HOME > 2011年バックナンバー > 9月 > メッセージ2011年9月4日

『Stand up! And Shine!
 ~起きなさい、そして、光を放ちなさい!~』

2011.9.4(SUN)
新城教会主任牧師 滝元 順
イザヤ60章1節〜7節

『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。ケダルの羊の群れもみな、あなたのところに集まり、ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、これらは受け入れられるいけにえとして、わたしの祭壇にささげられる。わたしは、わたしの美しい家を輝かす。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日もみなさんの前でメッセージを語らせていただけますことを、心から感謝します。
 今の聖歌隊の賛美は本当にドラマチックでしたね。素晴らしかったです。「今日まで守られ」とい部分が輪唱で歌われていました。日々が永遠まで繋がっていくことを感じ取ることができました。
 輪唱といいますと、昔、「かえるの歌が♪」という曲を歌ったことがありますけれど、私もだんだん歳を取って、何十年後には天国に帰ると思いますが、日々、主が守ってくださっていることを心から感謝します。
 今日は、本当に足下が悪い中、集まってくださり感謝します。特に、駐車場は借りている土地で勝手に整備できない弱点があり、ご迷惑をおかけしています。良い駐車場が与えられるように、祈っていただきたいと思います。

 今日、語らせていただきたい御言葉は、今、読んでいただきました、イザヤ六十章一節〜七節です。
 今日は「起きなさい、光を放ちなさい、Stand Up & Shine!」という題で話をさせていただきます。
 ある親孝行な息子が教会に来て言ったそうです。「牧師先生。お願いがあります。父が不眠症で悩んでいます。でも、教会に行って教会の椅子に座ると、すぐに眠れるらしいんです。だから、父のために教会の椅子を一脚分けてくれませんか?」と言いました。そうすると牧師が「いいですよ。そして、椅子よりもさらによく眠れる物を付けてあげましょう」と言ったそうです。それは何かと聞くと、「それは、私の語っているメッセージのカセットテープです」と答えたそうです。
 牧師のメッセージと教会の椅子は、不眠症の治療に効果があるという研究発表があるような、ないようなですが、今日は「起きなさい!」というメッセージです。
 みなさん、せっかく教会に来てくださいましたから、目覚めて光を放つ者になって下さい。

 先週の日曜日、私はインドネシア人の教会で奉仕をし、先週のウィークデーは韓国教会で奉仕してきました。インドネシアに行き、韓国に行って大変だったというわけではなく、インドネシア人の教会といっても、東京にあるインドネシア人教会でした。その教会の二十二周年記念礼拝に行きました。
 私はインドネシアの方々が四、五十名くらいいるのかなと思って行きました。インネシアの正装は「バティック」というハワイのアロハみたいな服ですので、わざわざそれを着て行きました。しかし着いたら、インドネシアの方々が二百五十人程集まっていました。しかし全員、ネクタイと背広姿でした。私だけがインドネシア人のようで、他の人たちは日本人みたいでした。私がちょっと浮いている感じでした。そこでメッセージをさせていただきました。
 しかし私は、そこに行けて嬉しかったです。なぜならば、私は、実は、間違って生まれてきた男だからです。私の母は戦争中、インドネシアにいました。
 私の母親は旧姓、「斉藤」というのですが、日本は本当にひどいことをアジアの諸国にして、韓国でも韓国語を止めさせて日本語教育をしました。インドネシアでも同じことをしました。日本はインドネシアを二年半、植民地支配したのですが、インドネシアの歴史教科書には、インドネシアは三百年間、オランダの支配を受けたのですが、「オランダの三百年支配より、日本の二年半支配の方がひどかった」と書かれているそうです。
 私の母は、戦争の頃、先生をやっていて、インドネシアに日本語教育の教育部隊の要員として派遣されたらしいのですが、なぜ、行ったかというと、その時に、斉藤先生という人物が二人いたそうです。計画では、私の母以外の斉藤さんがインドネシアに行くことになっていたそうですが、なんらかの手違いで母がインドネシアに派遣されたのです。母親は間違ってインドネシアに送られたのです。
 やがてインドネシアで終戦を迎え、いつ日本に帰れるかどうか分からない中でマラリアにかかり、死にそうになったそうです。ベッドでうなっている時、隣のベッドの人がクリスチャンだったのです。そしてイエス様のことを話してくれたそうです。その人も同じように大変な中にあっても、輝いていたというのです。そして、「日本に帰れたら、絶対に教会に行ってくださいね」と言われたそうです。
 やがて東京に帰り、早速、教会を探したそうです。当時、日本は焼け野原で、どこに教会があるのかわからなかったけれど、教会を探し当てて行ったそうです。やがてそこでクリスチャンになったのです。
 しばらくしたら、その教会に目がくりっとした、「この人はインドネシア人かな?」と思うような男が来たそうです。それが「滝元明」という男だったのです。やがて二人は結婚して、生まれたのがこの私です。というわけで、私は「間違って生まれた男」なのです。
 政府が間違って母をインドネシアに送らなかったら、私は生まれていませんし、みなさんもここにいたかどうかはわりません。神様は間違いさえも使って、栄光を現してくださるのです。
 私はそのことをインドネシア教会で話しました。かつて日本は大きな間違いを犯しましたけれど、そんな過去さえも使って、栄光を現してくださるお方です。
 今日もここにいろんな背景や理由で来られたかもしれません。しかし誰一人として偶然に来られた人はいません。神の偉大な計画があるのです。
 ある人は、「私は人生を間違ってしまった」と言われるかも知れません。しかし、間違いをも使いながら、神はその人を起こし、主の栄光を放つ器にしてくださるのです。

