HOME > 2011年バックナンバー > 5月 > メッセージ2011年5月15日

「全世界に福音を伝えよう」

2011.5.15(SUN)
新城教会主任牧師  滝元 順
マルコの福音書16章14節-20節

『しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。』

 ハレルヤ!みなさんおはようございます。今日もみなさんの前でお話ができますことを、心から感謝します。いつもみなさんのお祈りによって支えられていますことを、心より感謝いたします。
 まもなく「韓国リバイバルミッション」が始まります。私もそのためにいろいろと忙しい中にあるのですが、五月は韓国と日本の間を三往復します。神様がこの重要な働きを委ねてくださったことを本当に感謝しています。
 今も聖歌隊の素晴らしい「キリストには変えられません」という賛美を聞きましたが、イエス様のことがわかったら、心を燃やされ、どんな犠牲もいとわず働く器に変えられます。弟子たちは、イエス様が甦ったという話を聞いても、初めは疑っていたみたいです。そんなことありえないと。普通の人ならばそう思うでしょう。でも、そんな疑いのただ中に、甦りのイエス様が現れたのです。実際にイエスさまを自分の目で確認し、イエス様と話したのです。
 その後、彼らは命もいとわず、全世界に向け、当時一番クリスチャンにとって危険な場所ローマに、福音宣教を開始したのです。前にもお話ししましたが、イエス様が天にお帰りになった後、彼らはある意味、取り憑かれたように世界に福音を広げたのです。それは、彼らが本当に甦りのイエス様と出会ったからです。彼らが伝えた中心的メッセージは「イエスさまはが甦りました!」というメッセージでした。
 私たちも、生きている神、イエス様に出会うと、人生は変えられます。人生の価値が変えられ、主のために命をかけて生きて行こうと決心するのです。
 イエス様の十一人の弟子たちが、心を燃やされなかったら、世界に福音は伝わりませんでした。今、日本に福音が伝わっているのは、甦りのイエス様に出会った弟子たちが心を燃やされ、自分の人生よりもイエス様のことを伝えたいという熱い思い故に、やがて地の果てとも言うべき、日本にも福音が伝わったのです。

 今回私たちは、韓国でリバイバルミッションを開こうとしているのですが、日本と韓国の関係には、あまりいいイメージがありません。両国の間には悲しい歴史があって、「近くて遠い国」という表現があります。距離的には一番近い所に位置する両国ですが、気持ち的には世界で最も遠く感じる国になってしまいました。長い歴史の中、お互いそんな気持ちが生まれてしまった両国です。しかし主は、私たちの心を変えてくださり、韓国のために働くことができるようになりました。それは「全世界に福音を伝えよ」と言われたイエス様の御思いの実現に他ならないのです。
 是非ともみなさんに、お祈りしていただきたいのですが、五月二十五日から二十七日までは、春川市でリバイバルミッションが開かれます。それが終わって、次週、六月一日から四日まではソウルで開かれます。現地に行って働く者も、こちらに残ってとりなし祈る者たちも、キリストの体による霊的戦いです。
 今日もJJJニュースが配られ、炊き出しのレポートがなされていますが、「これはキリストの体の働きだ。みんなの協力によって成し遂げられました」とレポートされています。私たちは、一人では何も出来ません。しかし、イエス・キリストを頭として、私たちがその体の各器官として働く時、一人一人に与えられた賜物の結集により神の働きは実現していくのです。是非ともみなさん、この働きのために祈って支えていただきたいと思います。

 春川市は三十万人くらいの街ですが、日本と大変繋がりが強い街です。みなさんご存知の、冬ソナ・ブームで、日本人が今までに五百万人くらい訪れた街と言われます。日本に対して大きく開かれた街でもあります。それはある意味、街の持っている神からの使命とつながっていると思います。この街から、霊的にも日本への新しい扉が開かれるという意味があるのだと思います。
 その街の先生たちが心燃やされ、日本と一つになってリバイバルミッションをやりましょうと声をかけて下さいました。その街は三十万人くらいですが、教会数は三百五十くらいあります。三十万都市と言ったら、隣の豊橋市もそのくらいの人口かもしれませんが、豊橋市に教会がいくつあるでしょうか。二十教会もあるでしょうか。
 しかし、春川市はすごいです。至る所に教会があるのです。今回、春川のリバイバルミッションは多くの教会が協力してくださっていますから、きっと良い集会になると信じます。
 続くソウルはやはり東京と同じですから、教会がさらに多いですが、なかなか、つかみ所がなくて、日々努力しておりますがちょっと心配です。でも、きっとこちらも良い集会になると信じています。
 講師も、私たちリバイバルミッションの講師たちに加え、韓国の有名な先生方が協力してくださっています。きっとこの働きを通して、霊的にも新しい扉が開かれるのではないかと期待しています。

 やがて、日本もリバイバルされ、日本から多くの宣教師たちが世界に出て行き、福音を宣べ伝えるようになると信じます。
 日本人の弱点、日本教会の弱点は、海外で働くことが苦手な事です。日本はあまり多くの宣教師を世界に遣わしていません。現在はどうでしょうか?日本に八千くらいの教会がありますけれど、宣教師として派遣されている数は三百数十人でしょうか。ちょっと私の統計は少し違っているかもしれませんが、お隣の韓国からどのくらいの宣教師たちが世界に遣わされているかというと、なんと二万人以上の宣教師たちが現在、世界で働いています。
 今、世界で一番宣教師を送っている国は、やはりアメリカです。十万人くらいの宣教師たちが世界に送られているそうです。しかし韓国は世界第二位です。アメリカからの宣教師は年々、数が減っているのですが、韓国からの宣教師はどんどん増えています。まずは十万人を目指そうと、真剣に各教会で祈り宣教師達を送り支えています。日本とは大きな違いだと思います。
 どこに違いがあるのだろうかと思うのですが、韓国と日本の一番大きな違いは、前にもお話ししましたが「名字の数」です。日本は、名字が大体三十万名字くらいあるそうですが、韓国は約二百八十だそうです。
 これは何を表すかといいますと、社会構造の違いを表しています。日本の社会は地縁社会です。「あなたはどこで生まれましたか?」という、生まれ故郷でつながる社会です。
 しかしながら、韓国は「血縁社会」で、「氏族社会」です。血縁社会の人たちは地縁社会の人と違う所があります。
 我々、地縁社会の者たちは生まれた土地からなかなか離れられません。しかし、血縁社会の人たちは、案外、どこに住んでも血族で繋がっているので、世界中で働くことができるのだと思います。案外、韓国の人たちは土地に縛られていないのではないかと思います。
 しかし、日本人は土地に束縛されていて、生まれた土地から動けない面があるように思います。今回も津波で大きな被害を受けましたが、多くの人たちが一様に言うのは、「もう一度同じ場所に住みたい」です。気持ちは分かりますが、考えてみれば、また津波が来たらどうするのか、同じ場所に住んだら、やがて新しい世代の人たちも、同様に津波に襲われる危険性があるからです。それでも、同じ場所に住みたいと言うのです。土地に引き戻される力が、日本では結構強いのではないかと思います。日本には、地の神の呪いがあるのか、土地に束縛されています。しかしやがてその力に勝利したら、日本人も解き放たれて、世界に出て行って主のために働くことができるのではないかと思います。

 ユダヤ人は、土地に強く縛られていた人たちでした。自分たちの領土に固執した人たちでした。その性格は今日でもあまり変わらず、かなり土地に執着があります。
 弟子たちも同じような環境で生まれ育ったのですから、同じような考えを持っていたはずです。しかし聖霊を受けた時、彼らは土地の束縛から解放され、世界に出て行きました。私たちも解放され、多くの宣教師が日本から、また、私たちの教会からも、世界に送り出される日が来るといいな、と祈っています。教会全体として、韓国リバイバルミッションの働きをサポートさせていただけることを、心から感謝しています。

 イエス様が甦られた時、イエスさまは弟子たちに何を語られたのかを学んでみると興味深いです。マルコの福音書十六章十五節〜十八節、

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』

 ここから分かるのは、イエス様は、御自身が持っておられた権威を弟子たちに授けて世界に送り出したということです。
 戦争に行く時に、武器も持たずに丸腰で出て行ったら、すぐにやられます。全世界に出て行って福音を宣べ伝えるのは、大きな霊的な戦いです。丸腰で出て行くことは決してできません。やはり強力な武装が必要です。
 イエス様の弟子たちは、イエス様が持っておられた権威を授けてもらい、その権威と共に出て行きました。
 イエス様が地上におられた時の働きは、文字通り、ご自身が語られたのと同じ内容の働きでした。悪霊を追い出し、病人を癒し、あらゆる患いを癒されました。
 大きな権威と共にイエス様は働かれ弟子達にも授けましたが、イエス様が死から甦った時、再び権威を弟子たちに授けました。けれども、イエス様が授けた権威は、公生涯の権威とは違った、「新たなる権威」を授けたのです。それから、彼らを世界に遣わされたのです。
 実は、イエス様が公生涯で使われた権威は大きな権威でしたが、聖書をよく読むと、その権威は完全な権威ではなく、「限定付きの権威」であったことがわかります。
 なぜならば、イエス様が宣教に立ち上がった時に、何が起こったかと言うと、サタンがやって来たからです。マタイの福音書 四章八節〜九節、

『今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」』

 イエスさまはこんな言葉を、悪魔から直接かけられたのです。もしもイエス様が百パーセントの権威を持っていたら、悪魔はイエスさまに近付くことさえ、出来なかったはずです。ましてや、サタンから「俺を拝め!」なんて言われるはずはありません。サタンはイエスさまに対して、よくもぬけぬけと言えたもんだと思います。これは完全な権威とは言えません。「俺を拝んだら国々をやるぞ。」とまでサタンは言っています。ここから見ても、サタンが国々を支配していることがわかります。イエス様はもちろん、ひれ伏して拝むようなことはなさいませんでした。神の御言葉によって勝利し、三年半の公生涯は素晴らしいものでした。
 さらに、十字架の前、イエス様に何が起こったかと言ったら、ユダの所にサタンがやって来て、なんとイエス様を銀三十枚で売り飛ばしてしまったのです。これらの出来事から見て、イエスさまが行使された公生涯の権威は、全幅の権威ではなく、制限付きの権威であったことがわかります。
 けれども、死から甦えられた時、何と語られたでしょうか。マタイの福音書二十八章十六節〜二十節を見てみたいと思います。

『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」』

 実はイエス様が甦られた時、弟子たちに公生涯では使われなかった言葉を語りました。それが二十八章十八節です。

『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」』

 イエス様は、死から甦った時、『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています』と語られました。
 そして十九節、『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。』と告げられたのです。
 世界に出て行くためには、どのような権威が必要かと言うなら、それは、「甦りの権威」です。この権威と共に出て行ってくださいと語られたのです。それは「天においても、地においても一切の権威」すなわち、限定解除された権威です。何者も脅かす事の出来ない、全幅の神の権威と共に世界に出て行くのです。

 この権威を、主は授けてくださるのです。今の時代は限定付きの権威ではなく、「限定解除された権威」と共に遣わされるのです。
 みなさんは今週、主が持っておられる全幅の権威と共に歩むのです。それは限定されたものではなく、天においても地においても一切の権威なのです。

 では、どのようにしてその偉大な権威を、受け取ることができるのでしょうか。それは、イエス様がこの権威を受け取った時のように、十字架にかかり、死んで葬られ、甦ったらいいのです。イエス様も死を打ち破る前は、この権威は使えませんでした。
 ということは、私たちもこの権威を使わせてもらうためには、十字架にかかって死に、葬られ、甦ったらいいのです。けれども、そんなことができるのでしょうか。十字架にかかって死ぬまでは、痛いのをちょっと我慢すれば死ぬことは出来るかもしれません。しかし、甦るなんて絶対に出来ません。でも、甦らなかったら、この権威は与えられないのです。

 しかしその権威を一瞬にして受け取る方法があるのです。イエス様が完成してくださった十字架の勝利を、一瞬にして受け取り、共有することができるのです。それが何かというと、マタイ二十八章十九節、

『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい』

 弟子達の世界宣教の重要な使命の一つに「バプテスマを授ける」ということがありました。それはなぜでしょうか?
 時々、教会でもバプテスマ式があります。「あの人はクリスチャンになる決断が出来たんだな・・・」と私たちは簡単に考えるのですが、実は、ここには大きな意味があるのです。

 私がバプテスマを受けたのは、確か、小学校二年生の時でした。なぜバプテスマを受けたかと言いますと、たいへん不純な動機で受けました。私が小学二年生の頃、新城教会のクリスチャンの数は少なかったです。教会にはほんの十数人しかいなくて、場所はここではなく、新城中学校の前の小さな四軒長屋の片隅にありました。
 日曜日になるとクリスチャンたちが集まって、細々と礼拝をし、最後には聖餐式がありました。
 聖餐式のやり方には、世界の教会でもいろいろな考え方がありまして、様々です。私たちの教会では、「イエス・キリストを信じます」と告白したら、自らの信仰告白として受け取ってくださいという立ち場ですが、ある教会では、「教会員として登録されている方以外は、受けないでください」という教会もあります。私も時々いろんな教会に招かれて、礼拝でメッセージを語ったりしますが、礼拝が終わった時に、「今から聖餐式をしますが、この教会の正式メンバー以外の方はご遠慮ください」なんて言うのです。「あっ、私はメンバーじゃないわ」ということで、講師として招かれたのにもかかわらず、結構寂しい思いをしたことがあります。私以外のみんなが聖餐式に預かっているのを、ただ横で見ていたりします。
 また、ある教会は、「洗礼を受けた人以外は、決して受けないでください」という、「洗礼を受ける」ことが絶対条件という教会もあります。
 また、ある教会は、私たちと同じように、「イエス・キリストを信じると告白をした人は、皆、受けてください」と言います。洗礼を受けたくても、諸事情で受けられない人たちもいるわけですから、私はそういう風に配慮した方がいいと思っています。しかし、その理解は様々なわけです。
 どの考えを採択するかは、それぞれの信仰によるわけです。初代の新城教会はバプテスマを受けなかったら、聖餐式を受けさせてくれませんでした。ちょっと厳しかったのです。当時は、ある団体に属しておりまして、その団体は結構厳しかったのです。
 聖餐式の時、十数人しかいませんので、パンやジュースの分け前は結構多かったです。パンも今よりずっと大きくて、ぶどうジュースもこんな小さなカップじゃありませんでした。大きなカップに、なみなみと注がれていました。それもお昼ちょっと前に行われるじゃないですか。蓋を開けるとふわ〜とジュースの甘い匂いが広がり、「洗礼を受けていない人は駄目だ」と言われるわけです。私はその時、差別だと思いました。子供ながらに「一緒に食べたい」と思っていましたが、「駄目だ」と言われるもんだから、バプテスマを受けることにしたのです。あの時代は食糧難の時代でしたから、「私もバプテスマを受ける!」と言って受けました。
 受ける季節も八月を選びました。この季節は温かいですから、その頃は桜淵でバプテスマ式をやっていましたから、ついでに泳ごうと考えてバプテスマを受けたという、いい加減な者でした。
 みなさんはどういう動機でバプテスマを受けたのかわかりませんけれど、バプテスマは大へん神秘的なことなのです。コロサイ人への手紙二章十二節、

『あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。』

 マルコの十六章には、『信じてバプテスマを受ける者は救われる』とありましたけれど、イエス様が天においても地においても一切の権威を受け取ったと語られましたが、イエス様の十字架の死と甦りを瞬間的に、神秘的に辿る方法が、「バプテスマを受ける」中にあるのです。そこで瞬間的に限定解除され、一切の権威を受け取ることができるのです。いや〜、すごいですね。
 この権威に気づいているか、気づいていないかは、大きな差だと思います。洗礼を受けた時、どういう思惑で受けたか知りませんが、イエス様の甦りの権威を共有したのです。
 是非とも、この権威を確認していただきたいと思います。そして、バプテスマを受けることを躊躇しておられるなら、環境的にどうしても受けられない方は別にして、ぜひとも、バプテスマを受けで下さい。
 信じたら救われますが、それはある意味、限定付き権威です。しかし、バプテスマを受けたら限定解除です。天においても、地においても、一切の権威が与えられるのです。たまにサタンにつつかれて文句が言えないような限定付き権威よりも、全幅の権威の方がいいです。
 この権威に気づいたら、怖いものはありません。この全幅の権威の中に隠されている宝を使うことができるのです。案外、日本のクリスチャンは、この権威に気づいていないのかもしれません。

 時々、特権が与えられているのにも関わらず、気づかないと損をすることがあります。私は韓国によく行くのですが、ホテルを用意してくれたりして、何気なく過ごして、「朝が来た、腹減ったな・・・」とコンビニに行ったりします。韓国にもコンビニは多くあります。セブン・イレブンとかミニ・ストップとかあります。朝食を買って来て部屋で食べたりします。十時くらいになると迎えが来て、「順先生。朝、食事しましたか?」なんて聞かれ、「コンビニで食べましたけど・・」と言うと、「今日のホテルは朝食付きですよ!!」なんて言われ、「えっ、知らなかった・・・。」というようなことがあります。「コンビニなんか行く必要なかったんですよ!ちゃんと朝食が付いてますから!」と言われ、次の日にホテルの朝食会場に行くと、なんと、コンビニのおにぎりやサンドイッチのレベルを遙かに超える、バイキング朝食がありました。まるでディナーのような豪華な朝食があるじゃないですか。「俺は何日間もミスった!」と言うことがあります。

 案外クリスチャンもそういうところがあるのではないかと思います。すごい特典があるのにも関わらず、使っていないのです。イエス様を信じてバプテスマを受けると、すごい特典があるのです。その特典がどこに記されているかというと、コロサイ人への手紙二章十二節、

『あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。』

 バプテスマを受けるだけで、死から甦ったのと同じです。水の中に入るのは、イエス様と同じように死んで、葬られることを現し、水から出て来るのは、甦ったことを意味します。
 これは神秘です。どういうメカニズムになっているのかわかりませんが、天地宇宙を作った神が、このような神秘的な領域を教会に与えたわけです。我々が水の中から出た時、新しく甦り、そこに与えられる特典が何かと言うと、コロサイ人への手紙二章十三節、

『あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、』

と書かれています。イエス・キリストを信じてバプテスマを受けるというのは、罪の赦しの宣言です。罪が赦される為には、まず第一に、自分で罪を意識し、罪を悔い改める必要があります。その時に罪は赦されるわけですが、それがはっきり「赦されました!」と宣言されるのは、バプテスマを受けた時です。罪の赦しを一人一人がしっかりと受け取る必要があります。
 ある方と先日お話ししたら、その方は精神的に病んでおられました。私はその方のためにお祈りして差し上げたのですが、「ここまで至るまでに、何か問題がありましたか?」と聞くと、「それはちょっと言えません。」と言われました。しかし、いろいろとお祈りをし、次の機会にもう一度お会いした時、「今まで私は、誰にも言うことが出来なかったのですが、私は一つの罪を犯したのです。その時から、私は心を病んだのです」と告白されました。
 クリスチャンであれ、クリスチャンではなくとも、人は神によって作られていますから、「良心」があるので、罪を犯せば、「私は罪人だ。罪を犯してしまった・・・」と意識するわけです。
 しかし、罪が赦されたという確信がないと、だんだんと心が病んで、精神的に病んだりすることもあるわけです。
 私たちの罪は、すべてイエス様が十字架の上で身代わりとなって下さいましたから、悔い改めて、バプテスマを受けると、罪の赦しが宣言されるのです。「あなたは赦されました!」と。
 今日、「私の罪は赦されている!」という確信を持つことが大切です。
 また、クリスチャンになってから行った罪も、悔い改めるならば、赦されます。それはバプテスマを受けた者たちに与えられている特権です。

 第一に「罪の赦し」という特権が与えられています。しかし、それはどこの教会でも教えていることです。しかし十字架での勝利における特権は、罪の赦しだけにとどまりません。次に与えられている特権は、コロサイ人への手紙二章十四節、

『いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされた』

と記されています。
 みなさんの中で、「私は借金をして、取り立て屋に追われた経験がある、と言う方はスイッチオン!」「あっ、結構いますね」という感じかもしれません。借金の取り立て屋がなぜ来るかというと、何も理由がなくては来ないのです。それは、あなた自身がサインした「債務証書」があったからです。
 ある時、高利貸しとかサラ金屋で、「○○円お金を借ります。○○までに返します」というような、証書にサインをしたわけです。サインをしたら、必ず、請求が来るのです。
 この頃は便利な時代で、クレジットカードを持っていれば世界中どこでも旅が出来ます。私は韓国によく行きますけれど、韓国ウォンをあまり使ったことがありません。私は韓国に行くにも、日本円は二、三千円しか持っていません。韓国ウォンもあまり持っていません。韓国はどこでもクレジットカードが使えますから、カード一枚でサインさえすれば、ご飯も食べられますし、買い物も出来ます。クレジットカードって便利だなと思います。
 先日はペルーに行きました。ペルーの田舎でもカードを使いました。こんな誰も知らないような田舎でカードを使っても、俺のことを誰も知らないし、請求なんて来るわけがないと思ってサインしたとしても、一ヶ月後、ちゃんと請求書が来るのです。どこで何を、いくらだけ使ったかという全てのデータと共に、しっかりと請求が来るわけです。それはある意味で怖いです。だから、気をつけてカードを使わなければなりません。なぜなら、これは契約行為だからです。契約の内容なんて、あまり深く考えません。しかしクレジットカードは契約行為なのです。サインをする時、後ろには分厚い約款が付いていす。「期日までにお金を払わなかったら訴えますよ」とか、結構恐ろしいことがいっぱい書いてあるのです。支払えないと後から、不利な債務証書となって私たちを苦しめるのです。

 実は、私たちが罪を犯す時、何が起こるかというと、債務証書が発行されるのです。債務証書が誰に渡るのかというと、悪徳サラ金屋に渡ったらどうでしょうか。結果的に苦しめられます。罪を犯すと、罪とは、自分と神との関係ですが、債務証書は、神様との関係と共に、一方では、悪魔に渡るのです。
 罪は必ず、悪魔の働きと一体となっています。罪を犯す時は、結構、簡単に罪を犯します。それはクレジットカードを使って、気軽にサインをするようなものです。「このくらいどうってことないや・・・」と。
 けれども、そこには債務証書がくっついていますから、後から請求が来るのです。悪魔と悪霊どもが請求書を持って来るわけです。「おまえは神の前にこういう罪を犯しただろう。だから俺はこの債務証書を貰ったんだ。おまえを責めても神様からは文句言われないんだよ」と、責め立ててくるわけです。

 特に、偶像礼拝は、三代・四代にも渡って責め立てられる債務証書にサインしたことになるのです。なぜクリスチャンは偶像礼拝をしないのかというと、もちろん真の神に対する大きな罪であるからですが、同時に、よく知らなければならいのは、三代・四代にも渡って、悪魔によって家庭が責め立てられる債務証書にサインすることだからです。じいちゃんばあちゃんが偶像礼拝をすると、孫の時代に債務証書を持った悪魔が現れるわけです。「おまえ、ちょっと出て来い!」と言うのです。なぜかと聞くと、「おじいちゃん、おばあちゃんが偶像礼拝によって、家族に対して契約を結んだからだ」言うわけです。
 しかし、イエス・キリストを救い主として信じて、バプテスマを受ける時に手渡される特権の中には、悪魔との間に結ばれた契約が無効となる特権があるのです。すごいじゃないですか。こんな素晴らしい特権はないのではないでしょうか。
 案外、罪が赦されることだけで理解が止まって、債務証書が無効になることをはっきりと理解していないのかもしれません。債務証書を無効にしていただける特権が、バプテスマにはあるのです。
 次に、コロサイ人への手紙二章十五節、

『神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除する』

とあります。「すべての支配と権威」とは債務証書を持って来る「悪魔と悪霊どもの軍団」を指しています。悪魔と悪霊どもの軍団は、債務証書を持って私たちを責め立てに来るのですが、なんと、悪魔・悪霊どもが持っている武器が武装解除されるのです。武器がなくなるとは、傷つけることが出来なくなることです。
 この教会には、戦争に行かれた旧日本軍の勇士のおじいちゃんもいますけれど、兵士たちも武器がなかったら、ただのおっちゃんの集団です。しかし彼らが、武器を持つ時、軍隊となるのです。悪魔や悪霊どももそうです。彼らは武器を持って私たちを責め立てるのですが、武器が取り上げられ、武装解除されるのですから、私たちを苦しめることができないのです。これは、問題解決に繋がります。

 先週は本当に嬉しかったです。なぜなら、今まで新城教会が祈って来た課題の一つが解決し、勝利したからです。連休に、新城教会の遠足はどこに行きましたか?浜岡原発に行きましたよね。みんなで祈ったじゃないですか。すると、みなさんが祈った二日後に何が起こったでしょうか。菅総理はすごいことやりましたね。浜岡原発を停止すると発表しました。そして先週、浜岡原発の原子炉の全てが停止しました。これは祈りの答えであると思いました。
 もちろんすでに政府の中では、また、中部電力の中では、浜岡原発停止の話し合いがあったと思われますけれど、我々が祈った二日後に発表されたのは、大きな励ましでした。それはキリストの体による、祈りの勝利ではないでしょうか。

 なぜ私はこの件に関して嬉しいのかというと、三月十一日、地震の時、私は韓国に居ました。日本の様子を知り、大変心が痛かったです。
 しかし、私がすぐに祈らなければならないと感じたのは、被災された方々の事と共に「浜岡原発」のことでした。
 日本は原子力に関しては、悪魔に債務証書が渡っているのではないかと思います。世界で最も原子力を使って悪魔が関わりやすい国、それは日本かも知れません。なぜなら、日本は広島と長崎に原爆を落とされて、世界で最初の被爆国になったからです。太平洋戦争を通して、原爆を喰らったことにより、サタンと契約を結んでしまったような面があるように感じます。
 だから日本は、原子力に関して、滅法、弱いのかも知れません。福島で壊れた原発をなかなかコントロールできないのも、もしかしたら、そういう理由があるのかも知れません。一つの原発が崩れれば、次々と破壊が来るような気がしました。だから、浜岡の守りを祈らなければならないと思いました。
 私は韓国から帰って、すぐに浜岡原発に行きました。私は最近、韓国に行くのに、静岡空港を利用しています。静岡空港からはソウル便が毎日二便出ていて便利です。時間的にも便利ですし、駐車場も無料です。静岡空港の宣伝マンではありませんが、二週間駐車しても無料です。それで私は、静岡空港を使っているんですが、その時も帰りは静岡空港でした。そこから浜岡までは、車でたったの三十分です。私はその足ですぐに浜岡に行って、「どうかここに被害が及ぶことがないように」と、家内と共に真剣に祈りました。
 その時、ふっと思いました。日本に落とされた原爆がどこで作られたか存知でしょうか?原爆は、アメリカのワシントン州のハンフォードで造られたのです。その街で、かの有名なマンハッタン計画が実行され、何万人という人たちが、何を作っているのかも知らずして原爆を作らされました。当時のアメリカ合衆国の九割ぐらいの電力を費やし、原爆を作ったのです。
 ハンフォードがどこにあるかというと、ピアスのお父さんのジョー先生の住んでいる近くです。ジョー先生は六月に新城に来られますが、ジョー先生が住んでいるヤキマから二時間くらいの場所にあります。
 私も以前、とりなしの祈りに行ったことがあるんですが、ジョー先生たち、原爆を落とした側も悔い改めの祈りをして、私たちも浜岡に行って悪い契約書を無効にする祈りをしないといけないんじゃないか、と思いました。私はすぐに、ジョー先生に電話しました。「ジョー先生、ハンフォードに行ってくれますか?」と聞きました。すると、さすがジョー先生は霊的な人ですね。「順、俺も今、そのことを考えていたところだ。ハンフォードに行って祈らなくちゃいけないと思っていたところだ」と言って、なんと、すぐにジョー先生が教会のとりなしチームと共にハンフォードに行って、浜岡とつないで祈ってくれました。

スライド2.JPG

 これは広島に原爆が投下された直後の写真です。長崎と広島に原爆が落とされて、何十万人もの人たちが死にました。

スライド3.JPG

 この写真が世界で初めて原爆を造った、ハンフォードの秘密基地です。ピアス君の家の近くといってはなんですが、コロンビア・リバーが隣に流れており、今もこの工場は稼働しています。ここは秘密扱いで、普通じゃ入れないのですが、ジョー先生たちは特別な許可を受けて中に入っても祈ってくれました。先日は、原爆工場の近くで浜岡と繋いで、真剣に祈りました。「悪い債務証書が無効になりますように!」と。

スライド4.JPG

 これは浜岡原発です。そのような経緯もありましたので、今年の春の遠足はキリストの体の賜物を総動員して、浜岡原発への遠足を企画させていただいたのです。
 初めは、デモ隊でも作り、みんなでプラカード作って、「原発止めろ!」とやろうかとも思いました。何しろ、新城から直線距離で浜岡までは六十キロですから。でも、そんなことをしても効果はありません。私たちは原発の隣の公園で、みんなで賛美して祈りました。

スライド5.JPG

 大勢の方々が行ってくれました。するとみんなで祈った二日後、原発の停止が要請され、昨日は、原子炉の全てが停止したのです。そのような経緯があったので、特に嬉しかったのです。これは新城教会に対する、一つの主からの励ましだと思っています。
 もちろん、先ほども話しましたように、浜岡が危険であることは政府だって十分承知していますし、すでに検討されていたことだとは思いますが、祈った後のタイミングで停止したのは、私たちに対する主からの励ましであると理解しています。

 第二列王記の六章から、エリシャがもらった二倍の油注ぎによって、どこから敵が攻めて来るのかを主から教えていただいて祈ろうと先日話し、祈りましたが、その祈りの結果であると信じます。やはり聖書に記されていることは事実です。このように結果として、現わされますから。

 この結果を受けて、私たちは更に信仰の炎を燃やさなければなりません。敵の進入路を主から教えていただき、敵の武装解除を宣言するとき、問題解決に繋がると信じます。

 実は、罪を犯すと債務証書が発行されるのですが、罪として簡単に気づく罪は良いのですが、気づかない罪も結構多いものです。本来、聖書から見たら罪であっても、それを罪だと認識できないと、債務証書が残るわけです。
 先週は神学校があって、霊的戦いのクラスで講義をしたのですが、旧約聖書の時代、イエス様の十字架の勝利が完成する以前、偶像礼拝には大きな罰が伴いました。個人が偶像礼拝をすると、それが事実だと、石打ちの刑で殺されました。
 さらに、街のリーダー達、「よこしまな者たち」と聖書には出て来ますが偶像礼拝をすると、共同責任として街の住人全員が殺され、街の全てが焼き払われ、その街は永久に再建できないと宣言されています。そのことを学んで、偶像礼拝の罪って怖いな、と思いました。
 特に、私たちが自分の罪として認識できない、共同体が行った罪についてです。今述べたような、街が行った罪や、国が行った罪は、自分とは関係ないように思ってしまい、ピンっと来ないからです。でも、そういうのが、聖書を見ると、結構重い罪の部類に属するのです。共同体の代表が行った罪は大きな罪であって、大きな債務証書となって後世に残る場合が多いのです。

 韓国リバイバルミッションは、ある意味、日本が過去に悪魔・悪霊どもと結んだ国家的契約書を無効にするという、大きな役割もあると思います。いつも話していますが、日本が明治時代から一九四五年の太平洋戦争が終わるまで、日本は朝鮮半島を始めとしてアジアの諸国に、本当にひどいことをしました。中国にもひどいことをしました。
 案外、私たちは、正しい歴史が教えられていなくて、それらに対して無頓着です。しかし韓国に行くと事実がわかります。
 先週は、雅也先生とピアスと何人かの勇士たちが、韓国にとりなしに行ってくれました。そして日帝時代の刑務所跡にとりなしに行ってくれたんですが、そこには当時、政治犯、思想犯が収容されていました。日本がそのとき彼らに対してどんな拷問を加えたかを展示し、記録している場所です。本当に心が痛かったと、レポートしてくれました。
 拷問といっても、ただの拷問ではなく、板に釘を打ってそれで体をプレスしたり、鼻から熱湯を入れたりとか、本当にひどいことをしました。戦争が終わったら、日本は「俺は知らない。俺はそんなことはやった覚えがない」というような部分があります。「中国でも、そんなに悪いことはしてないよ・・・」と。
 しかし、実際、被害者の方々は、それをよく覚えています。それはただ単なる罪ではなく、悪魔に債務証書が渡っています。私たちクリスチャンのみが、それらをキャンセルすることができるわけです。それはクリスチャンと教会に課せられた、重要な働きだと思います。
 私たち日本人が韓国で働くのは大変ですが、この働きを通して、主が罪を赦し、日本が悪魔と結んだ契約書を解いてくださるのではないかと期待しています。

 一昨年、その祈りを韓国で行ったとき、主が大きな扉を開いてくださいました。一昨年の韓国リバイバルミッションの後、「この働きは重要だから、さらに進めて行きなさい」と語られたように思いました。だから、私たちはすぐにでも続けたかったけれど、「今年一年間は、韓国じゃなくて東北でやりなさい」と言われました。それで、去年は東北リバイバルミッションのために、一生懸命働きました。今年、このような出来事が起こったのは、なんらか神の日本に対する計画があるからだと思います。

 私は最後にもう一つの証をして、終わりたいと思うのですが、この頃、もう一つ大変感謝なことがありました。二月に私は、霊的戦いセミナーをリバイバルミッション主催でやらせていただいたんですが、その時、リバイバル聖書神学校を卒業した方が一人の女性を連れて来られました。そして、「この人のために祈ってくれますか?」と言われました。私は「いいですよ」と答えました。その方は独身の女性でした。明るい人でしたから、「この人になんの問題があるのかな・・・?あなたの家族の問題ですか?」と聞くと、「いや、違います。私の問題です。私、癌なんです。乳ガンなんです」と言われました。それも大きいというのです。
 「すでに全摘手術が決まっていますが、ガンが背中の方にも転移している」というのです。だから、全摘してみても駄目だから、抗がん剤で治療してから手術が決まっていると言われました。
 私はそれを聞いた時に、「それはちょっと難しいな。祈ったって、そう簡単には何も起こらないだろう・・・」と思いました。でも、真剣に祈ってあげました。その人は、初めて解放の祈りを体験したらしく、すごく恵まれたらしいです。「来て良かった!私は癒されたと信じます!」とか言って、「今度病院に行くのが楽しみです!」なんて言ってました。
 私はそれを聞きながら「そんなこと、簡単に言わないでくれよ。そう簡単には変わってないよ。俺が祈ったって無理だ。今までガンが転移してる人が癒やされたのはあんまり見たことはない、そんなに簡単じゃないんだから」と思いました。
 しかし彼女は「私は戻ったら、すぐに病院に行きます。結果をお知らせします」とか言って、喜んで帰りました。
 しばらくして、その人から知らせが来ました。さて、どんな知らせが来たと思いますか?何も起こらなかったら、こんな話するわけないのです。
 どんな知らせが来たかと言ったら、「順先生、ガンの大きさは何も変わっていませんでした。変化は何もありませんでした。」という知らせでした。全く変化なしでした。医者も、「抗がん剤をやっても、そうすぐには効果は出ないから、これからも続けなければ」と言ったそうです。私は、やっぱり予想したとおりだと思いました。

 その人を連れてきた人が、地域の偶像とか、霊的拠点を調査して持って来てくれました。「順先生、この領域も祈ってください」と。それで、私はリストを見ながら一応祈りました。けれども、後からの報告は、何も変わっていないという残念な結果でした。
 しかしその後、リストの中の一つの神社の名前が、私の頭から離れませんでした。その神社の名前は一般的日本語じゃないような、縄文人がつけたような地名の響きがありました(日本にはアイヌ語の地名が多い)。だから、私はインターネットでその名を調べてみました。
 すると、そこには大きな岩があって、あの東北でよく祈っていた「アラハバキ」が代々祀られていました。その後、弥生人と共に神道が入って来て、そこを自分たちの拝み場にした経緯がある場所でした。
 私は仕事でその地域に行っている、新城教会の会員の人に電話して、「ちょっとその場所まで行ってとりなして、祈って来てくれないか?」とお願いしたら、「私なんかで大丈夫ですか・・・」とか言ってました。しかし、「そんなことないよ。イエス・キリストを信じた者たちには、すばらしい権威があるから、行ってください!」と言うと、「わかりました!」と言って、行ってとりなしてくれました。こちらでは、教会のスタッフがその場と繋いで、甦りの権威を宣言して勝利を祈りました。
 その後、病気の方に連絡して、「機会があったら、その場との悪しき契約を断ち切る祈りをし、勝利を宣言する祈りをしてください!と言いました。
 去年、東北リバイバルミッションをやらなかったら、そういう視点はなかったのですが、岩があるような古い拝み場を使って悪魔は日本を束縛しているということが分かっていましたから、その視点によってその場所を発見し、とりなしたのです。

 その後、その方は属している教会の伝道師と共に、現地にとりなしに行かれたみたいです。私が韓国にいる時に連絡が来て、「今からそこに、戦いの祈りに行きます!その後、病院でPETとMRI検診の重要な検査があるから、その前に祈りに行きます!」と朝、連絡が来たのです。私は韓国で家内と共に祈りました。しばらくすると、連絡が来ました。「今から検診に行きます。癒やされているか楽しみです!ハレルヤ!」なんて言うので、私は、きっと検査でさらなる転移が発見されるに違いないと思っていました。
 しかし、その後、何が起こったと思いますか?何も起こらなかったら、ここまで話すわけがないですけれど、なんと、ガンが完全に消えたのです!胸のガンも、背中の転移も消えてしまったのです。医者は癒されたとは言いませんから、「ありません」としか言わないらしいのです。「何もありませんでした。所見なし。」だから、手術は中止。六ヶ月後、チェックをすると言われているそうですが、手術は中止となりました。私は本当に嬉しかったです。

 私には、これっぽっちも信仰はありませんでした。けれども、権威と共に法則を使う時、主の勝利が現されることを見せていただきました。
 去年、東北ミッションをやったのも、韓国ミッションをやったのも、その中で得られた情報によって勝利したのです。国の罪、歴史の中で犯された罪を意識して悔い改め、債務証書を無効にする宣言のスイッチを押しただけです。これからこういうことが、頻繁に起こるように祈り続けようではありませんか。
 なんと聖書は、「彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられます」とあります。彼ら、悪霊どもを捕虜とする、敵が二度と立ち上がることが出来ない完全勝利を与えてくれるのです。この全幅の権威と共に世界に出て行きなさいと、主は語られたのです。
 コロサイ二章をちょっとイラスト化してもらったんですが、出来たでしょうか?タイトルは「コロサイ二章保険事務所」です。

スライド1.JPG

事務所の一階は、罪の赦しセクションです。このセクションだけで止まっていてはいけません。書類を二階に回さなければいけません。二階は、債務証書を無効にする事務所です。しかし債務証書が無効にされたら、三階にまで書類を上げると、三回は問題解決と武装解除を専門に扱う事務所です。四階にもその書類は持ち上げられます。それは、悪霊どもを捕虜とする完全勝利を宣言するセクションです。完全勝利!
 このような全幅の権威と共に、「世界に出て行きなさい!」と語られていますから、間違いないです。これは、私にも、みなさんにも与えられている権威です。リバイバルが更に拡大するように、祈って行きましょう!では、祈ります。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名を崇めて心から感謝します。今日はこうして、あなたを礼拝できたことを、心から感謝します。あなたが大きな祝福を与えてくださったことを心から感謝します。今日は、完全勝利の契約書、新しい契約を持って、世界に出て行けることを感謝します。
 主によって救われた者として、聖餐式を行ないます。どうかこの聖餐式を祝してください。あなたが甦られたことをもう一度確認し、私たちは現場に出て行きます。イエス様の御名によって、このパンとブドウのジュースを聖霊によって、御言葉によって、イエス様の体であり肉であることを宣言します。イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン。