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「20年目のリバイバル」

2011.7.10(SUN)
新城教会主任牧師 滝元 順
第一サムエル記7章1〜2節

『キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。』

 ハレルヤ!みなさんおはようございます。暑くなりましたけれども、元気に礼拝できますことを心から感謝します。今も聖歌隊から「今日まで守られ」という、すばらしい賛美を聞きましたけれど、今日まで守られたことを主に、心から感謝したいと思います。

 今日は二〇一一年の七月の十日です。昨日は、私たちの教会にとって一つの大きな記念日でした。それは何かというと、一九九二年の七月九日に霊的戦いが始まったからです。
 一九九二年という年は大きな意味のある年でした。一九九三年に日本のリバイバルを求める大集会、「全日本リバイバル甲子園ミッション」が開かれまして、その準備のただ中にあったのが、一九九二年でした。リバイバルを求めて真剣に祈っている時、天が開かれ、二月十三日でしたけれど、激しく教会に聖霊様が訪れてくださいました。
 そして、続く七月九日、新たなる展開がありました。それは霊的戦いが本格的に始まったからです。
 こんな風に話しても、あんまりよく理解できない方もおられるかもしれませんが、私はこの教会の歴史、そして、その中に起こってきたことを本にまとめました。「主が立ち上がられた日」という本を書いたのですが、まだ読んだことのない方は、ぜひともこの機会に読んでいただきたいと思います。
 「主が立ち上がられた日」は、英語にも訳されましたし、また、一昨年は韓国語にも訳され、韓国では日本以上に売れています。日本はクリスチャン人口が少ないので、あまり多くは売れませんが、神様の始められた業の中身は否定できない事実です。それが今、世界に紹介されるようになりました。

 今日は、二〇一一年七月十日ですが、一九九二年からはじまった霊的戦いは、昨日で二十年目に入りました。二十年目に入ったことで、何か一つの節目を迎えているような気がします。
 今日読んでいただきました箇所に「主の箱」という、律法の刻まれた石の板が納められていた箱が『キルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月が経って二十年になった』とありました。二十年は、聖書では「長い年月」だというのです。霊的戦いが一九九二年に始まって、昨日から、二十年目に入ったのですが、ある意味、それは「長い年月」です。
 しかし、二十年目を迎えた時に、神はイスラエルに素晴らしいみ業を始められたことを今日、みなさんに分かち合い、確認し、二十年目に期待したいと思います。

 第二コリントの四章一節から四節までを見ると、いくら福音を伝えても人々に伝わらない原因が示されています。それはおおいが掛かっているというのです。そのおおいとは、すなわち「この世の神」だと。サタンがおおいを掛けているのです。福音を伝えようとする時、拒絶する力は「霊的な力」なのです。
 日本で百五十年福音が伝えられてきたのですが、クリスチャン人口は少ないのです。今日私たちは礼拝を守っていますけれど、一教会の全国平均人数は二十数人です。日本には八千教会くらいありますが、ほんの二十数万人しか礼拝を守っていないことになります。総人口の比率から言えば〇・二パーセントくらいです。こんな国ってあまりありません。
 日本ではいくら伝道しても福音が伝わらないのです。どこに原因があるのかというと、国に霊的覆いがあるからです。今日、大きな毛布を持ってきて、会場に広げたら、いくら電気がついていても、みなさんの所に光が届きません。光を届けたかったら、まず、覆いを取らなければなりません。
 福音を伝える、伝道するのは重要ですが、覆いがあるところにいくら語ってみても届かないのです。その覆いは霊的なものなのです。
 そのことは聖書に記されていますから読んでいたはずですが、気づいていませんでした。全く気づいていなかったのです。

 しかし、一九九二年の七月九日のことですが、突然、朝の祈り会の中で、激しく聖霊様が訪れて、「この街に働いている敵の力を打ち破りなさい。街に出て行って祈りなさい」と強く促されました。あの時の感覚は言葉にはなかなかできないのですが、一度、本を読んでいただきたいと思います。強い促しを受け、三十名くらいの人たちが朝祈っていたのですが、神様から押し出されるように街に出て行き、街を覆っている暗闇の力を打ち破る祈りが、一九九二年の七月九日の朝六時から始まりました。

 前にもお話ししましたように、私は理工系の人間で歴史には疎い者でして、新城に住んでいながら新城の歴史なんて、全く興味がありませんでした。関心がないと全く気づかないものです。人間とは、目で物を見ているようですけれども、実は目ではなくて「意思」で見てます。何に関心があるのかで、見える物が変わってくるのです。
 それまで私は、新城の歴史なんて全く知らなかったのですが、霊的戦いが始まったのは、七月九日の朝の六時でした。日にちとか時間は、全く気にしていなかったのですが、私たちが地域に出て行って祈らされたテーマは、後から気づいたのですが、この街で起こった一つの事件に関連する事柄でした。
 それがなんであったかといったら、「設楽が原の戦い」という、一五七五年にこの地域で起こった戦いのテーマでした。その時、地域に侵入した死の力、破壊の力が打ち砕かれるように祈りなさいと、強烈に主が印象を与えてくださいました。
 それで、私もこの地域の歴史を調べてみたのですが、やっとその歴史に気づいたような者でしたが、一五七五年の五月の幾日かに戦いがあったとありました。だから、私は、「そうか、五月にあったのか」と思っていました。
 しかし、後になってわかったことは、五月は旧暦表記で、新暦に直すと「七月九日」でした。そして、設楽が原の戦いが何時から始まったかというと、朝の六時から始まったのです。なんと、日にちと時間までも、主は韻を踏むかのように戦いの祈りを始められました。

 今、私たちはこの場所で平和に礼拝を守っていますけれど、実は一五七五年、今から四百数十年歴史を遡ると、この場所は大変な惨状でした。織田信長と徳川家康の連合軍と、武田勝頼の軍隊が激突し、数時間の戦いで何人が死んだかというと、記録によれば「一万六千人」が死んだと言われます。
 一万六千人が数時間の戦いで死に、新城教会の前の広場から東に向かい死体で埋め尽くされたのです。「一万六千人か・・・」と簡単に言いますけれど、今回、東日本大震災で死亡が確認された人数が、七月八日現在で「一万五千五百三十九人」と報道されていました。
 ということは、設楽が原の戦いにより、東日本大震災で死亡が確認された人以上の人が一日の内に、狭い地域で命を落としたのです。それは本当に大きな事件でした。

 実は、その戦い以後、日本の歴史が大きく変化していきました。もしもあの時、連合軍ではなく武田方が勝って、徳川家康が死んでいたならば、また、豊臣秀吉もいましたが、新城で死んでいたら、まったく歴史は変わったはずです。
 戦いの後、最終的にどうなったかというと、キリシタン大迫害に繋がりました。江戸時代は徹底的にキリシタンが取り締まられ、キリストのキの字がついたなら、根絶やしにする強い迫害がありました。
 その政策は明治時代にも引き継がれ、やがてキリスト教は解禁されたのですが、迫害されたのはカトリックだったのですが、カトリックだろうがプロテスタントだろうが、日本人はキリスト教と聞いただけで拒否反応を示すような国民性になっていたのです。
 ということは、設楽が原の戦いから日本に覆いがかけられ、福音を留める力が介入したと言えます。そこから死の力も強力に介入したのです。設楽が原の戦いがその瞬間であったと言えます。

 しかし、そんなただ中に教会が建てられ、そこから霊的な戦いが始まったことは、神の回復の働きそのものであると信じます。新城教会になぜ、霊的戦いが始まったのか、それは私たちが熱心であったとか、がんばったからではありません。この場所は、元々、取り返されなければならない歴史を持っているからです。そのために主は、この場所に聖霊を注ぎ、ここから働きを始められたのだと思います。そのことを知る時、身が引き締まる思いです。
 今日私たちは集っていますが、一人一人その働きのために選ばれ、この場にいるのです。また、一人一人に使命が与えられていることを、確認したいと思います。

 実は今日読んだ聖書の箇所の前に、一つの事件が起こりました。その事件の後、二十年経って主が働きを始められたと記録されています。先ほど読んだ第一サムエル記七章二節に、

『その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。』

とありますけれど、一つの事件が起こって、二十年後に、新しいことが始まっているのです。
 どんな事件がはじめにあったのでしょうか。イスラエルの歴史を見ますと、王様や民が神に忠実に仕えていた時は、国は守られました。けれども、国が堕落して、偶像礼拝に向かった時、必ず国は滅びました。

 聖書の中に偉大な預言者「サムエル」という人物が登場しますが、彼が生まれ育った時代がどんな時代であったかというと、祭司エリの時代でした。その息子、ホフニとピネハスが宮を仕切っていました。この時代、神に対する礼拝は行なわれてはいたけれど、形式化していて、人々は神から心が離れていました。そして罪は犯すは、偶像は持ち込むはと、大変堕落した時代でありました。

 出エジプト以来、イスラエルが大切にしていた物がありました。それが、今読んだ中に出て来た、『主の箱』という物でした。これは「神の箱」とか「契約の箱」とも呼ばれますが、長さが一メートル十センチくらい、幅が六十六センチ、高さが六十六センチとなっていました。資料によっては多少寸法が違うのですが、あまり大きな箱ではありませんでした。その中に何が入っていたかというと、神がモーセに与えた十戒が記された「石の板」が納められていました。後には、アロンの杖だとかマナの入った壺も入れられたようですけれど、中心的には、神がイスラエルに与えた律法を記した石の板が入っていました。
 カナンの地に入国したイスラエルの民は、礼拝の時に、神の箱を真ん中において礼拝していました。それは、箱が礼拝の対象となっていたのではなく、一つの象徴でした。聖書の神は、言葉の神ですから、神が与えた言葉と共に主は働かれたわけです。ですから、礼拝とは神が与えた言葉に従っていく決断でもありましたし、また旧約の時代、神の箱とは、神が臨在を現される場所でした。
 旧約時代、神の臨在はどこでも現されたのではなく、特定の場所だけに現わされました。それが契約の箱が置かれている神殿でした。

 教会に来ますと結構難しい専門用語がありまして、「主の臨在」なんていう言葉も、初めて来られた方々には、「リンザイ?なんだろう」とわからないかもしれません。臨在とは、「神がその場に臨むこと」、「神がその場におられること」の意味です。神ご自身が人と出会ってくださる場所は、特定の場所であり、それが主の箱のある神の幕屋、神殿で神は人と交わりました。

 しかし今の時代はそうではありません。どこでも、私たちは神に祈ることができます。旧約時代から新約時代に移り、大きな変化があるのですが、旧約時代、イスラエルにとって神の箱は重要な物でした。しかし、神の箱をもちながら、人々は偶像に仕え、罪に浸っていました。
 そんな時、何が起こったのかというと、「ペリシテ人」という海洋民族が襲ってきたのです。なんとイスラエルは彼らに打ち負かされたのです。打ち負かされたどころか、最も大切な神の箱をペリシテ人たちに奪われてしまったのです。そして、事もあろうに、第一サムエル五章一節、二節、

『ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。』

 当時の戦争はもちろん軍隊の激突でしたが、究極的に言えば「神々の戦い」でした。一つの民が信仰する神と、他の民族が信仰する神との戦いでした。そしてある民族が勝つと、相手方の神を自分たちの神々の子分にするのです。このようなシステムは今日も同じです。
 ペリシテ人は「ダゴン」という、「海神」を主神としていました。それに対してイスラエルの神は主の箱に代表されるヤーウェーの神でした。ペリシテ人たちはイスラエルをやっつけて、彼らが一番大事にしてた箱を奪いました。奪ってどうしたのかというと、ダゴンの神殿に持ち込んで、「傍らに安置した」というのです。安置したというのは、「自分たちはイスラエルの神をやっつけたぞ」という勝ち誇った態度であります。

 日本の歴史を見ても、この構図は同じです。この頃、この新城の北の山側に新東名が通ることになり、忙しく工事が進んでいます。新城の一番古い場所がどこかというと、新城教会から北に五分くらい上った「大宮」という地域です。そこが一番古い地域であると言われます。その場所から礼拝に来られている方々もおられます。
 そこを調査してみると、縄文人という日本に最初に入ってきた人たちが長く偶像礼拝をしながら生活を営んでいたのがわかります。そこには、岩座神社という神社がありまして、岩座とは岩を神とするような宗教形態で、もともと、縄文人のものでした。神社の後ろには大きな山がありまして、それを神体として拝んでいたわけです。そこには縄文人の遺跡があります。
 しかし、この頃、新発見がありまして、新東名の工事で、今度は弥生人と呼ばれる、大陸から入って来た人たちの遺跡が出て来たのです。それがどこにあるのかというと、なんと、縄文人たちが住んでいた真上に重なるように、巨大な弥生人の遺跡が発見されたのです。今、その発掘作業をやっているのですが、間もなく発掘作業が終わったら埋め戻してしまうそうです。見に行きたかったら、見ることができます。
 弥生人の遺跡で一番大きいものは「登呂遺跡」と呼ばれる、静岡にある遺跡でした。しかし、今回発見されたこの弥生人の遺跡は、なんとあの登呂遺跡以上に大きいというのです。新城という場所は、昔はどういう場所だったのだろうかと思います。
 岩座神社には、現在、稲作系の神々が祭ってあるのですが、その鳥居のすぐ横、傍らに小さな祠があります。その小さな祠の名前は何かというと、「アラハバキ神社」というものです。それは縄文人たちが、主神としてあがめていた日本に最初に入ってきた土偶の名前です。それはパレスチナのバアル信仰にもつながる流れを持つ土偶ですが、それが神社の片隅に置かれています。

 これは聖書の中の記述と同じ概念です。ペリシテ人がイスラエルをやっつけた時、神の箱を自分たちの神々の神殿の片隅に置いて「やっつけたぞ」と勝ち誇っていました。
 しかし、そこに持ち込まれたものは、「神の箱」でした。偶像ではなく、生ける神を象徴する神の臨在そのものでした。その箱がダゴンの神殿に持ち込まれたのです。すると何が起こったのか、第一サムエル記五章三節〜四節を読んでみます。

『アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。』

 物が倒れるというのは、物理的な力さえかかれば倒れます。倒れるとは物理学的な現象です。地震があったりすると物が倒れる、それは物体に水平力がかかると倒れるのです。私は昔、構造力学を専門にしていまして、地震によって横揺れの水平力が加わると、家は倒れるわけです。ダゴンが倒れたというのは、ダゴンという像が、横から押されて倒れたわけです。
 朝起きたらダゴンが倒れていたので、地震があったのかなと思って、ペリシテ人たちはダゴンを起こしたと思うのです。二度と倒れないようにちゃんとして、次の日起きたら、また同じようにダゴンが倒れていたのです。次の日はなんと、ダゴンがバラバラになっていたというのです。それも、主の箱の前で、そのことが起こっていたというのです。彼らはちょっと気味が悪くなりました。

 倒れたことは、現実的に物理的力がかかって倒れることなのですが、それは霊的世界に起こったことを表す、一つの象徴的現象でした。それは目に見えない世界で何が起こっているのかを、見える世界に投影した現象でした。
 私たちは目に見える世界に住んでいるのですが、実は、見えない世界と巧みに関連して生きているのです。そして、見えない世界で起こったことが、見える世界に現実的な問題とか、物理的現象として現されることがあるわけです。
 それは何を意味していたかというと、神の箱が奪われ、敵の神々の奴隷になってしまったように見えましたけれど、実は、そうではなかったのです。
 神の箱がダゴンの神殿に持ち込まれ、傍らに置かれたように見えたのですが、実はそんなただ中でも、真の神は決して敗北されないということです。異教の神々のただ中で、主は戦いを始められ、なんとダゴンの像が倒れたというのは、ダゴンの背後に働いている悪霊どもが打ち負かされたことを意味していたのです。それを実証するかのように、ペリシテ人たちの中にいろいろな災害が起こり、自分たちの神々が勝利どころか敗北したことを現す現象が、ペリシテの人々に起こったのです。
 彼らは神の箱を自分たちの陣営に持ってきた為に、そのような災いがもたらされたことに気づき始めました。

 旧約時代、神の臨在は特定の場所にしか現されませんでした。しかし、イエス様が死から甦り、聖霊様が来てくださってからは、特定の人物や場所にしか現されなかった主の臨在が、主を信じる者たち全てに与えられるようになったのです。聖霊様が共に住んでくださっているクリスチャンのただ中に、臨在が現されるというのが、新約聖書の結論です。

 さて旧約時代の主の箱、神の箱とは、神の御言葉を携えているクリスチャンそのものです。私たちが主の箱そのものなのです。そして、主の箱が持ち込まれるところには、時には異教の宮のただ中に、それも片隅に置かれるような、一見敗北しているように見えても、決して主は敗北なさらないということです。私たちの遣わされる先々で、主は働かれるのです。

 新城教会も五十年以上、この田舎で伝道をしてきました。周りには偶像がいっぱいあって、ほとんどの人たちがイエス様を信じていなくて、迫害を受けながら伝道活動を続けてきました。ある意味、日本の神々の神殿の片隅に、主の箱が置かれたように見えたかもしれません。しかし、主はそんなただ中で、霊的戦いを始めてくださったのです。
 今、みなさんが住んでいる環境を考えたら、「私は家族でただ一人のクリスチャンです」とか、「地域でただ一人のクリスチャンです」という方もおられるかもしれません。
 日本はなかなか大変で、宗教的行事が地域と関連していたり、様々な戦いがあります。そんな中、自分がクリスチャンだと宣言するのは、なかなか難しい場面もあります。
 家族の中でも偶像行事があったり、自分は偶像礼拝はしないにしても、何らかの関わりを持たなければならない場面や環境があったりするわけです。時には、悪霊どもの宮の片隅に追いやられてしまうな、そんな感覚を覚える時もあるかもしれません。しかし、今の時代において、私たちこそ、「動く神の箱」なのです。契約の箱なのです。持ち込まれる場所において何が起こるのかというと、私たちが存在するだけで、背後に働いているダゴンの霊が倒れるのです。悪しき力が打ち負かされるのです。主の臨在があるがゆえに、どんな環境も打ち破って行くことを、旧約聖書のストーリーを通して後の日のために、神は情報提供されているのではないかと思います。
 ダゴンの宮に持ち込まれた主の箱により、主の臨在がペリシテに拡大していったのです。
 ペリシテ人たちは本当に恐れてしまいました。第一サムエル記五章六節〜七節、

『さらに主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」』

 物理的な倒れる現象に伴い、アシュドデの人たちに、腫物ができたり、病気になって、「我々は戦争に勝ったと思ってたけど、負けているのではないか・・・」と感じました。そして、この神の箱が恐れの対象になりました。
 こんな箱を置いておいたらひどい目にあうということで、他の場所に移したわけです。主の箱はペリシテの領地をたらい回しされるのですが、アシュドデからガデ、エクロンという場所に移されるのですが、行く先々で、同じ災難が起きたのです。彼らは神の箱が自分たちの領内に入ったことを恐れました。
 ペリシテの人たちはこの箱をどうしたらいいだろうかと話し合いをします。そして、ペリシテ人たちの結論が書かれています。第一サムエル記六章六節〜九節、

『なぜ、あなたがたは、エジプト人とパロが心をかたくなにしたように、心をかたくなにするのですか。神が彼らをひどいめに会わせたときに、彼らは、イスラエルを自由にして、彼らを去らせたではありませんか。それで今、一台の新しい車を仕立て、くびきをつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、その雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して牛小屋に戻しなさい。また主の箱を取ってその車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れ、そのかたわらに置き、それを行くがままにさせなければならない。あなたがたは、箱がその国への道をベテ・シェメシュに上って行けば、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのは、あの箱だと思わなければならない。もし、行かなければ、その手は私たちを打たず、それは私たちに偶然起こったことだと知ろう。』

 これは誰が出した結論かというと、神の預言者の意見ではなく、悪霊に属する占い師たちが出した結論ですから、注意深く捉えなければならないのですが、彼らは案外、的を得た結論を導き出しました。
 「この神の箱を、自分たちの領地に置いておいてはいけない」と、「これをイスラエルに返そう」と言いました。牛車に神の箱を乗せて自由にして、それが真っすぐにイスラエルの領内に入って行ったら、「私たちの間に起こってきのは霊的問題だったと、神の箱が持ち込まれたゆえに起こった」と。でも、イスラエルの方には行かなくて、牛が好きな方に行ったならば、「これは偶然に起こってきたこと」と結論づけました。
 私たちの人生にもいろんなことが起こってきますけれど、ある意味、二つの側面があると思います。一つは、霊的側面から起こってくる現象と、偶然はないですから、偶然というよりも、人為的ミスであったり、人間側に理由があって起こる事柄、すなわち、あまり霊的世界とは関わりがない現象の、二つの側面あると思われます。
 私たちは様々な事象の中に生きていますが、自分で注意しなければならない事柄は、十分に注意をしなければなりません。「神様が守ってくれるから、今日は四十キロ制限の所を百キロで走れ」と言って走ったら、事故を起こします。やはり制限速度は守らなければいけません。
 そのように霊的なこととは関係ない事象もあるけれど、見えない世界の敗北が、現実の敗北になりえることを知らなければならないのです。これは偶像に仕える人々の理解ですが、正しい理解をしていた側面もあるわけです。実際、この出来事は、霊的事象でした。

 こんな事件がイスラエルとペリシテ人の間に起こりました。最終的に、主の箱はイスラエルの手に戻されました。一つの大きな事件が終わりました。ペリシテの中に大混乱が起こり、また、イスラエルも神の箱が奪われたということで大混乱が起こり、やがて神の箱はイスラエルに戻り、一件落着となりました。

 それで、キルヤテ・エアリムという場所に主の箱が運び込まれ、丘の上のアビナダブの家に運んで、エルアザルが聖別されて、主の箱を守る役割につきました。
 それからは何も起こらない年月が二十年間続きました。
 しかし、この二十年目が経過した時、先ほどもお読みしましたけれども、第一サムエル記 七章二節、

『イスラエルの全家は主を慕い求めていた。』

 華々しい戦いが終わって、その後、あまり大きな変化はなく静かな時が続いたのかもしれません。しかし、二十年目になったとき、イスラエルの人たちは主を求めていたのです。二十年前はカナンの神々を求めていたり、罪や快楽を求めていたのですが、二十年が過ぎたとき、彼らに主を慕い求める状況が生まれていたのです。
 そして二十年目に、サムエルを通してイスラエルにリバイバルが起きました。

 私たちの教会にも二十年前に主が働きを始められました。七月九日から始まったことは、ダゴンが地に倒れるような華々しいことでした。そのことが「主が立ち上がられた日」に書かれていますから、是非とも新城教会の歴史を知るためにもお読みいただきたいと思います。
 また一九九三年は、甲子園リバイバルミッションがあって、日本がリバイバルのために立ち上がった年でもありました。これから主が大きなことをしてくださると、大きく期待するような年でもありました。

 しかし、私たちが期待するようには物事は進んでいきませんでした。あのような大きな動きがあっても、静かになって、一年、二年、三年、四年、十年経って、十五年、そして、二十年目に入りました。「神様は日本を忘れてしまったのかもしれない・・・。これからどうなるのか・・・」と、失望が私たちの心をよぎる時もあったかもしれません。しかし、神様は決して私たちを忘れていないのです。
 イスラエルにおいても神の箱が戻ってから二十年後、神は人々に主を慕い求める心を授けました。そして、サムエルは彼らをミツパという場所に集めて、悔い改め運動を起こし、彼らはひたすら主を求めて、偶像を全て捨て、主にのみ従う決断をしました。
 その後何が起こったかというと、宿敵ペリシテに「完全勝利」が取られたのです。二度とペリシテがイスラエルを攻めることができなくなったのです。このように、完全勝利が訪れたのは、なんと二十年後だったのです。

 これを見る時に、神様の働きはある時は、長い年月が必要なのかもしれません。その間、失望するような時もあるのかもしれません。しかし主は決して忘れておられないのです。必ず勝利する日が来るのです。勝利の日が定められているのです。
 詩篇一二七篇の御言葉を先週示されました。詩篇一二七篇一節〜五節、

『主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。』

 ここで、神様は私たちが眠っている間に、必要を備えてくださるお方だというのです。みなさん、昨晩はぐっすり休まれましたか?眠りはすごく大切だと思います。寝不足が続くと病気になってしまいます。夜眠る時はどういう時間か?私たちの休みの時間でもあるのですが、一方では、神が働かれる時間なのです。
 主は、眠っている間に愛する人たちのために必要を備えてくださるのです。みなさん、今晩眠る時に、「あぁ、疲れた。寝よ」ではなく、「私が寝てる間、それはあなたが働かれる時間です!」と宣言して、眠っていただきたいと思います。眠っている間に主は働きを拡大されるのです。
 マルコ四章二十六節〜二十九節にもこのような言葉があります。

『また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」』

 私の家内がトマトの苗を実家から持ってきて、ベランダの小さなポットに植えました。小さな物でした。私は植物を育てるとか、あまり興味がないので、「なんだこれっ」とか言って、ベランダが狭くなるじゃないかと思っていたのですが、ちょっと前に気づいたら、トマトの木はかなり大きくなっていて、小さなトマトがびっしりついているのです。「あれ?いつの間に実が出来た?」私は全く感心がなかったのですが、家内は関心があって、しょっちゅう水をやったりしていました。でも雨が多かったから、自動的に水をやったわけですが、気づいたら収穫の時が来ていました。昨日はそこからトマトをもぎ取って、夕食のおかずにしました。

 みなさん、神の国の働きも同じです。神の国とは、私たちが真剣に祈って真剣に努力して、何かしないと実を結ばないような気がするのですが、もちろん私たちが真剣に主に仕えることは重要ですが、一方では『夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して実を結んでいく』のです。そして、収穫の時が来るというのです。

 霊的戦いが始まって二十年は、夜は寝て、朝は起きて、そうこうしていたのが二十年でした。長い年月が経ったのです。しかし、そんな中で主自ら準備を進めておられ、収穫の時が来るのです。そんな二十年目であって欲しいと、今日、七月十日、みなさんと共に礼拝を守るのは、預言的なことかもしれないと感じています。
 今まで主が守ってくださった。「今日まで守られ来たりし我が身」と先ほども賛美を聴きましたけれど、心から感謝すると共に、二十年目を迎え主が眠っている間に大きな収穫を用意しておられることを、期待しようではありませんか。

 主は私たちが眠っている間に、必要を備えてくださるお方であると信じて、安心して眠りについて下さい。
 もう一度第一サムエル記七章一節二節を読ませていただいて、今日のメッセージに代えさせていただきたいと思います。

『キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、それを丘の上のアビナダブの家に運び、彼の子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。』

 今年、主が大きな業を新城に、地域に、日本に起こしてくださるよう、私たちもイスラエルの全家のように心から主を慕い求めて行きましょう。
 人々はミツパに集められ、真剣に主を求めて祈りました。その時に、本当の勝利がやって来たと聖書は記しています。今日、このような時、私たちは御言葉を学び、祈ることができ、心から感謝します。心から主を慕い求め、この地のリバイバルを求めて、歩んで行きたいと願っています。最後に一言お祈りさせていただいて終わりにしたいと思います。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。一九九二年の七月九日に、主がこの地域で戦いを始められました。その時から長い年月が経って、二十年目に入りました。主が今日まで守ってくださったことを、心から感謝致します。主よ、これからあなたを更に深く求めることができますように。そして、日本に本当の勝利が来ますように。
 特に今日は、イエス様、あなたが十字架にかかって死に、復活してくださったことによって、私自身が主の箱とされたことを感謝します。契約の箱であることを感謝します。どこに行っても、主がそこに臨在を現してくださり、敵の力が打ち砕かれることを宣言します。
 今日は、聖霊様が共におられ、主の箱であることを確認する聖餐式を行ないます。主よ、どうか聖餐式を祝福してください。御言葉と聖霊によって、この飲み物を主よ、あなたの十字架の血潮としてください。このパンをあなたの裂かれた肉としてくださいますように。これをいただく時、主よ、あなた御自身が私たちと共におられ、私たちが主の契約の箱となりますように。そして、それぞれの場所に遣わしてください。
 今日のこの時を心から感謝して、主の御名によって聖餐式を行ないます。アーメン。