 先週は久しぶりに、韓国におじゃましましたが、向こうに滞在した期間はたったの三日間でした。しかし集会はそれでも五つぐらい行いました。みなさんの祈りに支えられ、大変良い集会でした。
 今週から「九州リバイバルミッション」が始まりますが、韓国と九州は強い繋がりがあって、このタイミングで、韓国にて奉仕が出来たのは祝福でした。
 今回は経費節約で一人で行きまして、一人で全てをやらなければなりませんでした。泊まる場所も監督さんの事務所の二階を貸してもらいました。メッセージを語りながら写真を撮るわけにはいかないので、写真を撮れなかったのですが、写真をお見せしたいと思います。

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 これは集会が始まる前に撮った写真なので、人数が少ないですが、三千人くらいの教会です。韓国は本当に大きな教会が多いです。私もどの教会で奉仕するのか全然知らずに行ったら、大きな教会でびっくりしました。
 この写真の方のために祈っていただきたいのですが、この人は脱北者です。今回、この人といろいろ話をすることができたのですが、本当に祈ってあげなくてはいけないと思いました。
 この人はかつて北朝鮮に住んでいて、長いこと金正日の支配下で苦しんでいたのです。しかし、お金を払えば中国へは闇で出入りできるそうです。ある時に誰かに中国に行こうと誘われ、中国に行ったそうです。
 中国に行った時に、彼はある宣教師に出会ったそうです。そして、初めて福音を聞いたというのです。イエス様を信じたら永遠の命が与えられると。でも、そういうことを聞いても、全く初めてでチンプンカンプンだったそうです。でも、一つだけ印象に残ったそうです。「願い事があったらイエス様の名前で祈ってごらん」と言われたそうです。それで北朝鮮に帰って行ったそうです。
 北朝鮮はみんな大変な中で生活しているそうです。彼はある時、ある人とトラブルになって、その人が大嫌いになったそうです。「この人がいるから、自分の人生は最悪だ」と思ったとき、ふっと祈りについて思い出したそうです。それで試しに祈ってみたそうです。「あの人が死にますように」と。しばらくすると、本当にその人が車に引かれて死んだそうです。
 「やった!」と、また中国に戻って、宣教師に報告したそうです。「あなたが教えてくれたとおりにお祈りしたら、私の敵が死にました。感謝です」と言うと、宣教師は「そんな祈りをしちゃ駄目だよ」と言われて、それが間違いだった事に初めて気づいたと言ってました。けれども、そんなことを通して、彼は北朝鮮で主を信じたというのです。
 北朝鮮では隠れて信仰を持っていたのです。どんな所で礼拝をしていたかと聞くと、山の中や森の中に入って、主を礼拝していたというのです。
 その後、いろんなことがあって脱北し、今、韓国で生活しているのですが、脱北すると、残っている家族は捕まえられ、政治犯として収容所に入れられるそうです。「私の家内と子供たちが収容所に入ってます。祈ってください」と言っていました。
 「韓国に来て印象はどうですか?こちらは素晴らしいでしょ」と言うと、「いや、そうでもないですよ。北朝鮮にいた時のほうが、イエス様に近かった。森の中に入って祈れば主との交わりが深かったけど、韓国に来たらいろいろ忙しくて、あまり神様の声が聞こえなくなった」と言いました。
 案外、信仰の世界は、物があふれているような中よりも、困難でシンプルな中に栄光を現してくださると思いました。
 「一緒に写真を撮っていいですか?」と、(写真撮ってどこかに載ったのが北側に知られて)危ないことがあるかもしれないかと思って聞くと、「撮ってもいいですよ」と言われたので、「教会で紹介してあなたのために祈ってもらいます」と言いました。是非ともみなさん祈っていただきたいと思います。

 今日は、「起きなさい、光を放ちなさい」という題です。イザヤ書は預言の書です。それはイスラエルがやがてバビロンから解放されるという預言も含んでいますし、イエス・キリストの誕生に関する預言も含んでいます。またイスラエルは終末に神の回復を見るという、永遠の世界に至るまでの幅広い領域も含んでいます。しかし同時に、私たちに対するメッセージでもあります。
 今日、この御言葉を歴史的なものではなく、未来のことでもなく、今を生きる我々に対して語られている御言葉として、受け取りたいと思います。「起きよ、光を放て」と今、主は、私たちに語ってくださっていると信じます。

 「起きなさい、起きなさい、時間よ」と言って起こされた経験があるかもしれません。眠っている時は周りがどんな状況になっているのか、全く気づきません。全く情報を取り込むことができないですが、目が覚めたら、その時から、いろんな物が見え始め、周りに起こっていることも把握できます。情報を取り込むことができるのです。
 それは、信仰においても同じだと思います。私たちが眠っていたら神の情報は入って来ません。けれども、私たちが霊的に起き上がる時、光を放つのです。神の前に光輝く者となる為には、霊的覚醒が必要です。イザヤ書六十章一節〜二節、

『起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。』

 今日は大変ぶ厚い雨雲が日本を、特に、中部地方をおおっています。だから、あたりは暗いし、雨も強く降るわけです。これは台風十二号のせいです。
 昨日、私は韓国にいたのですが、韓国は晴れていました。私は何時に宿舎を出ていくのかを決めていました。しかし、「そういえば日本はどうなってるのかな」と思ってニュースを見たら、台風十二号が来ているのがわかりました。すぐに私が乗る予定の飛行機をチェックしたら、「キャンセル」という表示がありました。
 「これはいかん!このままでは明日の礼拝までに帰れない!」と、すぐに荷物を用意して、なるべく早く空港に行って交渉しようと思って、空港に行きました。それが良かったです。
 空港につくと、成田便だけが飛ぶと言いました。「それではその席をください」と言って、ソウルから成田に飛んで、やっと帰ってきました。
 あの時、ちょっと遅くまで寝ていたら、今日ここに立つことは出来なかったと思うのですが、早く起きてよかったです。
 でも、日本が雲に覆われて台風になっていたなんて、韓国では気づかなかったのです。また、どんなに厚い雲が覆っていても、その上には太陽が出ているのです。
 「えー、この雲の上に太陽があるの?」なんて理解できない子供たちもいるかもしれません。しかし飛行機に乗って雲を突き抜けると、必ず、太陽が出ているのです。
 それは、自然界の法則だけではなくて、霊的な世界も同じです。私たちが日本を見る時、黒い雲が覆っています。現実的にも霊的にも暗闇が日本を覆っています。『しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。』というのです。

 国の上にどんなに厚い雲があっても、その上には神の栄光が輝いているのです。
 それと共に、光をもたらせていただくためには、「起きよ、光を放て。」と語られています。まず、私たちが「霊的に目覚める」時、覆いが取りのけられるのです。私たちが立ち上がる時、国の黒い雲も必ず晴る日が来るのです。
 この厚い雲がのけられると何が起こるか…。そのことが三節に記されています。『国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。』と預言されています。
 王さえも、主を信じる日が来るのです。その条件が、「まず、あなたが起きることです」と聖書は教えています。

 日本には福音が浸透していませんから、日本の指導者たちが主を信じて、主に従って歩くなんて考えもつきません。でも、神様はそのために、既に準備をされているのではないかと思います。
 先週は、中高生たちが軽井沢でキャンプをやったそうです。ちょっとうらやましいと、先週のメッセージで信弘先生が語っていました。私たちの若い頃には鶏を持って行って、首をちょん切ってとか語っていました。それは本当です。私たちはいつもそんな野蛮な行為をしていました。しかし、それも楽しかったです。
 近くの養鶏場に行って「いらない鶏はない?」と聞くと、二、三羽、卵を産まなくなった鶏をくれて、それを餌の袋に入れて河原に行ってキャンプをするのです。そして、みんなでじゃんけんをして、勝った人が鶏を殺して、みんなで食べました。カレーの中に鶏の腸を切らないで入れたので、長いのが出て来たことを思いだします。

 そんなことはどうでもいいですけど、昔、私が若い頃、私の父とすでに天に帰った田中先生が日本の指導者たちのために伝道したい、というビジョンをもらいました。それで軽井沢に行って毎年、集会を行っていました。私は毎年のように付いて行きました。
 しかし本当に不思議です。神からのビジョンは扉が開かれるのです。

 日本の総理大臣の中で一番有名な人は誰かというと、近年においては、佐藤栄作という総理大臣が一番長いこと総理をやって有名です。今度は野田さんとかいう人ですけれど、どこの人という感じです。あのような、へりくだった人がいいのかもしれません。しかし、佐藤栄作はすごく威張った総理大臣だったのです。けれども、なんと佐藤栄作さんとも会うことが出来、毎年のように現職の時から何度も、父とか、田中先生が福音を伝えました。彼は主を信じて、天国に行ったと思います。普通では考えられないことですが、扉が開かれました。

 そして、ある夏の日のことでした。田中政男先生が私のところに興奮してきました。「おい!順!すごいことがあったぞ!」と。何かと聞くと、実は、軽井沢には、今の天皇夫妻が出会って、恋に落ちた思い出のテニスコートがあります。そこに行くと天皇夫妻、当時は皇太子夫妻でしたけれど、テニスをやりに来るのです。私たちはそれを時々、金網にへばりついて、ロイヤル・テニスと呼ぶのでしょうか、見ていました。
 なんで田中先生が興奮して来たかといったら、あの皇太子妃殿下の美智子さんが、田中政男先生に、自ら近づいて来たというのです。全く見ず知らずの関係のない、田中先生に妃殿下が近づいて来たというのです。
 しかしそれは全く田中先生の勘違いでして、彼の後ろに、皇太子夫妻が乗る車があったからでした。彼は勘違いしたのです。「私の所に主が扉を開いて、皇太子夫妻が近づいて来た!」
 その時、田中先生は私の父が書いた「平安を持つ秘訣」という薄い本を、ちょうど持っていたのです。とっさにその本を出して、「美智子様!これをお読みください!」と差し出したそうです。直訴みたいなもんです。するとその本の題名を見て、「受け取ってよろしいでしょうか」と言って受け取られたというのです。
 そして、車に乗り込んでからも、わざわざ窓を開けて「ありがとう」と言われたというのです。とにかく本を渡したわけです。
 勘違いから、「平安を持つ秘訣」という本が妃殿下に渡ったのです。それを彼女がさっそく読んだみたいです。ちょうど平安がなかった時みたいでした。なんとその後向こうから電話がかかってきました。私たちは軽井沢の安宿に雑魚寝してたのですが、そこに電話がかかってきました。そして「一度出会って、話を聞きたい」ということでした。どこにご夫妻はおられるのかと聞くと、プリンス・ホテルにおられるとのことでした。
 その時は興奮でしたね。ついに皇太子夫妻に伝道が出来る!ズボンを履いたら田中先生のズボンが破れていました。いろいろと繕ったりして、父と田中先生は皇太子夫妻に出会うために祈ってから、緊張して出かけて行きました。
 その時の運転手は誰か・・・。それはなんと、この私だったのです。私は二人をただ、プリンス・ホテルに連れていけばいいと軽く考えていて、私の格好は短パンにビーチ草履、Tシャツ。当時は私の髪の毛は長かったのですが、そんな出で立ちで私は二人をプリンス・ホテルに連れて行きました。
 しかし、ホテルに着いて、皇太子夫妻が宿泊しているかと聞くと、「いませんよ」というのです。実はプリンスホテルというのは俗っぽいホテルではなくて、本物のプリンスが泊まるプリンスホテルが軽井沢にはあるのです。それは彼らの別荘というか、御用邸というか、それがあるのです。
 私はそんなこと全然知らないですから、普通のプリンスホテルに連れて行きました。そのホテルも高級なホテルですが、そこに行ってしまったのです。場所を間違ったわけです。
 そして、なんと、あの皇太子夫妻は、三十分も待ちぼうけだったそうです。私たちが約束の時間に来ないものだから、他のスケジュールがあって出かけたというのです。私たちが本物のプリンス・ホテルに着くと、入口に警察官が立っていて、敬礼されて、玉砂利の長い道を私の中古の車が入って行きました。着いたら戸を開けられて、降ろされて、「運転手さんも」と開けられちゃったのです。
 私は短パンとTシャツとビーチ草履で、異様な格好をしていたのですが、その日をきっかけにして、その後、今の天皇夫妻と何度も出会うことが出来ました。
 私も一度一緒に行ったことがあります。その時もまた運転手で行ったのですが、今の天皇夫妻の横でお茶を飲みました。枝豆を出してくれたので、ただ、ぼりぼり食べながら、話を聞いていました。父が「お祈りしましょう」と祈りました。
 もしかしたら彼らも、やがて主を信じる日が来るのかな…と、今から二十数年前の若き日の思い出ですが、これは偶然ではありません。
 田中先生が間違えた、勘違いした、美智子さんが自分の所に来てくれたなんて、普通じゃ考えません。普通の人間では、そんな勘違いはしないはずです。しかしそれをきっかけに、皇室伝道が開かれたのです。
 あの時、主が田中先生に「起きなさい、光を放ちなさい」と語られたのでしょう。田中先生が勘違いしたようだけど、そうではなく、起きて光を放っていたのです。

 やがて国の暗闇が打ち破られるのならば、『王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。』という預言が実現するのです。
 日本を牛耳っている人たちにも主の光が届く時、国全体が神の栄光に包まれて、歩む日が来るのです。
 そのためには、眠っていてはいけませんよ。起きてください!と、今、主が語られているのではないかと思います。
 この「黒い雲」とは何かというと、よく私はこの言葉を引用しますけれど、第二コリント四章一節〜四節、

『こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。』

 黒い雲、おおいが何かというと、すなわち、この世の神、「サタン」です。悪魔の力が国に覆っているがゆえに、いくら伝道しても、福音は伝わらないのです。
 長いこと福音が伝えられてきましたけれど、人々が反応しない一番大きな原因は、文化でもない、習慣でもない、それは霊的理由です。雲が覆っているわけです。それはサタンの雲が覆っているのです。
 それは国だけでなく、家でも同じです。今日も教会に来る時、「教会に行きます」と家族に宣言して出て来ても、家族が全く関心を持たないとしたら、「信仰の姿勢が悪いのかな・・・」と自分を責めないで下さい。そうではありません。なぜ、人々が福音を信じないのか。それは、家族、家庭の上に黒い雲、すなわちサタンがおおいをかけているからです。光を届けるためには、敵の力を打ち破ることがどうしても必要です。

 一九九二年にそのことを、主がこの教会に教えてくださいました。長いこと新城で伝道しているけれど、なぜ人々が救われないのか。「それは、おおいがあるからです。おおいを取る為に、霊的戦いをしなさい!」と主が語られたのです。
 それから二十年目に入ったわけですが、それは何のためかというと、この地の、またこの国のおおいが取られて、人々が主の光を受け取るためです。
 そのためにはまず、私たちが起きて、光を放つことが重要です。霊的戦いは、私たちが目覚めて光を放つことであると思うのです。
 おおいが取られる時に何が起きるのか。ゼカリヤ書八章二十三節。これも預言的なリバイバルの預言です。

『万軍の主はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」』

 霊的意味でのユダヤ人は「クリスチャン」のことです。ここで『外国語を話すあらゆる民』というのは、まだ、福音を理解できない、主を信じない人々と解釈することができます。
 黒い雲のおおいが取りのけられ、光が放たれる時、なんと向こうから、「あなたと一緒に神がおられます。私も、あなたが信じている神様を知りたいのです!私も一緒に連れて行ってください!」と、あなたの袖に十人くらいの人たちがぶらさがり、教会に来る日が来ると預言されているわけです。
 そのために必要なことは、まず、私たちが起き上がり、立ち上がる。そして、光を放つことです。この新城にも、必ず、そのような日が訪れると信じます。

 私たちは現在、いろいろな人たちに伝道していますが、ある神社と関係のある人に伝道しています。その人は教会にはなかなか来れないけれど、主を信じています。
 その人からある時、興奮して電話がかかって来ました。すごい夢を見たと。どんな夢かと聞くと、新城で一番大きい神社は富永神社という、新城駅前の神社です。その人は夢の中で、その神社の参道に立っていたそうです。そこに人がどーっと神社に向かって流れていたそうです。大勢の人たちは神社に入って行くのかと思ったら、神社の鳥居の前で、くるっと向きを変えて右側に歩いて行く夢だったそうです。
 その人は大群衆の中に立っていたんですが、群衆が神社の前でふっと向きを変えて歩いて行くわけであります。「この人たちはどこに行くんだろう?」と思って、耳を峙てていたら、みんな「新城教会に行きたい。新城教会に行こう!」といって、神社の前で向きを変えて、教会に向かって行ったというのです。
 「私も教会に行かなくちゃ!」と群衆について行ったら、教会は足の踏み場もない程の人だかりだったそうです。そしてふっと見たら、自分の家族も来ていたという夢を見たというのです。
 これは預言的な夢ではないでしょうか。街のおおいが取られる時、「私はあなたの信じている神様が知りたいんです!教会に連れて行ってください!」というような、リバイバルが来るのです。
 イザヤ書六十章四節に、

『目を上げて、あたりを見よ。彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。』

 人々が主の元に帰ってくるリバイバルが起きると預言しています。
 私は先週の日曜日にインドネシア教会に行ったのですが、一九六〇年代に起きたチモール島で起こったリバイバルの話をしてくれました。私の知り合いの先生が近頃、チモール島に行ったそうです。インドネシアと関連を持って四十年になるけど、昨年、初めて行ったらすごかったというのです。そこは田舎で本当に貧しい所だったというのです。当時教会は、元気な教会はなくて、オランダ改革派といって、結構堅い教会だったそうです。礼拝も形式的な礼拝だったそうです。けれども、ある日曜日、突然、天が開けたというのです。
 その時は、見える形で、会衆に光が差し込んだというのです。聖霊が注がれ、人々は聖霊に触れられ倒れて、リバイバルが小さな村から起こったというのです。
 その後、神が人々に語りかけ、チームを作り、インドネシア全土に出て行って福音を宣べ伝えよ、と語られたそうです。彼らはチモール島から、他の島々に、小舟を操作し渡って行き、福音を伝えたのです。インドネシアは部族社会で、一つ一つの村は占い師によって支配されていました。しかし村から、悪霊が出て行く奇跡が起こったそうです。
 占い師と対決し、悪霊を打ち破ると、村中がイエス様を信じて、インドネシア中にリバイバルの火が拡大していったというのです。それが歴史に残る、インドネシアのリバイバルに繋がりました。その始まりは、小さな村に聖霊が訪れたことから始まったのです。
 今回、先生はその場所に行って、たいへん感動したそうです。今でもリバイバルを記念して、毎年、リバイバル集会をするそうです。そして、今でもリバイバルの火は消えていないというのです。どのくらい人々が集まったのかと聞くと、一万人くらいの人々が集まったと言われました。感動したそうです。
 先生は私に「来年の九月にまたあるんですけれど、一緒に行きませんか?」と誘われたので、私も一緒に行きたいと思っています。
 聖霊様の光が差し込んで、人々が立ち上がり、出て行った時、インドネシア中にリバイバルが広がったというのです。
 原則はいつでも、どこでも同じだと思うのです。私たちも眠っていてはいけません。立ち上がらなければなりません。

 イザヤ書六十章を見ると、一つのキーワードとも言える言葉があります。それが何かと言うと、六十章二節に『見よ』とあります。四節にも『目を上げて、あたりを見よ』と、命令形の言葉があります。
 眠っていたら、周りを見ることができません。「見よ!」と言われたら、見なければなりません。
 私はいつも話すのですが、私たちは物を目で見ているように思うのですが、目で見ているのではなくて、「意思で見ている」のです。何に関心があるかで、見える物も変わってくるのです。
 私たちは今、日本が直面している現実を、霊的な目で直視し、今日本がどういう状況にあるのかを、霊的にも現実的にも深く知らなければならないのです。

 私はよく韓国に行くのですが、韓国に行くと、一人のおじさんが私の所に来て、毎回、「神様が語っていることがある。語っていることがある。」というのです。何かと聞くと、「日本にもっと大きな地震が起こる!」と言いに来るのです。毎回でちょっとうるさいもんだから、「わかった、わかった。自分で祈っているから、あんたも自分で祈って。」というのですが、毎回熱心に、「日本にもっと大きな地震が起こると言われる。緊急事態だから!」と言うのです。今回、ちょっとむかついたので、「あんた。日本に大きな地震が起こるのを喜んでるんじゃないの?」と言ったら「そんなことはない・・・」と言ってました。もしかしたら、本当にそういうこともあるかもしれないです。
 うるさいなと思ってましたが、本気で祈らなくてはならないと思わされました。

 東日本の大震災が起こってから、地震がない日はありません。毎日のように地震があります。昨日、飛行機の中で新聞を読んでいたら、本当に危ないなと思いました。昨日の読売新聞を見たら、三つの地震が連続して起きる可能性が高い書かれていました。

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 東海地震と東南海地震と南海地震の三つが、同時に起こる「三連動地震」が起きる可能性が高く、これが起こったら日本は終わりだというのです。すごい津波が来るというのです。慶長地震、宝永地震という、明治以前に起こった地震について東日本の地震以後詳しく調査するようになったそうです。
 私は飛行機の中で新聞の図を写真に撮って来たのですが、

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 これを見ると、今まで三連動が起こったのが、紀元八八七年、一三六一年、そして、一七〇七年の三回起こっているそうです。それを分析してみると、第一回は四百四十四年間隔、二回目は三百四十六年間隔、そして、今年二〇一一は、三連動が起こってから三百四年経っています。
 それで様々な要素を組み合わせ、東日本の地震のことを合わせると、本当に近い将来、三連動地震が起きる可能性が高いというのです。
 そうなったらどうでしょうか。東北どころではなく、首都圏から、大阪、四国、九州に至るまで、大ダメージを受けます。かつて「日本沈没」という映画がありましたけれど、まさしく、そんな風になってしまいます。原発の問題も本当に大きな問題です。これからどうなるのかと。
 私たちが「見よ!」と言われ、現実を見ると、今、立ち上がらなかったらいつ立ち上がるのかと思います。

 みなさん、私たちが今、現実をしっかり捉えて、自分自身のことだけに終始するのではなく、日本の未来を直視して、霊的な目で、日本のために立ち上がり、祈らなければなりません。
 こんな地震が来たら、多くの人が滅びてしまいます。けれども、もしもクリスチャンが立ち上がって福音を伝え、この国にリバイバルが起こったらどうでしょうか。
 神様がニネベという街を滅ぼすって言っておられたけれど、ヨナが立ち上がって光を放ったことにより、ニネベの街の人たちが大きい者から小さい者に至るまで、みんなが悔い改め、リバイバルが起こり、裁きから免れたという記録もあります。
 日本が本当に主を信じ、罪を悔い改めて、立ち上がる時、このような三連動地震も回避させられるのではないかと思います。その鍵を持っているのが、クリスチャンです。
 インドネシアのリバイバルのことを聞いたら、聖霊が激しく下り、何が起こったかといったら、まずは、クリスチャンが真剣に悔い改めたというのです。今まではクリスチャンといえども、名ばかりのクリスチャンで、隠れて罪は犯すは、悪いことばっかりする人たちが多かったそうですが、聖霊が訪れた時、彼らは主の前に出て、泣きながら自分の罪を悔い改め、主に立ち返ったというのです。
 そして、国に大リバイバルが広がったと聞いて、本当に感動しました。
 やはり聖霊様は聖さの中に働きます。私たちも聖い人生を歩まなければいけません。もしも私たちの中に罪があったら、悔い改め、立ち上がって光を輝かせなければならないと教えられます。
 その時、日本に迫っている災害も回避され、この国が主に従って歩む国に変えられる日が来ると私は信じています。

 さらに、「見よ」と言われています。それは、私たちが見張り人にならなければなりません。イザヤ書六十二章六節、

『エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。』

 私たちの信仰が眠っているのではなく、立ち上がって、神の目で社会を見て、とりなして祈って行く、見張り人の使命があります。見張り人は城壁の上に立って、敵が来るか来ないのを常に見張る存在です。
 日本は悪魔に狙われています。クリスチャンが敵に対して立ち向かうことを忘れてしまうと、日本も悪魔の餌食になってしまいます。
 クリスチャンには見張り人の使命が与えられていて、皆が、神から賜物を与えられています。各領域において見張る、見張り人としての使命が与えられているのです。
 先週も信弘先生が「それぞれに託された領域」という素晴らしいメッセージをされました。まさにそうだと思うのです。それぞれに託されている領域があり、あなたはその領域で見張り人として、使命を果たしてください!というのが聖書のメッセージです。
 私たちは各領域で目を開け、悪しき力に立ち向かうために何を祈ったらいいのか、神からの情報をいただいて、見張り人として働きをしなければなりません。

 二〇〇七年にハワイでリバイバルミッションを行いました。その時、ハワイのいろんな場所に行って、とりなしの祈りをしたのですが、オアフ島に「オパナ岬」という岬があります。
 オパナ岬がどういう場所であったかというと、一九四一年十二月七日は、日米の戦争の始まった日です。日本では十二月八日になるわけですが、アメリカにおいては十二月七日です。一九四一年の十二月七日に太平洋戦争が始まりました。それがどこから始まったかというと、ハワイのパールハーバーから始まりました。
 日本は、多くのアメリカの軍艦が集結しているパールハーバーを奇襲したのです。そこを爆撃する計画を立て、秘密裏に出撃したわけです。
 そして、オパナ岬というのはどういう所かと言うと、日本に動きがあることを予測してアメリカはそこに最新兵器を配備しました。当時の最新兵器は何かといったら、レーダーでした。今はレーダーは一般化して、警察もスピードを取り締まるために手軽に使っています。しかし、昔は最新兵器でした。その最新兵器を、日本からの先制攻撃を阻止するために、オパナ岬に七台置いて、二十四時間体制で、敵の動きを探知していたのです。
 十二月七日、朝の七時、なにか大きな信号をそのレーダーが捉えたというのです。それは飛行機が近づいて来る信号だったのです。それを地図に記録していったところ、どんどん近づいて来るというのです。
 七時二十分には情報センターに電話して、「今、オパナ岬のレーダーがなんか怪しい物体を捉えています。どうしましょうか?」とセンターに電話をしたら、レーダーのデータ解析をする担当者が、朝食に出かけていていなかったというのです。
 すると、隣にいた一人の将校が「あー、それは今日の朝、ウエストコーストから飛んで来るアメリカの飛行機だ」とぽろっと言ったそうです。それで、「なんだアメリカの友軍機か」と、その情報を真摯に捉えなかったというのです。
 しかし、実際は、日本の比叡という航空母艦から発進した爆撃機の編隊を捉えていたのです。それで、パールハーバーは大被害を受けたのです。

 もしも、あのオパナ岬で最初に受け取った信号を受け、「これは日本が攻めて来た!」と立ち向かったら、戦局は全く変わったはずです。アメリカもそんなに大きな被害を受けなかったし、日本も戦争を諦めたかもしれません。
 ちょっとした信号の解釈を間違えたことによって、あのような大きな戦争に発展したわけです。オパナ岬にその記念碑があるのですが、そこに立ってとりなして祈ったことを思い出しました。私たちもレーダーのような役割を任されるのです。
 私たちが、神様から見張り人の使命をいただき、歩哨として立つ時に、神が与えてくださっている情報を受け取るのです。
 その情報は小さく見えるかもしれません。しかし、実際は大きな勝利に結びつくのです。私たちが眠りこけていると、情報を生かすことができず、日本のリバイバルを見逃してしまいます。また、日本に大きな災があるのかもしれません。
 しかし、私たちがキリストの体にとどまり、しっかりと目を覚まして立ち上がる時に、大いなる勝利を現してくださるに違いないのです。

 エペソの六章は、霊的戦いについて教えている箇所ですけれど、パウロが最後になんと語ったかというと、エペソ人への手紙 六章十八節、

『すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。』

とあります。「どんな時にも御霊によって祈りなさい」と。
 目覚めたクリスチャンというのは、どんな時にも聖霊によって祈っているクリスチャンです。今週は、どんな時にも御霊によって祈っていただきたいのです。「この忙しいのに毎日祈れるわけない」と言わないでください。常に、私たちが祈りのスイッチをオンにして、「聖霊様、どんな時にも私は祈りますから、祈りの情報を与えてください」と主の前に出て行く時、みなさんを通して、敵を打ち破る情報を与えてくださるのです。どんな所でも光を輝かす準備をしているならば、みなさんを通して、光が地域に輝くのです。
 どんな時にも御霊によって祈る、それは霊的な戦いそのものです。
 常に私たちが霊の目を開き、暗闇に立ち向かい、そして光を輝かせ、福音を述べ伝える時に、この国に大いなる神の栄光が現されると信じます。
 今、クリスチャンが立ち上がらなかったら、いつ立ち上がるのでしょうか。
 私たちがこうしてクリスチャンをやっているのは、もしかしたらこの時のためだったのかもしれません。エステルのように、日本の守りのために、日本の将来のために、先に選んで、見張り人として、戦いの勇士として、この国に置かれているのではないかと思います。
 私たちはもう一度主の前に出て、起きて、光を放つことができるように、祈りたいと思います。すでに主はこの教会に訪れてくださっています。
 更なるリバイバルを新城に起きるように、心を一つにして祈っていきましょう。

 日本が滅ぼされるのではなく、救われるように祈り続けましょう。「起きなさい。光を放ちなさい」という御言葉を受け取って、主の前に心を一つにしていきたいと願っています。
 今からご一緒にお祈りの時を持ちたいと思います。「起きなさい。光を放ちなさい」と、今日、教会に属するすべての方々に主が語っておられると信じます。

 「私はちょっと眠っているかも・・・」という方がおられたら、「主よ、起きて見張り人としての使命を果たすことができるように」と。また、周りに福音を伝えなければならないと教えられていても、躊躇している方がおられたら、勇気を出して、福音を伝えることができるよう、ご一緒にお祈りしたいと思います。
 今から聖餐式ですけれど、聖餐は、まず、自分自身を吟味してから受け取りなさいとあります。リバイバルは必ず、悔い改めと連動しています。私たちの中にある全ての罪、汚れを神様の前に悔い改めて、「私を聖めてください。光を放つのにふさわしい者にしてください」と聖餐式を前にして、主の前に祈りたいと思います。
 
 Stand Up & Shine!、みなさん、立ち上がってくださいますか?主の前に祈りましょう。ご一緒に、主の前に出て祈りましょう。

 ハレルヤ。父なる神様、感謝します。今、私たちは聖餐式を前にして、主の前に立ち上がっています。どうかこの時に、私たちを輝かせてください。眠りから覚める時が来ています。主よ、この日本にリバイバルを与えてください。裁きではなく、救いを与えてください。この国の人が皆、救われることができるように。天皇も国の指導者も、全て主を信じますように。主がこの国に訪れられますようにお願いします。
 十字架の血潮によって聖めて下さい。個人的な全ての罪も赦してください。聖霊様来てください。この日本にどうか来て下さい。この国が勝ち取られますようお願い致します。どうか今からの時を祝福し、一人一人が霊的に立ち上がり、目覚めることができようにしてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン