祈る時があります。

 今日は、「最も大切なこと」という題で、聖書の有名な箇所から、お話しさせていただきたいと思います。私たちが、イエス・キリストを信じる「前と後」は、使用前・使用後であり、最も大切な事柄も変わります。
 まずイエス・キリストを信じる前において、最も大切なことは何かというと、第Ⅰコリント人十五章三節〜五節です。これは、イエス・キリストを信じる前において、最も大切なことが要約されています。

『私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。』

 それは「イエス様が私たちの罪のために死んでくださった」ということです。これを信じたら救われます。続いて、イエスさまは死んだだけではなく、よみがえられました。
 先週は復活祭でした。イエス様の甦りにフォーカスを当てて、礼拝を捧げましたけれど、イエス様は甦られた、今も生きておられるということを信じることです。
 そして、ケパに現れ、また十二弟子に現れたというのは、「主は今も生きておられる」ということです。
 このことを理解し、信じたら、永遠の命が与えられるのです。イエス・キリストを信じる前の人生には、いろんな要素がありますが、最も大切なことは、イエス・キリストについて知り、信じることが最も大切です。福音を信じ受け入れると、クリスチャン生活が始まる訳ですが、続いて、クリスチャン生活の中で、最も大切なことが、今日読んでいただきました、マタイ二十二章三十三節から四十節に記されています。

 イエス様を試そうとしたパリサイ人とサドカイ人という、当時の宗教家たちが集まって、イエス様に質問をしました。「先生、律法の中で大切な戒めはどれですか?」と質問しました。
 モーセの十戒の中で、一番大切な戒めはどれかと、イエス様に質問した時、イエス様の答えは、マタイの福音書二十二章三十七節にあります。

『そこで、イエスは彼に言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これがたいせつな第一の戒めです。』

 神を愛することが一番重要です、と語られました。そして続いて、マタイの福音書二十二章三十九節、

『「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。』

 旧約聖書から新約聖書全体を要約すると、二つにまとまると言うのです。一つは、「神様を愛する」ということと、もう一つは、「隣人を愛する」という、この二つにかかっているとイエス様は語られました。
 イエス・キリストを信じたら、続いて、神を愛することが一番重要です。
 十戒も前半の部分は人と神の関係を表していますが、それは「神を愛する」という「愛」というひもで結び合わせることができるのです。そして後半は、人対人の関係を表しています。これは「隣人を愛する」という、ひもでくくることが出来るのです。
 イエス様のお答えは、素晴らしい答えでした。律法全体と預言者とが、この二つにかかっていると言われました。
 私たちもクリスチャンになったら、何を心がけなければならないのかというと、神を愛することが最も大切です。私たちは神様を愛するため、生きているわけです。

 愛は負担にはなりません。教会に来るのを、「また日曜日かよ。また礼拝に行かなければいけない。大変だな・・・」なんて思っていたら、神を愛していないのかもしれません。神様を愛しているならば、神を礼拝しに行きたくてしょうがないでしょう。
 私も家内とつき合っていた頃、会いたくてしょうがなかったです。今では、数日会わなくても大丈夫ですが、愛していたら、どんなに遠くても、どんな犠牲でもいといません。
 先ほどここに立った信弘先生は、長距離恋愛でした。奥さんは三島に住んでいて、信弘先生は新城に住んでいました。しかし、彼はしょっちゅう、東名をぶっ飛ばして、「今日は一時間半で三島に行ったとか」、当時、信じられない事を言っていました。婚約中の彼女と会うための専用車を買い、三島まで毎週走っていました。愛がある所には距離はありませんね。
 愛は全てを越えて行きます。信仰生活もイエス様を愛するという愛があったら、全てを乗り越えることができます。
 イエス様を愛し、神を愛していくことが重要です。

 しかしながら、神を愛する、イエス様を愛すると言っても、神は目には見えないわけですから、実際、どうやって愛したらいいのか?愛する対象物が近くにいるならわかるけれれど、神様を愛したくても、見えないじゃないですか。どうしたら良いのでしょうか。実は、神様を愛すると事と、隣人を愛するのは、ちょうどコインの裏・表のようなものです。
 コインとは裏にも表にも柄が入っていて、それで一枚です。表に「神様を愛する」と記されていたら、ひっくり返したら、後ろには、「隣人を愛する」と記してあるのです。そして、隣人を愛するという意味をよく理解するのは、神を愛することに他ならないのです。

 そして、「隣人を愛する」ことに関する、具体的例がどこに出ているかと言うと、みなさんもよくご存知の、「良きサマリヤ人のたとえ話」です。まずはルカの福音書十章三十節、

『イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。』

 実は、エルサレムからエリコという街に下って行く途中、旅人が強盗に襲われたというのです。旅人は瀕死の状態でいたようです。
 先日もイスラエル旅行に、教会から大勢の方が行かれました。イスラエル旅行に行って、信仰が変わったと皆、言われました。やっぱり聖書だけ読むよりも、現地に行くと、聖書の内容がよくわかります。エルサレムからエリコに下る道と言われてもぴんっと来ませんが、その場所に行けばわかります。
 昨年私は、写真を撮ってきました。

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 今じゃこんな舗装された道路になっていていますが、イエスさまの時代には、強盗が出たのです。この写真だけでは、あまりぴんとこないのですが、もう一枚の写真を見てみましょう。

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 昔はこんな感じでした。今でも荒涼とした荒野がエルサレムからエリコに向かって続いています。エリコは死海の近くの街ですから、標高差は九百メートルくらいあります。すごく急な坂です。曲がりくねった道を、旅人は通って行きました。そこで強盗が出たのです。
 今の写真を見てから、ルカの十章の物語を読むと、分かり易いです。もう一度読んでみたいと思います。ルカによる福音書十章三十節〜三十七節、

『イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

 神を愛する具体例としてイエス様が話されたのが、良きサマリヤ人のたとえです。
 この内容を見ていくと、一人の旅人が強盗に襲われて倒れていたのです。この倒れていた旅人は、たぶんユダヤ人であったと思われます。この話は、ユダヤ人に向かって話されています。
 初めに通りかかったのは、旅人の同胞であるユダヤ人の祭司、レビ人でした。祭司とかレビ人は、今なら牧師、副牧師、スタッフというような、当時の宗教家であります。人が倒れていたら、一番助けに行かなければならない立場の人たちでした。また、同胞が倒れているのですから、助けるのは当然です。しかし助けなかったのです。
 しかし助けたのは誰かというと、「サマリヤ人」でした。それも、ちょっとやそっとの助け方ではなく、現場で初期手当を施し、当時は救急病院がなかったので、彼を宿屋まで連れて行き、もう少し高度な治療を施してもらい、その費用も払って、帰りにも宿屋に立ち寄って、不足分を支払うという念の入れようでした。倒れていた旅人を、とことん助けたのです。その話をした後に、律法学者たちに向かって、「あなたも行って同じようにしなさい」と語られました。
 これが「隣人を愛する」という具体的な内容であり、裏を返せば、「神を愛すること」というのです。
 隣人を愛するという意味には、結構深みがあります。なかなかこの内容を実行するのは大変です。神の愛とは、隣人を愛するという、現実的行為によって具現化されるのです。

 今回も、震災で人々が苦しんでいますが、新城から被災地まで行って、被災者の方々に仕えるのは、ただ単なる人道援助ではなく、私たちクリスチャンにとっては、神を愛することに繋がるわけです。
 今後も出来る限り援助をしなければいけないと思うのですが、それは限度があることも確かです。しかし神様が「やりなさい」と言われることは、忠実に実行させていただきたいと考えています。

 しかし、聖書のストーリーを正確に理解するには、当時の環境とか、歴史的流れとか、政治的背景とか、民族的分布というような当時の諸要素を考慮し、このストーリーが誰に対して一義的に語られたのかを、検討しなければよく理解できません。
 案外私たちは、聖書を読む時、自分の生まれ育った環境と知識の中のみで理解しますから、案外、分かっているようで分かっていない部分も結構あります。
 日本人が「山」と言ったら、緑の山をイメージします。しかし、イスラエルの人たちの「山」とか「丘」のイメージは、先ほど見せたようなあのような、荒涼とした山々です。全然、気候風土が違いますから。聖書を理解するためには、まず、一義的に誰に語られたかを理解しないと、真の意味は浮かび上がってきません。

 実はこの良きサマリヤ人の話は、サマリヤ人がユダヤ人に対して、愛を表したストーリーです。それが結果的に、神の愛を表したのです。
 先ほど見たあの荒野、一方側はユダヤ人が住んでいましたが、山を隔てた所には、サマリヤ人が住んでいました。
 ユダヤ人とサマリヤ人は、隣り合って住んでいた、二つの民族でした。その二つの民族は当時、あまり良い関係ではありませんでした。ユダヤ人はサマリヤ人を見たら、軽蔑するし、サマリヤ人はユダヤ人を憎んでいて、いつも対立していました。このストーリーはそんな関係を背景にして起こった事件でした。
 普段は、ユダヤ人が倒れていたらサマリヤ人は「ざまあみろ、死んでしまえ」というような冷たい心を持って、ユダヤ人の側を通り過ぎるのが常でした。逆も同じでした。でも、そんな民族意識を越えて、サマリヤ人がユダヤ人を助けたところに、神の愛が表わされるのです。
 もちろん、同国人の中で倒れている人を助ける仕事も重要ですが、ユダヤ人対サマリヤ人という、最も近くに住んでいる民族のただ中に起こった事件であったわけです。エルサレムからサマリヤに至る道は、二つの民族が利用する共通の道でした。

 これを日本に適応したらどうでしょうか。日本人にとって一番近い他民族とは、やはりお隣の「韓国人」だと思います。
 今度五月二十五日から二十七日には、春川で、リバイバルミッションが開かれます。また、六月一日から四日はソウルでリバイバルミッションが開かれます。「なんで韓国でミッションを開くんですか?」と言われますが、それは神の愛を具現化するためです。日本人と韓国人という、隣り合って住んでいる二つの民族の間に、神の愛は実現する事を、良きサマリヤ人の例えから学ぶことができます。

 韓国と日本の間には、少し悲しい言葉もあります。それは何かというと、「近くて遠い国」という言葉です。韓国に行くと、この言葉を皆が知っています。「近くて遠い国はどこですか?」と聞けば、「日本です」と答えるのです。
 日本人が国を一歩出たら、だれでも日本代表です。私もこの頃毎週のように韓国で奉仕をさせていただいていますが、こんな地位も名誉もないものですが、向こうに行けば「日本代表!」になってしまうのです。それでなかなか大変です。
 なぜ日本は韓国からこんなに憎まれ、厳しい目で見られるのか初めはあまりわかりませんでした。でも、歴史をいろいろ勉強すると、日本が、日本人が憎まれるのは当然かなと思うようになりました。

 この会衆の中にも、太平洋戦争をくぐり抜けた方々がおられます。実は、一九一〇年から一九四五年までは、朝鮮半島、韓半島とも呼びますが、そこは韓国とは言わないで、日本の一部と呼ばれていました。日本の領土そのものだったのです。
 なぜかと言うと、明治政府が一九一〇年に朝鮮半島の併合を宣言をしたからです。明治政府はまず何をしたかというと、韓国語をしゃべる事を禁止し、日本語教育を徹底しました。そして、何をしたかというと、韓国の人たちの名字をも変えたのです。
 韓国と日本の最も大きな違いは何かというと、「名字の数」です。日本は名字がどのくらいあるかといいますと、「三十万」ぐらいあるそうです。けれども、韓国に行くと、名字はたったの、「二八〇」です。これは何を意味するのでしょうか。韓国は結婚しても、奥さんの名字は変わりません。この頃、日本でも夫婦別姓が話題になっていますけれど、普通は結婚すると名字は変わります。でも韓国では変わりません。
 なぜ変えないかというと、これは、父方の家系を重んじる、世界でも数少ない「氏族社会」だからです。以前にも少し話しましたが、日本は地縁社会ですが、韓国は「血縁社会」です。日本では、「あなたはどこから来たんですか?」「私は愛知県です。」「私も一緒。愛知県ですよ〜」と、自分と同郷の人に出会ったら嬉しいのです。
 それは地縁社会と言って、出身地がどこかで固まるからです。「私は東北出身です」と言っても、東北は6県あります。でも、ただ東北というだけで、「私も東北です」と言って、心一つになるのです。
 「私は沖縄です!」と言ったら、沖縄で生まれた人たちは心一つにするのです。

 しかし韓国てはそういうことはありません。なぜなら韓国は血族社会だからです。「あなたの名字はなんですか?」「私は金です。李です。」という具合に名字で結束があるわけです。ですから、自分の名字に大変誇りを持っています。その人の名字を聞いただけで、ルーツがわかるのです。その氏族がどこから出て、どういう家系に属しているのかがわかるのです。韓国で「金さん〜」と言ったら、十人ぐらいが振り向きます。けれども、実際、金さんの中にも、いろいろな金さんがいます。李さんと言っても、いろんな李があるのです。それは何かというと、「父方を中心とする氏族社会」なのです。
 だから、名字は重要でした。しかし日帝が入って行って、名字を全て捨てさせて、日本名にしたのです。日本名にされたのは、相当、屈辱的なことだったと思います。そのうえ、日本語をしゃべることを強要して、すべて日本化しました。そんな時期が三十数年続きました。
 逆の立ち場になれば、相当、苦い思いと憎しみが積もると思います。そういう歴史的背景がありますから、日本と韓国は「近くて遠い国」という関係なのです。
 それで、お互いの国民性の中に「許せない。受け入れることができない」というのが、日本人の中にも、韓国人の中にもあるわけです。
 信仰を個人的なところで捉えやすいのですが、実際のところ、個人がどうして形成されるのかというと、それは集団の中で個人は形成されるのです。歴史の中で形成されていくわけです。その根源に触れなければなりません。
 実は、韓国リバイバルミッションが五月にありますが、これは隣り合って住んでいる二つの民族、それも、対立した関係を超えて、互いにキリストの愛を表す働きです。これは「最も大切な事」に繋がる重要な働きなのです。

 さらに、良きサマリヤ人の話を詳しく見ていきますと、実は、ユダヤ人とサマリヤ人は、イエス様がおられた当時は対立した関係でしたが、二つの民族がどこから派生したかを辿っていくと、興味深いことがわかります。
 イスラエルは紀元前十世紀くらいまでは、一つの国家でした。しかし紀元前十世紀に、二つの国家に分断たのです。一つは「北イスラエル」と呼ばれ、十部族がつきました。イスラエルは十二部族によって構成されていた部族国家でしたが、後の二部族は「南ユダ」と呼ばれる国を形成しました。十部族と二部族に分かれ、国が別々になったのです。国が二つに別れたのです。
 その後、北イスラエルがどういう運命をたどったかといいますと、当時の大国、アッシリア帝国が攻めて、植民地化しました。北イスラエルの領土にアッシリア人たちが入ってきて、支配をして、アッシリアの街々が出来ました。また、ある人たちはアッシリアへ連れて行かれました。

 また、南ユダは、これも、世界の大国バビロニア帝国が攻めてきて、多くの人たちがバビロニア帝国の首都に連れて行かれました。
 でも、七十年そこで過ごした後、解放されて戻ってきました。南ユダの人たちは、自分の国、エルサレムに戻ってきて、もう一度南ユダ帝国を復興して行きました。

 しかしイエス様の時代になると、ユダヤ人というと、誰のことを言っていたかというと、それは「南ユダ」の人たちのことを「ユダヤ人」と呼んでいました。北イスラエルの人たちはどこに行ってしまったかというと、実は「サマリヤ人」と呼ばれている人たちでした。
 サマリヤ人もユダヤ人も、千年も遡って行けば、元々同じルーツから派生した民族でした。でも歴史の中で二つの国に別れ、それぞれの歴史を刻んできたのです。イエス様が住んでおられた当時、全く違う二つの民族のようになっていました。そして、両民族の関係は悪かったのです。
 このような時代的、歴史的背景の中、良きサマリヤ人の例えは語られたのです。
 このような背景を知り、日本に適用してみると、また、おもしろいことが分かってきます。それは日本と韓国にも、それは適応されるからです。

 前にも話したことがあるんですが、「日本はなぜ出来たのか?」…ご存知でしょうか?外国人から、「日本はなんで出来たんですか?」と聞かれたら、理由を正しく答えることが出来る日本人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
 「日本?そりゃ、昔からここにあるわ。」「どこから来たかなんて、なんで、そんなこと聞くの?日本人はこの日本列島から生えて来たんだよ。昔からここに住んでいた」と答える人がほとんどだと思います。
 自分の祖先がどこからか渡って来たなんて、考えたこともありません。ずっとここに住んでいるのだと。私は三河人、関西人、東京人と、太古の昔から住んでいると思っています。しかし、その考えは間違いです。
 世界の人たちで元々、その地に住んでいた人たちなんて、誰一人いません。国々がなんで出来たかというと、これは聖書を見ますと、バベルの塔付近から世界中に散らされたからです。
 それ以来、言葉も変わり、国々が出来たのです。日本人も、全員渡来人です。私たちの先祖は、どこからか渡来してきたのです。それは大きなロマンですが、はっきりしているのは、祖先は日本列島にある日、来たのです。どっちから来たかというと、そのほとんどが西から来たのです。
 バベルの塔は、今のイラク近所にあったと言われますが、あの辺を中心軸として、東に行けば行くほど、歴史は浅くなります。バベルの塔に近くなればなるほど、歴史は深くなります。日本と韓国の歴史を調べると、日本より韓国の方が歴史が深いのです。韓国と中国を比べると、今度は中国の方が歴史が深いのです。そして、中国とインドの歴史を調べると、インドのほうが更に深いのです。西に行けば行くほど、歴史が古く深くなります。
 最初の文明は「メソポタミア文明」と呼ばれますけれど、それは世界最古の文明と言われます。その近所に「バベルの塔」はありました。そこから広がってきたわけです。
 それで日本という国が出来たのです。日本には、最初、どういう人たちが入ってきたかというと、海洋民族が入ってきました。「縄文人」と呼ばれている海洋民族です。
 この間もインドネシアの方々が来られましたが、インドネシアの方々が新城に来てくださったのはすごく良かったです。実は、縄文人の遺跡から骨が出て来るのですが、それを調べると今の日本人のDNAとは全く違った人種だと言われます。日本に最初に住み着いた人たちは今の日本人と遺伝子の配列と、全く違う配列を持っています。その遺伝子の配列とぴったり合うのは、インドネシア人とかマレーシア人たちらしいのです。初めはそっち方面の人たちが、日本に最初に入って来たのです。その歴史は、なんと一万年くらいありました。
 しかしその後、四世紀に大きな事件が起こります。実は、朝鮮半島の南からある民族が入って来たのです。

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 赤い所は縄文系の人たちの分布です。縄文系の人たちは、目がくりっとした人たちです。会衆の中にも、「この人の祖先は縄文人だな」と思われるような、そのままインドネシアに住んで大丈夫そうな人もいます。
 四世紀頃から弥生人と呼ばれる人たちが、日本列島に渡来したのです。日本は縄文系の人たちの島だったんですが、鉄の武器を持った弥生人たちによって統一され、出来た国なのです。昼から、セミナーでそういうことにも触れたいと思いますが、日本は朝鮮半島の南に「伽耶」という国がありましたが、その人たちを中心として作られた国だということが、最近わかってきました。
 その人たちは九州に侵入し、「九州王朝」を作りました。その勢力は次第に北上し、やがて有名な「大和王朝」を作りました。日本の歴史学者は、九州に王朝があったことを、認めたくないのです。なぜかというと、それを認めると、日本人のルーツが大陸系の人たちになってしまうからです。認めたくないのですが、近年、考古学や人類学が発達し、否定できなくなってきました。
 大和王朝が、どこに出来たかというと、奈良です。「奈良」という言葉は地名ですが、韓国語で「ナラ」とは「国」という意味です。「奈良」に「ナラ」が出来たというのは、国に国が出来たという意味です。
 日本には伽耶から騎馬民族が入って来て、その人たちは鉄の武器を持っていたので、海洋民族はすぐに打ち負かされ、統一されてしましました。この近所にも多くの古墳がありますが、それらは当時の豪族たちの墓なのです。日本がなぜ出来たかと言ったら、大陸系の人たちによって統一されて出来たわけです。今でも日本人のDNAを調べたら、7割から8割は韓国とか、中国の方々と同じDNAです。というのは、元を辿れば、日本と韓国は同一民族なのです。

 私は韓国でいつもこの話をします。どの教会に行っても、日本人だと立ち場が悪いのです。初めは緊張します。特にお年寄りが多いと、日本語がお分かりになります。私の日本語はあまりきれいではないので、通訳のムンさんは言葉が丁寧な方ですから、「私が荒っぽい言葉を使っても、丁寧に直してくださいね」と言っています。しかし、お年寄りの方々は日本語がわかるのです。「あんな言葉は使ってなかったぞ」という感じです。だからお年寄りがおられると緊張するわけです。
 日本人が行ったことは罪深いことで、許してくださいと話すと共に、良きサマリヤ人の話をして、実は、隣り合って住んでいる二つの民族であると共に、そのルーツは同じであると説明します。イエス様は同じ状況下にあった、ユダヤ人とサマリヤ人を引き合いに出され、そんな中で互いに愛を表すことを教えたのです。そして、それがイコール、神様の愛を表すことであると告げていると話します。その話をすると、韓国のクリスチャンの方々は、心を開いてくださいます。
 だから私はいつも言います。韓国の方々が日本で宣教されるのは、「海外宣教ではありません。それは国内宣教です」と話します。そして、日本人が韓国で働くのも、海外宣教ではなく、里帰りみたいなもんですと話をします。韓国でこういう話をすると、みんな拍手してくださるのですが、日本では黙って聞いています。「なんだそれ?初めて聞いた」って感じです。そのぐらい感情が違うのです。

 しかし、これは事実です。歴史とは、征服者によって記されると言われます。正しい歴史は隠されます。
 今、どうでしょうか?この辺の神社を見たら、祀られているのは、天皇家の祖神と呼ばれる天照大神ファミリーの神々です。日本人は「これが古来から拝まれてきた、日本の国神だ」と信じています。でも、それは間違いです。
 百数十年前、日本は江戸時代でした。江戸時代に天皇家の神々を国民が拝んでいたら、どういうことになったでしょうか。天皇がこの国の支配者という事になります。しかし当時は、徳川家康とそれに続く徳川家が国を支配していました。徳川ファミリーが支配していたわけですから、国神は誰であったかというと、日光東照宮に祀られていた「徳川家康」だったわけです。
 しかし大政奉還が行われ、明治維新以後、それを全て隠し、天皇家の神々が昔からの神であると言って、神社の祭神を全て変えたのです。神社整理といって、多くの神社を壊し、新しく建て直したのです。神社が沖縄から北海道まで、全て同じ構造であるのは、どこかで図面を渡され、「こういう構造物を作ってください。」と意思統一して作らなかったら、同じ構造物は出来ません。日本は正しい歴史を隠しています。けれども、聖霊様の光が国に照ると、真実が明らかになってきます。そして、真の意味で神の愛を表すとは何かが分かってきます。それはただ、国内だけで神の愛を語るだけではなく、歴史的な壁に立ち向かうことも必要になるのです。
 どうやってその壁を崩すのか?それは愛の力によって崩していかなければならないのです。それには少しエネルギーを使うかもしれないけれど、ひいては、全体の祝福につながるのです。

 五月は「春川リバイバルミッション」があります。是非ともそのために祈っていただきたいです。隣の国でやっていることだから、関係ないじゃないのです。これは重要なテーマです。
 春川という街は、この中にも多くのおばさまがおられますが、皆ご存知でしょう。なんで知っているかというと、冬ソナの舞台となった街で知っていると思います。私は全然知らなかったんですが、家内は知っていました。
 春川という街があって、韓国と日本がかなり近付きました。韓流ブームが巻き起こったからです。今でもそれが続いています。それは文化的交流による接近です。けれども、それは元々、神が街に与えた霊的な事柄と繋がっているのではないかと思います。
 あの場所で、韓国と日本が霊的に一つとなって祈るとき、長い歴史の中で築かれた、悪魔が隠していた策略が打ち破られると信じます。今、私は春川で活動することが多いです。先週も春川の教会で準備集会を開催しました。春川の教会は、霊に燃えてきました。日本のために祈らなくちゃ!と。また、日本から皆が来てくれることを、すごく楽しみにしています。
 春川ではホームステイを受け入れてくれるので、みなさんも是非、経験してみて下さい。より近く韓国の方々とお交わりできます。それは不得意という人の為には、ホテルもあります。あの街で、リバイバルミッションが開かれるのは、神の計画であると信じます。
 六月一日から四日までは、ソウルで開かれます。ソウルはやはり日本の東京と同じですから、ソウルが変わらないと、韓国も変わりません。日本との関係も変わらないと思います。
 このような壁を崩すのは、政治レベルでは駄目です。民間レベルでも駄目です。これは教会がやらない限り、永遠に壁は立ち続けます。なぜならそれは、霊的壁であるからです。

 実は、ユダヤ人とサマリヤ人は、喧嘩ばかりしていましたが、お互いに助け合うということが最も重要だとイエス様は語られたのです。しかしルカの十章には、「隠された重要なメッセージ」があります。
 それは何でしょうか。家に帰ったら、ルカの十章を始めから読んでみてください。どんな場面から始まっているかというと、七十人の弟子たちが宣教に遣わされた場面から始まります。七十人の弟子たちは、狼の中に子羊を送るようなものだとイエスさまに言われて、びくついて出て行きました。しかし宣教旅行は華々しい勝利に終わりました。弟子たちは本当に喜んで、帰って来ました。ルカの福音書十章十七節〜二十節、

『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」』

 それは「弟子たちの霊的戦いの勝利」から始まっています。それに続いてイエス様は良きサマリヤ人の話をされました。そこでイエス様が「強盗」という言葉を使われました。
 ユダヤ人とサマリヤ人が、お互い、民族的な意識を越えて、助け合うことは大事ですが、この二つの民族にとってもっと大事なことがありました。それが何かというと、実は、ユダヤ人とサマリヤ人は気づいていたか、気づいていなかったか知りませんが、「共通の敵」が存在していたからです。それが何かというと、「強盗」でした。強盗は、ユダヤ人だろうが、サマリヤ人だろうが、隙がある旅人にはすべて飛びかかっていたことでしょう。
 もちろん倒れた人を助けるのも重要ですが、ユダヤ人とサマリヤ人が平和に過ごすためには、共通の敵である「強盗をやっつけなければならない」のです。これは最も大切なことの中で、隠されたメッセージだと思うのです。
 そしてこの強盗とは、イエス様は何をイメージしておられたかというと、七十人の弟子たちから始まって、霊的戦いの勝利を経て、見かけの強盗ではなく、霊的な強盗、「悪魔・悪霊ども」のことなのです。
 「真の敵は見える敵ではありません。霊的な敵がいます。それは、悪魔・悪霊どもですよ。ユダヤ人とサマリヤ人が苦しめられているのは、共通の敵である悪魔・悪霊どもです」というメッセージが隠れているのです。そしてそれが、最も重要なこととして秘められていると私は信じます。
 韓国と日本には、歴史的な問題が多くありました。けれども、そこには共通の敵がいます。それが誰かといったら、悪魔・悪霊どもなのです。

 実は、前にもお話したことがありますが、私は数年前、それに気づかされたことがあります。私たちの教会に、在日韓国人の女性がおられて、あるとき、その方は日本人男性と結婚されました。彼女は、幸せな生活を始めました。私はその結婚式の司式をさせていただきました。
 しばらくしたら、彼女が来て私に言いました。「順先生、私のために祈ってください。すごく体調が悪いので、祈って下さい。」と言うのです。
 なぜ悪いのかと聞くと、「たぶん妊娠したと思う」と言うのです。「おめでとうございます」と言いました。彼女は、「私は初めての妊娠だから、妊娠がどういうものかわからないけど・・・」と言ったので、私も「ごめんね、僕も妊娠したことがないからわからない」と話しました。
 彼女は、その週に病院に行きました。彼女は看護士で、医学のことをよく知っていて、妊娠かもしれないけど、ちょっとおかしいと思ったようです。
 検査してわかったことは、左の卵巣に十センチくらいのこぶ、腫瘍があって、それが卵管にまで転移しているというのです。彼女はそのことがわかって、泣きじゃくりながら私のところに電話がかかってきました。私もそれを聞いて、「これは大変だ」と思いました。「すぐに大きな病院を紹介するから、手術してもらってください」と言われたそうです。次の日、大きな病院に行くと言ったので、今夜しか祈る時間がないと思って、牧師室に来てもらいました。
 お腹がかなり出て、赤ちゃんが入っていると思っていたらしいんですが、水が溜まっていたのです。ふらふらしながら牧師室に入ってきました。呼ばなかったほうが良かった、と思いました。
 私は祈ろうと思ったけれど、大きな問題でしたので、祈る気力もありませんでした。癒してくださいと祈っても、通り一遍の祈りでいやされるとは思えませんでした。そんな祈りで癒されるくらいならば、こんな病気にはならかいだろうと思いました。どう祈ったらいいか、分かりませんでした。「何を祈ったらいいですか」と、主に叫びました。
 その時、ぱっと私の心に主が語ってくださったことがありました。それは何かというと、「韓国と日本を一つと見て、働いている共通の敵に立ち向かえ」ということでした。私は日本は日本、韓国は韓国で、悪魔の策略は別々だと思っていました。
 でも、韓国と日本を一つとして、策略を立てて働いている悪霊どもに立ち向かえ、と主から語られて、そんな祈りをしたことはなかったけれど、「イエス・キリストの名によって韓国と日本を一つとして見ている、共通の敵を打ち破ります!」と熱心に汗を流して祈りました。

 祈りが終わった時に、私は彼女の聞きました。「癒されましたか?」彼女は、「順先生、そんな簡単に、治るわけないじゃないですか」と言いました。「そりゃそうだ」と思いました。彼女は、依然として、お腹はふくれたままで、ふらふらしながら帰って行きました。
 でも、次の日に何が起こったかというと、私はいろんな奇跡を見ましたけれど、あれほどすごい奇跡を見たことはありませんでした。次の日、腫瘍は完全に消えていました。うちのスタッフが彼女を病院に連れて行きましたから、私はどきどきして待っていました。どういうレポートが来るのか・・・。
 なんと、完全に癒されていて、帰りには天丼だか、カツ丼だかを食べて帰って来たと言いました。全く癒されました。医者がびっくりして「なんで治ったの?あんた昨日何したの?」と言うので、「教会に行って祈ってもらいました」と言ったら、医者は黙っていたそうです。
 初め診断をした病院にも行ったら、「奥さん!もう手術が終わったんですか?」「いえ、教会で祈ってもらったら癒されました」と言うと、みんな唖然としたそうです。

 あの奇跡は、預言的な奇跡だったと思います。今までいくら祈っても、動かなかった領域が、「共通の敵」を理解して戦うとき、動くようになるのです。
 そのために必要なのが、日本と韓国の霊的壁を打ち破ることです。良きサマリヤ人の例えの中に、その秘密が隠されていると、後から気づかされました。あれは実に、預言的な奇跡だったと思います。

 みなさん、今年、私たちは韓国リバイバルミッションを控えていますけれど、日本の将来を決める大きな戦いの一部になると思います。日本に問題が起こっていますけれど、悪魔の策略はどこにあるのかというと、朝鮮半島と共有した中に多く隠されているように感じます。先ほど話したように、歴史的にもそういう流れがあるわけですから、私たちが足下だけ見ていてはいけないのです。視点を広く、視点を変えて行く時、共通の敵は打ち破られ、主の栄光が現されると信じます。この五月六月は、そのために力一杯働きたいと思います。
 日本も大変な時ではありますけれど、案外、こういう時は国内だけに祈りが向けられます。誰でもそうだと思います。しかし、このとき、本当に祈らなければいけない領域と、解放の鍵となる祈りのテーマは、全く考えてもみないところにあるのではないかと思います。五月、六月は、日本の未来のためにも、韓国リバイバルミッションを成功させなければならないのです。その中で、神の愛を知るのです。

 日本が解放されて自由になって、リバイバルがこの国に始まるように、また、韓国も南北統一という大きな問題を抱えていますが、日本が関わらないと解決しないと思います。今日は午後から、そのセミナーももたせていただきますから、みなさん是非とも出ていただきたいと思います。
 主から与えられた使命に従っていきたいと思います。最後に一言お祈りさせていただいて、今日のメッセージにかえさせていただきます。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめ、心から感謝します。良きサマリヤ人の例えを残してくださって感謝します。
 主よ、日本と韓国との関係の中で、今まで隠れて働いてきた敵の力が打ち破られますように。そのために、私たちを用いてください。主よ、今日はこの礼拝の中で、私たちの心を一つにして、良きサマリヤ人として、働くことが出来るように導いてください。
 東北で多くの方々が苦しんでいます。その方々を忘れることがないように。同時に主よ、隣の国のためにも、とりなし祈る者として下さい。五月、六月が神の大いなる栄光が表される月となりますよう、お願い致します。
 イエス様、今日はあなたを記念して、あなたの十字架と復活を記念して、聖餐式を行ないます。どうか聖餐式の中に、主の祝福と栄光を表し、私たちの心の領域を広げてください。今日のこの時を心から感謝して、全ての栄光をお返しして、イエス様の御名によって祈ります。アーメン。